27話 胸騒ぎ
タマモが汗を流していた。
西日を浴びながら、滴る汗を拭いつつ、タマモは作業を進めていた。
その姿をエリセは休憩スペースから眺めていた。
「旦那様、頑張っておられていますね」
エリセとともにタマモの作業を見守りながら、アンリはお茶の用意を行っている。
すでにエリセとアンリの前には、それぞれのお茶とお茶請けが置かれている。
いまアンリが用意しているのはタマモのものだ。
今日の作業はそろそろ終わりだった。
作業員の虫系モンスターズも、それぞれに撤収作業を行っていた。
撤収作業をしているのは虫系モンスターズだけではなく、タマモも同じであった。
同じだが、進捗の度合いは少し遅れていた。
というのも、タマモは誰よりも長く作業を進めていたため、その分だけ撤収作業に入るのが遅くなってしまっていたのだ。
結果、他の作業員と比べると、撤収作業の進捗は当然遅くなってしまっていたのだ。
だが、遅いと言ってもわずかに遅れている程度でしかない。
時間の差にしてみれば、数分ほどというところ。
しかし、数分の差もあれば、早い者であればすでに作業を終えられるくらいの差でもある。
撤収作業も終わった虫系モンスターズの姿が、ちらほらと見受けられるようになっていた。
先に作業を終えた虫系モンスターズたちも、はじめはタマモの作業が終わるのを待っていたが、いまや作業を終えた順から、タマモの作業の手伝いをしてくれている。
先陣を切ったのは、ダークマンティスたちだった。
自分たちのやらかした件を、自分たちのせいでタマモに余計な負担を掛けてしまったことを引きずっていたのだろう。
自分たちの撤収作業を終えるやいなや、率先してタマモの手伝いを始めたのである。
タマモもはじめは「休んでいていいんですよ?」と言っていたのだが、ダークマンティスたちは首を縦に振らなかった。
ダークマンティスたちのやらかしについては、すでに解決済みだった。
タマモが昼休憩をしている間に、ダークマンティスたち自身によって、残りの木材の加工の大部分は終わったのである。
それまでにタマモが加工していたということもあるのだが、単独での作業よりも、大多数での作業の方が相対的に進捗は速くなる。
もちろん、例外はあるがその例外も、大多数が未経験者ばかりということくらい。
ダークマンティスたちは、いや、トワが派遣してくれた虫系モンスターズは、誰もがこの手の作業の熟練者である。ダークマンティスたちは加工に関するエキスパートたちだった。
そのエキスパートたちが、張り切って作業に挑めば残りがどれほどあろうとも、タマモの昼休憩が終わる頃には大多数を終えられるのも当然ではある。
しかも今回に至っては、ダークマンティスたちは自分たちの名誉挽回とタマモへの感謝という理由があった。ダークマンティスたちが普段の全力以上を賭すのは当然であった。
そうして加工に関しての問題は終わり、ダークマンティスたちも、タマモも改めてそれぞれの作業へと戻っていったのだ。
だが、それでもなおダークマンティスたちにとっては、自分たちのやらかしに対してまだ思うところがあったのだろう。
もしくは、純粋にタマモを慕ってくれたのだろうか。
どちらにしろ、ダークマンティスたちは自分たちの作業も終えたというのにも関わらず、タマモの手伝いを率先して行ってくれたのだ。
リトルマンティスたちもダークマンティスたちに続いてタマモの作業を手伝っていた。
その様子を見て、他の虫系モンスターズたちも、自分たちもとタマモの作業を手伝ってくれていた。
上から押さえつけられたからではない。
自分たちの意思で、タマモの手伝いをしてくれていたのだ。
決してトワから言われたわけではない。
誰もが自分たちの意思に則って、タマモの手伝いを行ってくれている。
「……ええ光景やね」
「そうですね。旦那様のために皆さんが手を貸してくださる。素晴らしい光景だとアンリも思います」
「うん。さすがは旦那様」
「はい」
目の前の光景にエリセはアンリとともに誇らしさを感じていた。
進んで作業を手伝ってくれるということは、それだけタマモがみずからの役割を全うしているということだ。
タマモの役割はこの現場における作業監督。その作業監督みずからが建築を行うというのは、いかがなものかと思わなくもない。
だが、タマモがみずから建築を行っているからこそ、虫系モンスターズは、トワの配下の虫系モンスターズはタマモを慕うようになってくれた。
「七星の狐」だからだけではない。
タマモを慕ってくれているのだ。
それがエリセとアンリには堪らなく嬉しかった。
特に、里長であったエリセにしてみれば、いまのタマモと虫系モンスターズの関係が得がたいものであることをよく理解できていた。
地位さえあれば、誰もが平伏はする。
地位には権力というものも付随するものだ。その権力によって他者を平伏させることは容易い。
しかし、権力をかざすだけで、好意を抱かせることはできない。
その点、タマモは権力を持っていても、それをかざすことはしない。
同じ目線、同じ立場で、同じ作業をしている。
それが虫系モンスターズの琴線に触れたのだろう。
面倒な撤収作業であるはずなのに、虫系モンスターズは誰ひとり嫌そうな顔はしていない。
それどころか、誰もが笑っているのだ。
中には笑っているどうかわかりづらい個体もいるにはいるが、纏っている雰囲気はとても穏やかだったのだ。
誰もがタマモを認め、慕っていた。
立場的に言えば、この場においてタマモは虫系モンスターズの上司で、虫系モンスターズはその部下となる。
部下が上司を認める。
上司が上司としてするべきことを、きちんと行えてこそ成り立つことだ。
それがどれほどまでに難しいことなのかを、エリセは痛いほどに理解している。
だからこそ、いまのタマモと虫系モンスターズの有り様は得がたく、とても素晴らしいものだとはっきりと断言できた。
さすがは旦那様とエリセは思いながら、「あれ?」と周囲を見渡した。
「アンリちゃん」
「はい?」
「フブキは?」
普段であれば、せっせとお世話をしてくれているはずのフブキが見当たらなかった。
タマモの弁当を作っているときも、手伝ってくれていたはずだったのだが、いまはどういうわけか見当たらなかったのだ。
「フブキちゃんであれば、買い出しに行って貰っていますが」
「買い出し?」
「はい。お茶っ葉がちょうどなくなってしまいましたので。後で行こうかと思っていたのですが、フブキちゃんが」
「率先して行ってくれたと」
「ええ。アンリも一緒に行くべきかと思ったのですが、「そろそろひとりで買い出しくらいいけないと」と言われてしまいまして」
アンリは笑っていた。笑っていたが、いくらか尻尾が不安げに揺れていた。
その気持ちはエリセにも理解できた。
フブキはしっかり者だが、いくらかおっちょこちょいなところがあるし、なによりも妖狐族としてみればまだ幼少である。
その幼少の子に些細なものとはいえ、買い出しを頼むのは少し不安なのだろう。
「……ちょっと見てくるわ」
「そう、ですね。少し心配ですし」
「うん。旦那様にはよろしゅう言うといて」
なにかあるわけではない。
それでも、妙な胸騒ぎを感じたエリセは、アンリに言伝を頼んで「アルト」の街中へと向かっていったのだった。




