57話 似顔絵
水の流れが聞こえていた。
さぁと吹き抜ける風に乗って来たであろう水の音。
淡い月の光を浴びながら、吹き抜ける風と流れの音を聞きながら、タマモは手元にある資料を眺めていた。
「──と、まぁ、これが第一回の報告じゃな」
手元にある資料と同じものをアオイは手にしながら、ぽんと叩いた。
アオイに情報収集の依頼をしてから、ほんの数日ほど。
その数日で信じられないほどの情報を得ることができていた。
資料はなかなかに分厚いもので、昔なにかで見た電話帳くらいはあるだろうとタマモは思った。
逆に言えば、数日程度で、それほどの量の情報を収集することができたアオイの情報網に、タマモは戦慄を覚えていた。
「これで、数日分ですか」
「凄まじいものじゃのう」
はぁ、と溜め息を吐くのは、マドレーヌと氷結王だった。
タマモと聖風王はアオイに渡された資料を一心不乱に目を通していく。
タマモと聖風王の様子をアオイは見つめつつも、アオイなりの結論を口にしていった。
「とりあえず、今回の集めた情報で、エリセ殿に直接繋がるような類いはなかった。間接的にはという可能性なものはいくつかあったが、さすがに条件の幅が広すぎた。これでもだいぶ絞ったが……見ての通りの分厚さとなったわけよ」
やれやれと溜め息を吐くアオイ。
アオイとしても、今回の資料に思うところがあるようであった。
もっとも、それも致し方のないこと。
アオイが言った通り、第一回の報告であれば、資料が膨大となってしまうのはどうしても避けられないことだ。
なにを除外し、なにをピックアップするべきか。
その条件さえもまだ手探りの段階。
それでもできる限り、除外したものはあれど、除外しきれなかったものは、かなり多いようだ。
アオイが不満げなのも、完璧とは言えない資料であるからなのだろう。
完璧ではない資料、つまり不完全な状態の資料を渡すほかなかったことに、アオイは不満を覚えている。
とはいえ、繰り返しになるが、第一回の報告でこれほどの資料を集めてくれたアオイに、文句など言えるはずもない。
むしろ、ここまでしてくれた相手に文句を言うこと自体がお門違いと言えるであろう。
「いやいや、十分じゃよ、アオイ殿よ」
聖風王は長い顎髭を撫でつけながら、しきりに頷いていた。
聖風王の口調は穏やかではあるが、その視線はとても真剣だった。
「そう言って貰えるとありたがい限りであるな」
アオイは再度溜め息を吐きながら、聖風王を見やった。
「……なるほど。たしかに直接的な繋がりはないとしか言いようがないですね」
ふぅと息を吐きながら、タマモが資料を閉じた。
いくらか疲れたのだろうか。タマモは目元を揉みほぐしていた。
そんなタマモにマドレーヌは驚いたように声を懸ける。
「ね、姉様。まさか、この短時間ですべて目を通されたのですか?」
「ええ、流し読み同然ではあったけれど、一通りは目を通したよ」
「……さすがはタマモ殿、ですね」
タマモの返答にマドレーヌは絶句し、アオイのそばに控えていたエアリアルは目を見開きながら、どうにか私見を述べた。
アオイから資料を手渡されてからせいぜい五分ほど。
そんな極めて短い時間で、タマモは電話帳サイズの分厚い資料に一通り目を通したのだ。
そのありえなさは、エアリアルはともかく、タマモの妹分であるマドレーヌからしても、言葉を失うほどだった。
逆に氷結王や聖風王は「なにをいまさら」と言わんばかりに頷くだけだった。
氷結王と聖風王にしてみれば、タマモであればこの程度のことは朝飯前だと思っているのだろう。
そしてアオイは──。
「……ふん。まぁ、そうさな。そなたであれば、容易いことか」
──いくらか面白くなさそうに鼻を鳴らすだけだった。
鼻を鳴らしつつも、アオイの視線は、タマモを見つめるまなざしは、氷結王と聖風王とは異なる熱を帯びていた。
アオイが秘める熱は、どこか危なく、それでいて、氷結王と聖風王以上の感情が込められているように感じられる。
だが、当のタマモはその視線に気づかないどころか、問題視にさえしてもいないのか、アオイを見つめ返すと──。
「それで、アオイ」
「うん?」
「君の私見を聞きたい」
「我の私見、か」
「あぁ。今回の資料は、当時の「アルト」の街に出入りした人たちのものが大半だった。今回はあえてそうしたのか。それともこっちが本命なのか。その意見が聞きたい」
「そうさな。あくまでも我個人の意見ではあるが、元々の「アルト」の住民が巻きこまれたないし、下手人というのはいささか考えづらい。ゆえに、最初から狙いは当時の「アルト」に出入りした者たちに限定させてもらった。賭けと言われたら否めないが、賭けるだけのものはあると我は思っている」
「……そうだね。私も同じ立場であれば、あなたと同じように情報を集めるのであれば、「アルト」の住民よりも一時的に出入りしていた人たちを狙うかな」
「うむ。本命にするとすれば、やはり住民より見慣れぬ者たちが鉄板であろうからな。……もっとも」
「うん。あまりにもド直球すぎるけれどね」
「あぁ、それがどうにも引っかかるわ」
「同感だよ」
アオイと交互に意見を交わしていくタマモ。
ふたりの話はふたりの間で完結していく。
そのあまりのテンポに待ったを懸けたのは、マドレーヌだった。
「あ、あの、姉様!」
「うん? どうしたの?」
「えっと、その、話が速すぎてついていけないです」
「あ、ごめんね。ちょっと話をすっ飛ばしすぎたね。えっと、「アルト」の元々の住民ではなく、一時的に出入りしていた人を狙い打ちにするというのはわかる?」
「なんとなくですが……元々の住民を除外しているのは、元々の住民だと噂が立ちやすいから、ですか?」
「うん。元々の住民だと一時的にいなくなったとか、いつもとは違う行動をしているとかは、すごく目立つからね。それは相手方もわかっているはずだし、「アルト」の住民であれば、エリセがどういう存在なのかはわかっている。そんな相手に手を出すわけがないし」
「……それって聖風王様が関係されているんですよね?」
「うん。エリセが聖風王様に寵愛を受けていることは、私を通じて「アルト」の住民にも広く知れ渡っている。そのエリセに手を出して、ただで済むはずがないと「アルト」の住民は誰もがわかっていることだからね」
「……実際、盗賊ギルドの重鎮たちも「そんな自殺行為をするバカが本当にいるのか」と疑っているほどだったわ。まぁ、実際に確認して「……下手人は自殺志願者だな」と呆れていたわ」
タマモとアオイがそれぞれの観点で話を語る。特にアオイは呆れているようであった。
「ゆえに、盗賊ギルド側も「「アルト」に元々住んでいる連中はありえん。というか、そんなバカがいたらとっくに捕捉している」と言っておったよ」
アオイは補完するように告げた。マドレーヌは「なるほど」と複雑な表情を浮かべつつも頷いた。
「だからこそ、狙いは一時的な滞在者となるんだけど、あまりにも直球すぎてね」
「どうしてですか?」
「「アルト」のように大きな街には盗賊ギルドのような暗部を司る者たちがいる。当然、連中はその街の住人をすべて把握している。その把握している者たち以外、それもあからさまに怪しい異分子がおれば、監視対象となる。その状態で今回のような件を起こすというのは、あまりにも暗部を舐めすぎているとしか言いようがない。だが、逆に言えば、じゃ」
すっとアオイは目を細める。タマモは頷きながら、アオイの言葉を続けた。
「街の暗部を無視できるなにかが下手人にはあるってこと。疑ってくださいと言わんばかりの相手であればなおさらだね」
「なにかって、それだけ大きな力があるとか、ですか?」
「もしくは、暗部さえも歯牙に掛けないほどの大物が背後に控えているとかかな? できれば、そうあってほしくないところではあるんだけども」
タマモは溜め息を吐く。その言葉は否定しているように感じられるが、一方で確信を抱いているようにマドレーヌには感じられた。
「……ただの自殺志願者か、それともなにかしらの手先なのかはわからぬが、どちらにしろ、ただ者ではないことは間違いなかろうよ」
バトンタッチするように、アオイは結論づけた。
その内容にマドレーヌは二の句を告げられなくなってしまっていた。
「……どうにせよ、今回の件はただの失踪騒ぎということにはならんな。なにかしらの大きな思惑があると見た」
聖風王が資料を眺めながら、締めとなる一言を告げる。
その言葉を皮切りに誰もが押し黙っていた。
そんな中、エアリアルが持っていた別の資料が、アオイが除外した資料の一部が、エアリアルの手から不意にこぼれ落ちたのだ。
「あ、失礼しました」
エアリアルが慌てて資料を拾う。その手伝いをタマモとマドレーヌはそれぞれに行っていく。
エアリアルは「ありがとうございます」とお礼を口にし、タマモとマドレーヌが「いやいや」と首を振っていた、そのとき。
「……これは?」
タマモが最後に拾った資料。それはひとりの老人の似顔絵だった。
……それもどこかで見覚えのある老人のだった。
「それは姫が除外した資料です。一応念のためにお持ちしたのですが」
「それがなにか」とエアリアルが首を傾げた。
タマモはじっと似顔絵を見つめていた。その様子にアオイがタマモの手元を眺め、「なるほど」と頷いた。
「タマモもその老人が気になるか」
「というと、アオイも?」
「あぁ。どうにもその老人が気になってな。しかし、ふらりと現れたかと思ったら、気付いたらいなくなっていたという話じゃ。盗賊ギルド側からは高齢だから死んだのではないかということであったな」
アオイの説明を受けて、タマモは「そう」と頷きながらも老人の似顔絵を眺めていく。
いったい、どこで会ったのかと思っていると──。
「む? そやつ、ラモンではないか。ずいぶんとやけこせておるが、生きておったのか」
──聖風王が忌々しそうに表情を歪めながら、老人の名を告げたのだった。




