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49話 不愉快な光景

「──ふぅ」


 まぶたを開くと、いつもの天蓋が見えた。


 葵は体をゆっくりと起こすと、ベッドの上で背伸びをした。


 凝り固まった体から小気味いい音が立つのを聞きながら、葵はベッドから降りた。


 部屋の隅に置いてある時計は、まだ夜明け前を指し示していた。


 実際、窓の外は暗いままであり、太陽が顔を覗かせるにはいくらか時間があった。


 いつもであれば、もう一眠りする時間帯だが、葵はあえてベッドから降りていた。


 とりあえず、寝起きに飲むようにいつも置いてあるミネラルウォーターでも飲もうと、ベッドのそばにあるサイドテーブルへと向かっていた。


 その道中に、姿見の鏡はあった。


 鏡にはいつも通りの葵が映り込んでいる。


 いつも通りの黒髪といつも通りの美貌に、いつも通りの寝間着を身につけた葵がいつも通りに映し出されていた。


「……」


 いつもと変わらない自身の姿を無言でじっと眺め、葵は目的のサイドテーブルに向かい、備え付けの椅子にそっと腰掛けた。


 サイドテーブルに置かれているミネラルウォーターを、未開封のペットボトルを手に取り、キャップを捻る。


 独特のねじれる音とともに開封を果たし、そのまま口元に運んで喉の渇きを潤していく。


「……ん」


 中身の半分ほどを飲み干してから、葵は口元を拭い、キャップとペットボトルをサイドテーブルの中央あたりに置いた。


「……あれが、もうひとり、ですか」


 喉の渇きを潤してから、葵はひとり呟いた。

 

 葵が口にしたのは、聖風王が言っていた「もうひとり」の存在のことであった。


「……たしか、「一滴」のマドレーヌでしたね」


 そう、タマモのそばにいたのは、「一滴」のマドレーヌだった。


 前回の「武闘大会」におけるクラン部門のビギナークラスの優勝クランのメンバーにして、「一滴」の絶対的なエースであり、「一滴」が優勝を果たせた立役者であった。


 無論、他のふたりのメンバーも相応の強者であったが、葵の目からしてもマドレーヌの実力は他のふたりよりもひとつ頭が抜けているほどだった。


 とはいえ、あくまでもビギナークラスだったからこそであり、葵やタマモがいたエキスパートクラスであれば、決勝戦には残れなかったのは目に見えている。


 せいぜいベスト16を争えれればいい方だろう。


 逆に言えば、エキスパートクラスでもいくからは勝ち抜くことはできるということ。


 それこそ、最初の「武闘大会」の「フィオーレ」のようにだ。


「……そういうところも、妹分らしいとはね」


 マドレーヌたち「一滴」は、事実上、タマモたち「フィオーレ」の妹分として扱われている。


 話によれば、全員がリアルの小学生らしいし、おそらくは学生である「フィオーレ」たちにしてみれば、その点でも妹分というのは理解できる。

 

 だが、なによりも「一滴」が「フィオーレ」の妹分として扱われるのは、全員がタマモと同じ「妖狐族」のアバターを使用しているということ。


 曰く、三人とも揃ってタマモを切っ掛けにして、「EKO」を始めたということである。


 ゲームを始めた切っ掛けはタマモであるが、三人それぞれに「フィオーレ」のメンバーのファンである。


 その点に関しては疑うまでもなく事実だ。


 準決勝のときも、三人は声を嗄らす勢いでタマモたちの応援を行っていたし、それぞれ別の色の法被を身につけていたこともあり、所謂「推し」が三人それぞれに異なることは事実なのだろう。


 性格はマスターであるフィナンが柔軟使い分ける委員長タイプ、格闘家であるクッキーは頭の硬そうな生真面目な子、そして件のマドレーヌはハイテンションなギャル系の子ということだった。


 それらの情報は掲示板でも語られていることであり、探そうと思えばすぐに集められる程度のことだ。


 そう、そこまでは誰であろうとすぐに集められる程度のことでしかない。


 しかし、先ほどまで葵が目にしていたのは、誰もが集められる情報とは言いがたいものであった。


「あれが、ギャル系ねぇ」


 サイドテーブルに置いたペットボトルを再び手にして、葵は残りの半分を飲み干した。


 喉を鳴らして水を飲み干し、再び口元を拭ったところで、極めて小さなノックの音が聞こえてきた。


「いいわよ、空希」


 ドアの向こう側にいるノックの主に声を懸ける葵。


「失礼します」という想定通りの声を聞きながら、手に持っていたペットボトルのキャップを閉める。


 葵がキャップを閉め終えるのと同時に、寝間着姿の空希が部屋に入ってきた。


「夜分遅くに失礼いたします」


「気にしないでちょうだい。私もあなたに話があったところだからね」


「左様ですか。……それは先ほどの件で?」


「ええ。もちろん」


 葵は空になったペットボトルで手慰みしながら、先ほどまでの光景を、「EKO」内での光景を思い出していた。


「「一滴」のマドレーヌ殿」


 空希がぽつりと呟いた名前こそ、今宵の葵の気を惹いたことであった。


「あなたは彼女について、どこまで知っていて?」


「……お嬢様と大きく違いはないかと」


「具体的には?」


「クラン部門のビギナークラスの優勝クラン「一滴」の絶対的なエースにして、ムードメイカー。一見やる気のなさそうな態度ながら、その戦闘能力は目に見張るものがあります。それこそ、隙だらけに見せて、実態は一切の隙はない。むしろ、相手が隙を見せるのを待ち受けていますね」


「うん、それで?」


「おそらくはですが、「フィオーレ」のレン殿と同じ流派でしょうね。抜刀術をメインとする姿勢は同じですし。ただ」


「ただ?」


「レン殿よりも抜刀術に傾倒していましたね。攻撃のすべてが抜刀術というのはさすがに驚かされました。そこがレン殿との差異でした。レン殿も抜刀術を使われておりますが、それがすべてというわけではありません。あくまでも抜刀術を主軸にした戦術と、抜刀術こそがすべてという戦術という似ているようで異なる思想がおふたりの間にはあるように見受けられました」


「つまり、同じ流派ではあるけれど、枝分かれしたというところかしら?」


「ええ。どちらが宗家で、どちらが分派までかはわかりません。……尤もお嬢様であれば、すでにお考えされていると存じ上げますが」


「さて、ね?」


 くすりと笑いながらも、さすがは空希だなと葵は思った。


 空希の言うとおり、レンとマドレーヌの戦闘スタイルが酷似しているところから、同じ流派だろうというのはすでにわかっていることだった。


 空希がいままで語った内容は掲示板で集められるものだけではなく、空希の推測によるもの。その推測に関しては葵も同じ結論に達していた。


「ですが、今宵のマドレーヌ殿は、私が知り得た彼女とはまるで異なっておりました」


 空希は本題を切りだした。葵が無言で頷くと、空希は続けていく。


「掲示板で語られる彼女は、いわゆるギャル系ということでしたが、今宵の彼女には浮ついた雰囲気は一切なかった。まぁ、我々が到着した際に見た姿は、年相応と言えるものではありました」


「そうね。幼さが見えていたわ」


「リアルで小学生というのは、間違いないでしょうね。そこまではいいとして。考えさせられたのは、タマモ殿との接し方ですかね」


「と言うと?」


「私にはとても親密のように見えました。それこそ本物の姉妹のようにです」


 空希が口にした一言とともに、葵の手の中にあったペットボトルが大きな音を立ててひしゃげていく。


 空希が「……お嬢様」と溜め息交じりに声を懸けたことで、葵は力を少しずつ緩めていく。


「……タマモを「姉様」と呼んでいたわね。そんな情報、掲示板にあったかしら?」


「いいえ。少なくとも私は見かけておりません。「武闘大会」の際も、彼女はあくまでもレン殿のファンであり、タマモ殿と親密ではなかったはずです」


「ということは、「武闘大会」以後に関係を深めた、と? 名実ともにタマモの妹分に収まったというところかしら?」


「そういうところでしょうね。タマモ殿もマドレーヌ殿をかわいがられておいでのようですし。仲睦まじい姉妹という風に私には思えました」


 空希の一言に再びペットボトルがひしゃげていく。それどころか、手の中で徐々に小さく形を変えていった。


 空希はもうなにも言わない。


 ただ呆れたように葵を見つめている。そんな空希にと葵は手の中にあったペットボトルだったものを投げ渡した。


 ペットボトルはすっかりと縮み、ほとんど飲み口だけになっていた。


「……飲み終えたから捨ててくれる?」


「畏まりました。捨てやすいようにしていただき感謝いたします」


 空希は静かに一礼をした。葵は椅子から立ち上がると、ベッドへと向かった。


「……まだ早いから寝るわ。おやすみなさい」


「ええ、おやすみなさいませ、お嬢様」


 空希が一礼をし、そのまま葵の部屋を出ていく。


 空希の足音が遠ざかるのを聞きながら、葵はベッドの上に置かれていた枕を取り、思いっきりベッドのマットレスに向かって振り下ろした。


「……寝ましょうか」


 呼気が若干荒くなっていた。あえて整えることはせずに、葵はベッドに潜り込んだ。


 いくらか不愉快ではあるが、寝れないわけではない。


 葵はまぶたを閉じた。まぶたを閉じると、焼きついた光景が、タマモとタマモに頭を撫でられながら笑うマドレーヌの姿に奥歯を噛み締めた。


 奥歯を噛み締めながら、葵は意識をそっと手放していった。

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