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37話 手と手を繋いで

 心地のいい香りがしている。


 くすぐる香りの正体は、エアリアルが淹れてくれた紅茶であった。


 琥珀色の紅茶がティーカップになみなみと注がれていた。


 アオイとの戦闘後、タマモは再びエアリアルに案内されて、「蒼天城」内にある応接間へと通されたのだ。


 その際、アオイはタマモの前を、先導するエアリアルの次を歩いていた。


 先導するエアリアルをアオイはじっと見つめていたようだが、後ろからではアオイがどんな表情だったのかはわからない。


 しかし、アオイの背中からはなんとも言えない悲しみのようなものを感じられた。


 エアリアルがアオイにとって、どのような存在なのかはタマモにはわからない。


 ただ、エアリアルはアオイを「お嬢様」と呼んでいたことから、おそらくは現実でもエアリアルはアオイに仕えているのだろうということはわかる。


 具体的にどのくらいの距離感なのかまではわからないものの、タマモの元に一時的に出向することになるエアリアルに対して、並々ならぬ想いは抱いていることはたしかだ。


 そんなふたりを引き裂いてしまったのは、ひどく後味が悪いが、タマモもタマモで後に引けない事情もある。


 今回ばかりはその後味の悪さをぐっと堪えようとタマモは決めた。


 そうしてエアリアルの先導の元に辿り着いた応接間は、とても広々としたものだった。


 対面するように二脚のソファーがあり、そのソファーを挟むようにして大理石のような真っ白な石のテーブルがあった。

 

 壁にはいくらかの絵画と壺や全身鎧などの調度品が置かれていた。


 まるでエリセの実家を想わせるような、成金という言葉で想像できるような一室だった。


 が、エリセの実家とは違い、置かれている調度品は貴金属で作られていたり、高価そうな宝石をあしらわれていたりなど、無駄に金が掛かっているというものではない。


 たとえば、置かれている絵画を取っても、芸術に素養がなければ、「なんじゃこりゃ?」としか思えないものではなく、よく晴れた日のどこかの草原を丁寧に描いたもので、言ってはなんだがありふれたものだった。


 壺や鎧にしても、色味は地味ではあるが不思議と手に取って見たくなるような魅力があったり、新品ではあるものの重厚感があり、このまま身につけて戦場に出てもおかしくないようなものだったり、と。


 とにかく、金に物を言わせて高そうなものを買い集めたという風ではない。純粋にアオイが惹かれたものを値段の高低関係なく集めたという風にタマモには思えた。


 趣味がいいなとタマモは思いながら、「座るといい」とアオイに進められて下座にあたるソファーへと腰掛けた。


 アオイは対面の上座に腰を下ろした。そこにいつのまにか用意していたのか、エアリアルが淹れた紅茶が置かれたのだ。


「粗茶ですが」とお決まりの言葉を口にするエアリアル。タマモは「ありがとうございます」とお礼を言い、紅茶を一口啜り、「美味しいです」と味の感想を告げた。


 エアリアルは「恐縮です」と一礼をすると、アオイとタマモの間のテーブルのそばに控えた。


 その様は非常に洗練とされており、見様見真似ではなかった。


 その様を見て、エアリアルがアオイの家に仕えている使用人なのだろうとタマモは断じた。


 そうでもなければ、エアリアルのあまりに美しすぎる所作の理由にはなりえない。


「ボクと同じお嬢様なんだなぁ」と思いながら、タマモは「蒼天城」に来た理由についてを語るだけ語ったのだ。


 アオイは時折相づちを打ちながら、タマモの話を聞いていた。


 相づちを打ちつつも、稀に「は?」とか「なんじゃと?」とあ然とした顔を浮かべはしていたが、概ね表情を変えることなく、タマモの話をアオイは聞いていた。


 あ然としていたのはアオイだけではなく、そばに控えていたエアリアルも同じで、呆然としているのか、何度も瞬きをくり返すほどだった。


 似たもの主従だなぁと内心で笑いつつ、タマモは「蒼天城」に来た理由を、アオイへの助力を請う理由をすべて語り終えたのだ。


「──というわけで、アオイ、君の力を貸して欲しいと思っている」


 タマモは二杯目となる紅茶を飲み干してから、アオイをじっと見つめた。


 紅茶を飲み干すと、すかさずエアリアルが空いたティーカップへと手を伸ばし、お代わり分の紅茶を淹れ始めた。


「すみません」と一礼をしつつも、タマモはアオイから視線を外さなかった。


 さすがにこの状況から、さきほどまでのような不意討ちを仕掛けてくるとは思えないが、この手の場において視線を逸らすべきではない、とタマモは感じていた。


 交渉事というのは、基本的には損益の奪い合いである。


 こちらの損をできるだけ減らし、できる限りの益を得る。


 逆に相手側の要望をできる限り、こちらが負担する量をできる限り減らしつつ、相手の要望を満足させる。


 どのような交渉事においても、基本となる形は同じだ。


 中にはこちらの損を度外視することもありうるものの、今回の交渉においてはタマモは一方的なイニシアチブを握っている。


 アオイ自身が「勝って言うことを聞かせてみせろ」と言ったうえに、二度も不意討ちをし、そのうえで負けたのだ。


 加えて、タマモは目的成就までエアリアルの身を預かることをアオイに認めさせている。


 身を預かるといえば、聞こえは多少いいものの、事実上エアリアルは人質だった。


 本人の口からの条件をクリアし、人質という枷も手に入れているタマモが、圧倒的な優位性を誇るのは当然のことだった。

 

 そのことを理解しているからなのか、対面側に座るアオイは、ことさら紅茶をゆっくりと啜っていた。


 アオイの紅茶は、まだ一杯目。エアリアル手製の紅茶をまるで名残惜しむように、アオイはゆっくりと紅茶を啜っていた。


 アオイが紅茶をゆっくりと啜る間に、タマモはすでに二杯飲み終えており、いまエアリアルが淹れてくれているのは三杯目となる。


「どうぞ、タマモ殿」


 淹れ終えた紅茶をエアリアルはそっと差し出してくれた。


 差し出された紅茶をタマモは「ありがとうございます」とお礼を言いながら受けとると、口元に運ぶ。


 タマモはいつも以上に喉の渇きを覚えていた。


 理由は単純で、「蒼天城」に来た理由を、アオイの助力を求める理由を語るだけ語ったからだ。


 むろん、語っていない部分は多い。

 

 たとえば、「ヴェルド」がゲーム内世界ではなく、実際の異世界であることは語っていない。


 そもそも、実際の異世界であることを知っているのは、プレイヤーの中で知っているのはタマモとマドレーヌのふたりだけである。


 助力を請うのであれば、アオイにもエアリアルにも語っておくべきなのかもしれないが、聖風王からは釘を刺されているため、今回の件に協力してもらっても真実を語ることはできない。


 真実を語らずかつ、できるだけ状況を説明するためにタマモは口数を増やさなければならなかった。


 その結果、いつも以上の喉を渇かすことになってしまったのだ。


 その話もいましがた終わり、あとはアオイからの返事を待つのみである。


 そうして返事を待ちながら、エアリアル手製の紅茶を楽しんでいると、ようやく一杯目を飲み終えたアオイが「ふぅ」と息を吐きながら、タマモを真剣な表情で見つめた。


「……ひとつ聞きたい」


「なんだい?」


「その、エリセ殿という女史は、おまえにとって大切なのか?」


「……そうだよ」


「相手はNPCだぞ? このゲームがサービス終了すれば、もう二度と見えることもない相手なのだぞ?」


「……それがなに?」


「失礼なことを言うが、タマモ、おまえは正気なのか?」


「正気のつもりだよ。だから、なにを差し置いてもボクはエリセを助けに行きたい」


「……そうか」


 はぁと大きく溜め息を吐くアオイ。「参ったものだ」と言わんばかりに前髪を掻き上げながら、アオイはしばらく黙り込んだ。


 まるで言葉を選んでいるかのようにタマモには感じられる。


 だが、それは当たり前の反応だった。


 アオイにしてみれば、タマモの行動はおかしなものだ。


「正気なのか」と尋ねてくるのもわからなくもない。


 アオイにしてみれば、タマモは「データだけのNPCに熱を上げている狂人」という風に見えるのだろう。


 タマモがアオイと同じ立場であれば、きっと同じ感想を抱いただろうから、アオイが困惑をするのもわからなくはなかった。


 アオイにとってみれば、この世界はただのゲーム内世界。実在しない虚構の世界でしかない。


 その虚構の世界でどれほど愛おしい人と出会えたところで、「サービス終了」という現実が押し寄せればそれで終わる。


 どれほど絆を築いたところで、現実という壁を乗り越えることはできないのだから。


「……君にとって、ボクは狂人に見えるんだろうね」


「……」


 タマモははっきりと言い切った。アオイはなにも言わない。


 なにも言わないということが、なによりもの答えだった。


「それでもボクは、エリセを愛している。他人がなんと言おうと関係ない。狂人だと言いたいのであれば勝手にすればいい」


「……なぜ、そこまで?」


「愛しているから。それが理由じゃおかしいかな?」


「……愛、か」


「ああ、そうだ。愛ゆえにだよ」


 言いながら恥ずかしいと思うタマモだったが、一度口にした言葉を撤回はできない。


 頬を赤らめながら、タマモは咳払いをした。


 すると、アオイは再び大きく溜め息を吐き、そして──。


「わかった。協力しよう。さすがの我でもここまでの狂人には勝てんからな。そもそも、負けている以上、勝者の言葉には従わねばならぬ。ただし、そのエリセ殿の情報が確実に手に入るかはわからぬ。それでもよいか?」


「構わない。少しでも情報が集まればいい」


「そうか。では、行くとするか」


 そう言って、アオイはソファーから立ち上がった。


 だが、アオイの言う意味がいまひとつタマモには理解できなかった。


「……どこに?」


「決まっている。我も今後はおまえと行動を共にさせてもらう」


「……は?」


「エアリアルを預けるための身辺調査も兼ねてだ。それに我が一緒に行動する方がいろいろと助かることもあるはずだが?」


 アオイの言葉を否定することはタマモにはできなかった。


 たしかにアオイがいることで助かることはたしかにある。


 裏側の情報を手にするためには、裏に顔が利くアオイの存在は必要だった。「蒼天城」に来たのもアオイの持つ情報網が必要だったからだ。


 その情報網を握るアオイが行動を共にしてくれるのであれば、なにかあっても、アオイに許可を取るという行動を取らなくても済むようになる。


「……たしかに君の言う通りだな」


「ゆえに、行動を共にさせてもらうぞ、タマモ」


「……わかった。ただし、途中で裏切るなよ?」


「ふん。そんな恥さらしなことなどせぬわ。裏切りなど最も恥ずべき行為にして、最も醜い行為なのだからな」


「そう。じゃあ、その言葉を信じるとしよう」


「うむ。そうするがいい」


 タマモはアオイに手を差し伸べた。差し伸べられた手を、アオイはわずかに間を置いてだが、恐る恐ると握った。


 こうしてタマモはアオイと行動を共にするという形で、アオイとの協力を得ることになったのだった。

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