43話 ただ耐えて
生暖かい空気に出迎えられた。
四囲を密閉されたシャワールームへと続く扉を開くと、シャワールームに篭もっていた生暖かい空気がエリセを出迎えた。
換気が一切されていないからだろうか、シャワールームは湯気に覆われていたのだ。
湯気が篭もったシャワールームに入るたびに、明かりひとつないシャワールームに入るたびに、エリセは暗闇の向こうには獣が潜んでいるのではないかと思っていた。
もっとも、獣が潜んでいたところでエリセにとっては容易く退治できる。
どれほど不意を衝かれたとしても、手を少し動かせば、襲ってきた獣を事切れさせるには十分すぎた。
どんな獣が相手だろうと、それは変わらない。
さすがにラモン翁たちが送り込まれた雷の魔竜相手だと話は変わるが、為す術なく食い殺されることはない。
雷の魔竜相手であってもエリセに掛かれば、容易く仕留められる獲物から、いくらか手強い獲物になる程度でしかない。
仮に暗闇の向こう側に、雷の魔竜が潜んでいたとしても、恐るるに足らずである。
それでも、暗闇の向こう側から生暖かい空気に出迎えられるのは、薄気味悪くはあった。
「……気味悪いなぁ」
暗闇に恐れることはない。恐れはしないが、一寸先がなにも見えないということには変わりはしない。
なにが潜んでいるかわからないという状況を、エリセが気味悪く思うのはある意味当然のことだった。
むしろ、エリセだからこそ、気味が悪いと思う程度ですんでいた。
エリセ以外であれば、あまりの気味の悪さに足が竦むことであろう。
ホラーゲームであれば、ほぼ間違いなく、クリーチャーが待ち受けているか、もしくはクリーチャーに襲われた被害者の亡骸が転がっていそうである。
もっとも仮にクリーチャーがいたとしても、エリセであれば容易く対処してしまうので、エリセが恐れるわけもない。
それでも、生理的な嫌悪感から来る気味の悪さはエリセにしてもどうしようもないことだった。
エリセは気味の悪さを感じながら、シャワールームの奥へと進んでいく。
シャワールームには、シャワーヘッドが奥にひとつだけあった。シャワーを浴びるには奥まで行かねばならない。
奥といっても、奥行きはさほどあるわけではない。
扉から大股で歩けば、数歩も掛からない程度の狭い部屋だった。
シャワーヘッドがひとつだけのため、仕切りなどはない。
むしろ、仕切りを用意するほどのスペースもないのだ。
両腕を広げたら、左右の壁に触れられるというわけではないが、両腕を広げた状態で、左右に棒状のものを持てば、それこそ筆箱に入る程度の定規を持てば、先端が壁に触れることはできる程度にはシャワールームは狭かった。
無理をすれば、大人ふたりでも入れる程度の、実質個室のシャワールームとも言うべき場所であった。
そのシャワールームの奥にあるノズルにエリセは触れた。
独特の金属がこすれ合う音が響いた後、エリセの肌を温かなお湯が触れていく。
着ている服くらいは脱いだ方がいいかと最初は思っていたが、ラモン翁によって破かれたり、汚されたりしてしまうため、丁寧に扱う必要が見いだせなくなってしまった。
それに、着せられている服だって、服というには名ばかりの薄布である。どうにか局所を隠せるものの、体のラインははっきりとわかってしまう。
実質、服というには名ばかりの代物でしかなかった。せいぜい服の機能を果たしているとすれば、局所を隠せる程度でしかない。
そんな薄布だからだろうか、ラモン翁は躊躇いなく破り捨てたり、汚したりする。
エリセにしてみても、すぐにダメになってしまう薄布に対して、ラモン翁がなにをしたところで思うことはなにもない。
せいぜいが、「今回は破かれたか」とか「汚されたかぁ」と思うくらいだ。
その程度のものでしかないため、シャワーを浴びる際に、着たまま浴びることはもう当たり前のようになってしまっていた。
寝る際にベッドが濡れてしまうかもしれない、と最初はエリセも考えていた。
が、シャワーを浴び終わると大抵ラモン翁がどこからともなく現れるため、終わった頃にはすでに乾いているか、エリセ自身が限界を迎えて気を失っているのかどちらかであるため、薄布を着たままシャワーを浴びる浴びないなど関係ないのだ。
どれほど気を遣おうとも、最終的には穢されるだけなのであれば、わざわざ気にすることもない。
それは今回のシャワーでも同じ。
単純に汗を流したいのと、ラモン翁の獣液から解放されたかった。
「……意味があらへんかもしれへんけど」
意味はないかもしれない。
それでも、心地悪い状態から解放されたくてたまらなかった。
できることならば、体の中にある獣液もどうにかしたいところだけど、シャワーヘッドは壁に埋め込まれたものだったため、洗い流すことは難しい。
やろうと思えば、エリセ自身の魔力で精製した水を使えばどうにかなるが、ラモン翁からは洗い流すなと言われていたので、エリセにはどうすることもできない。
最悪の可能性を防ぐために、魔力で防御はしているが、ラモン翁もそこまではなにも言わなかった。
ただ、時折薄気味悪い笑みを浮かべているため、いつまでも最悪を防ぎ続けることは難しいとエリセは考えていた。
最悪が訪れるまでに、この牢獄からの脱出とフブキの救出の両方を為さねばならない。
あと強いて言えば、ラモン翁への報復もしておきたいところだが、脱出と救出に比べると優先度合いは低い。
報復など、せいぜい脱出と救出のついでとして、行えれればいい。
いまはとにかく、ここからの脱出と救出が最優先だ。
目的を果たせたら、ここのことはきれいさっぱり忘れたい。
ただ、身につけさせられた技術に関しては、閨の技に関しては良人であるタマモにたっぷりとしてあげようと思ってはいるが。
「……旦那様に楽しんでほしいな」
ここから出たら、タマモにいろいろと頑張って貰おうとエリセは決めていた。
頑張って貰う代わりに、エリセもタマモにいろいろとしてあげようとも思っている。
タマモは、満足してくれるだろうか?
それとも、由来を知って悲しんでしまうだろうか?
どちらもありえる気はするが、いまはまだ形にはできないことだ。
だが、将来的には必ず叶えたいことでもある。
その日が訪れるのが待ち遠しい、とエリセは想いながら鼻歌交じりに体を洗い流していた、そのとき。
「えらい機嫌がええようやな」
気色悪い声が聞こえてきた。
エリセが声の聞こえてきた方に振り返るよりも早く、エリセはシャワールームのタイルに転がされた。
シャワーヘッドからは変わらず、お湯が降りそそがれていた。
そのお湯を浴びながらラモン翁はにやにやと笑っていた。
「……いまはうちが使うてますが?」
「体を洗いに来たわけとちがう。おまえの体を堪能するためだ」
「……好きにしたらええ」
「そうさせてもらうで!」
ラモン翁が叫んだ。叫びながら、エリセの脚を掴んだ。
そしてすぐに体の内側が熱くなっていく。エリセは唇を噛み締めながら、ただ耐えた。
耐えながら、はやくこの日々から抜けだしたいと思い続けた。
その間も下腹部の内側の熱と、気色悪い吐息にエリセは耐えた。
いまはただ耐えるしかないと思いながら、ただ耐え続けるのだった。




