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50話 燎原の火の如く

 空の色が変わっていく。


 月明かりに照らされていた空が、いまや地平線の彼方から昇る太陽によって淡く色を変えていく。


 山吹色の太陽が、世界を徐々に明るく染めていた。


 その中で円香はひとり模造刀を振るっていた。


「──これで、千!」


 鞘走りからの抜き打ち。円香の家が継承する「神威流抜刀術」の基本にして奥義である抜き打ち。


 普段はせいぜい日に百回ほどを目安にしていた。


 だが、今日は気付けば千回振っていた。


 朝早くに、いや、まだ夜中と言える時間帯に目覚めた円香は、鍛錬用にと祖父から与えられた模造刀を持ち出し、庭で型をなぞり始めた。


 どうしてそうしたのかは、目覚める前のことが切っ掛けだった。 


「──初めまして、でよいな? 「蒼天」の王にして「銀髪の魔王」アオイだ」


 相対したのは「アオイ」──「銀髪の魔王」と称するPKたちの一大クラン「蒼天」の主だった。


 そして円香の、「マドレーヌ」の姉様である「タマモ」にとっては因縁冷めやらぬ相手でもある。


 円香が「アオイ」と対峙するのは初めてだった。


 初めてだったが、それでもはっきりとわかることはあった。


「……嫌な女」


 そう、「アオイ」を見ては円香は「嫌な女」と思った。


 もしくは、油断ならない相手だとはっきりと感じ取れた。


 それこそ隙を見せれば、その瞬間に襲いかかってきてもおかしくない。


 協力者という体ではあるものの、油断できる相手ではなかった。


 そもそも、本当に協力者と言っていいのかさえも円香にはわからなかった。


 わかるのは、ただ「アオイ」という女性が、油断ならない人物であり、総合的に見て「嫌な女」だということだけ。


 そんな「アオイ」と「タマモ」が握手を交わし、協力態勢を取った。


 エリセの居場所を探すためという理由があれど、円香からしてみれば、「アオイ」とだけは手を組んでほしくなかったというのが正直な感想だった。


 だからといって、エリセが行方不明のままでいいというわけではない。


 エリセとはそこまで親交があったわけじゃない。


 それでも夜中、本来ならログインできない時間帯にログインした際に、エリセはいつも優しくしてくれた。


 それはエリセと同じく「タマモ」の世話役であるアンリも同じだ。


 アンリとエリセは「タマモ」の世話役という体であるが、実態は「タマモ」の妻だった。


 言うなれば、円香にしてみれば、義理の姉のような存在である。


 ……「タマモ」とはそもそも血の繋がりはないので、義理というのはどうかとは円香自身でも思うものの、扱い的に言えば、円香からしてみれば、アンリもエリセも義理の姉であったのだ。


 そのアンリを「アオイ」は一度手に掛けたのだ。


「アオイ」が凶行に及んだとき、円香はまだ「タマモ」たちと知り合っていなかった。


 だけど、「アオイ」が一度アンリを死に追いやったことは事実である。


 円香がその話を聞いたのは、「武闘大会」が終わった後のことだ。


 正確に言えば、なにがあったかくらいは掲示板内で囁かれていたので知ってはいた。


 しかし、「タマモ」の口から話を聞いたのは、「武闘大会」後のこと。


「タマモ」を「姉様」と呼ぶようになってからのことだ。


「……なんで」


 脳裏に浮かぶのは「なんで」の一言だけ。


「タマモ」に対してじゃない。


 円香が「なんで」と疑問をぶつけたいのは、「アオイ」に対してだった。


「……なんで、アンリさんを」


 そう、なぜ「アオイ」はアンリに凶刃を振るった理由が円香にはわからない。


 円香にとって、アンリはとてもいい人だった。


 エリセにも言えることだが、ふたりは優しく穏やかで、面倒見のいい人だった。


 それこそ本来なら赤の他人でしかない円香に対しても、ふたりは優しくしてくれた。「タマモ」の妹として扱ってくれたのだ。


 ふたりの手の温かさは、現実に戻ってきたいまでも、はっきりと思い出せる。


 その手のぬくもりを「アオイ」は奪い取ったのだ。


 許せることじゃない。


 許していいわけがなかった。


 それこそ、どんな方法であれ償わせるべきだと円香には思えてならない。


 でも、肝心の「タマモ」がそれを望んでいなかった。


 いや、望んでいないというよりも、「タマモ」の中では「もう終わったことだ」ということになっていた。


「……終わってなんかいないのに」


 顔合わせの際の「アオイ」を見る限り、まだなにも終わっていないことは明らかだ。


「アオイ」はのさばらせておくべきではない。


 好き勝手にさせていたら、また「アオイ」は凶刃を振るうだろう。


 次はどんな凶行に及ぶのかさえもわかったものではない。


 それこそ、次は本当に取り返しがつかないことになりかねない。


 そうなる前に、「アオイ」をどうにかするべきであり、今回のように手を組む相手ではない。


 エリセの捜索のために、「アオイ」の持つ情報網が必要なことはわかっている。


 わかっているが、それでもアオイと協力関係を結ぶことはどうにも円香には納得できないことであった。


 なにせ、「アオイ」は、あの女は顔合わせだというのに、こちらの品定めをしていた。それも見下すようにして、だ。


「アオイ」は「マドレーヌ」を通して、円香を見定めていた。


 見定めることは別に構わない。


 見定めようとしているのは、円香とて同じこと。

 だが、「アオイ」のそれは円香とは異なっていた。


 あれはまるで虫を見るかのようだった。


 そう、「タマモ」という花のそばを不躾で飛び回る虫を見るように「マドレーヌ」越しに円香を見つめていたのだ。


 いま思い出しても腸が煮えくりかえりそうになる。


 その苛立ちが募りに募って、今回は早々にログアウトをすることになった。


 本当だったら、もっと姉様である「タマモ」と話をしたかった。一緒にいたかった。……少しでも気を紛らわせてあげたかった。


 だけど、「アオイ」のせいで、それも叶わなかった。


 苛立ちを通り越して憎いとさえ、円香には思える。


 初めて人を憎いと思った。


 こんなにも人を憎く思ったのは産まれて初めてのことだった。


 その憎しみに突き動かされるようにして、模造刀を延々と振るっていた。


 足元の地面には汗による水たまりができあがっていた。


 こんなにも刀を振るったのは初めてだった。


 なにもかもが初めて尽くし。


 一種の新鮮さを感じつつも、円香は抜き放った刀をいつものように納めた。


「……よくない傾向だな、円香」


 足音が不意に聞こえてきた。振り返ると、作務衣姿の祖父がいつまのか真後ろに立っていた。


「お、おじいちゃん?」


 円香は驚きながら、「いつからそこに」という言葉を飲み込んだ。


 振り返った先にいた祖父は、いつもの祖父と様子が異なっていたのだ。


 その目はとても冷たい。「アオイ」とは意味合いが異なるものの、祖父の目も「アオイ」同様に冷たいものだった。


 そう、「アオイ」と同じ──。


「──っ!」


 苛立ちが募った。燃え盛る炎のように、いつまでも消えない燎原の火のように。円香の中で燃え盛っていた。


「……ふむ。よくないどころか、完全に悪い傾向へと至っておるな。なにがおまえをそこまで追いやっているのかは儂にはわからんが、いまのままではまずいな」


「……なにが?」


「その先は魔道だぞ、円香」


 すっとより目を細める祖父。祖父の言いたい意味がよくわからなかった。


「……なにを言っているの?」


「……そうか。もうそこまで至っているか。荒療治が必要か」


 祖父は溜め息交じりによくわからないことを言っていた。


 祖父がなにを言いたいのかが、円香にはわからなかった。


 わからないまま、祖父の言葉を待っていると、祖父は言った。


「学校が終わり次第、まっすぐ帰ってきなさい。帰ってきたらすぐに道場だ。ひとつ手解きをしよう」


「……鍛えてくれるの?」


「ある意味ではな。まぁ、どちらかと言えば」


 祖父がなにかを言おうとしたが、円香は「ありがとう」と深々とお辞儀をして礼を口にした。


 祖父が鍛えてくれるというのであれば、話は早い。


 いまの円香では、おそらく「アオイ」には敵わない。


「アオイ」との差を少しでも埋めるために、祖父からの手解きは願ってもないことだった。


「すぐに帰ってくるから! 準備して待っていてね、おじいちゃん!」


「……あぁ、わかった」


 祖父は溜め息を吐きながら頷いていた。


 溜め息を吐かれた意味はいまいちわからなかったが、円香は喜び勇みながら、「それじゃ私シャワー浴びてくる!」と言って、祖父の元を離れた。


「儂の血が色濃く出てしまっているせいなのかな? ……お互い孫娘には手を焼かされるものだな」


 離れる際に、祖父の声がわずかに聞こえた。


 なんだろうと思い、振りかえってみても、祖父はもう円香を見ていなかった。


 ただ、移り変わっていく空をぼんやりと眺めているだけだった。


 どうしたんだろうと思いつつ、円香は学校へ行く準備を整えるために、まっすぐに家の中へと向かっていったのだった。

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