Sal2-24 幸福を祈って
眩い光だった。
天高く昇っていく光。
きらきらと、眩い光を放ちながら空へと昇っていく。
透き通った空へと昇る光を、クオンはじっと眺めていた。
「……別嬪さんになったなぁ」
まぶたの裏に焼きついた姿。とても美しく成長したエリセの姿に、クオンは大きく頬を綻ばせていた。
本当はもっと言いたいことはあった。
それこそ数え切れないほどにだ。
だが、その言葉を口にすることはできなかった。
いや、できるわけがなかった。
生前の頃に、エリセにしていたことを考えれば当然だ。
そもそも、当のエリセが自分の言葉など聞きたくもないだろうし、いまさらそんなことを言ったところで意味もない。
「……よかったのか、クオン?」
不意に声が聞こえた。
この場でクオン以外で存在する者はひとりしかいない。
例外であったエリセはもういない。
すでにその痕跡もない。あるとすれば、エリセが飲んでいた竹筒くらいだが、その竹筒も徐々に光となっていく。
まるでエリセを追いかけるようにして、竹筒は消えていく。
「これ、クオンよ。聞いておるのか」
声の主の言葉に、クオンは慌てて、麦わら帽と手ぬぐいを外し、その場に跪いた。
クオンに声を懸けたのは、ひとりの女性だった。
眩い光を放つ金色の髪と九つの尾を持った妖狐族の女性。
正対しているだけで背筋が震えるほどの魔力を持つ、妖狐族の始祖であり、この「狭間の花園」の主たる神獣九尾その人だった。
「九尾様。ようこそ──」
「無用な挨拶はいらぬ。それよりもよかったのか?」
「……なんのことでありましょうか?」
「とぼける必要はない。そもそも、もうエリセはおらぬぞ?」
九尾の言う通り、エリセはもうとっくにいなくなり、現世へと舞い戻ってくれた。
「……たしかにもうあの子はおりませぬ」
「意地を張っているのか?」
「意地、というわけではありませぬ。ただ、私にはあの子に対して言うべきことがなにもないというだけのこと」
「……なにもないというわけではなかろうよ。あれはそなたの」
「……子を愛さぬ親などいるわけがない。いや、いていいわけがないのです」
「そういう巡り合わせの親子もあるであろうよ。それにだ。愛していなかったのはかつてのそなたであり、いまのそなたではない」
「だからと言って、私がエリセに、娘にしてきたことをすべて許されるわけがありますまい」
「……本当に頑固者じゃな。エリセにもそういう頑迷さはあるが、そなた譲りじゃな」
「……エリセが嫌がりましょうな」
「まったく、そなたと来たら」
やれやれと九尾は肩を竦めていた。
肩を竦める九尾をクオンは下から眺めながら、「恐縮です」とだけ言った。
「のう、クオン」
「はい?」
「エリセにはそなたが望んだ通りのことを伝えたが、本当によかったのかえ?」
九尾が話題を変えた。
いや、実質話題は変わっていない。
クオンにとっての最愛の娘であるエリセのことについてのまま。
ただ、その内容は変わった。
少し前までこの花園にいたエリセについて。だが、いま九尾が口にしたのは、クオンが頼み込んだことについてだった。
クオンが頼み込んだこと。それは九尾に夢枕に立って貰い、エリセに迫る危険についてを伝えて貰うことだった。
その際、シオンの中にいるクオンのことについても伝えて貰った。……かなり悪辣な内容にしてだが。
悪辣な内容はすべてクオンが考えたもので、その内容を聞いた九尾は最初顔を引きつらせていた。
悠久の時を生きた九尾でさえも、顔を引きつらせるほどの悪辣さだったが、それでもエリセに危機感を募らせるにはああでもしないと無理だった。
「正直、口にするのも嫌になるような内容であったが、そなたの頼みであったからこそ、そのままのことを伝えはしたが」
「……お手数をおかけしました」
「構わぬ。大した手間ではなかったしな。ただ」
「……内容の悪辣さについてでしょうか?」
「うむ。あのようなでたらめをよくもまぁ思いつくものじゃ。それも、そなたが極悪人としかならん内容をよくまぁ思いつくものよ」
九尾はじっとクオンを見つめていた。
その視線を浴びながら、クオンは「恐縮です」と再び口にした。
「のぅ、クオン」
「……あの子の夢枕に立てということでしたら、お断りいたします」
九尾が言い出しそうなことを、クオンは先んじて断った。
九尾は溜め息交じりに「左様か」と頷いた。
「……どうしてそこまで頑なになるかのぅ」
「愛するからこそ、です。あの子を、エリセを愛するからこそ、私は私のかつての行いを許せないのです」
クオンの脳裏に浮かぶのは、かつての自身が行ってきたこと、エリセに対する非道であった。
生前の頃は、当然と思っていた行為。
いまは当時の行いは非道としか思えないが、なかったことにはできないことだ。
いや、してはいけないことだった。
だからこそ、エリセに名乗り出ることはできなかった。
仮にしたところで、エリセにとってどういう扱いをされているのかなんて考えるまでもない。
エリセにとって、クオンは父親ではあるが、あくまでもそれは血縁上ではの話。エリセ自身が父として慕ってくれているはずがない。
というか、慕える要素がかつての自身にあるのだろうかとさえ、いまのクオンには思えてしまう。
そんな父という肩書きを持った男が、いまさら現れたところで疎まれるだけなのは目に見えていた。
それどころか、攻撃を仕掛けてくる可能性もあった。
当然のことだとクオンは思うし、攻撃を仕掛けてきたら甘んじて受け止めるつもりではいる。
それほどのことをかつては行い続けてきたのだ。
優しい言葉はおろか、名前さえまともに呼んだこともない。それどころか、まともにエリセと触れ合ったことさえないのだ。
……たった一度を除いてだが。
だが、その一度はきっとエリセは憶えていない。憶えていられる余裕があの子にはなかっただろうし、無理もないことだ。
だが、クオンにとってはそうではない。
その一度が切っ掛けとなったのだ。
もっともその頃にはすでに妻であるエリスによって、生前の体は蝕まれていて、もう余命幾ばくかもない頃ではあった。
エリスの行いも当然だった。
クオンの一族を根絶やしにする。暗い熱情に突き動かされるのも理解できたし、納得もできることだった。
できることなら、謝りたいとは思う。
だが、いまさらどんな顔をしてエリスに会えばいいのかさえもわからなかった。
「……九尾様」
「うん?」
「お手数をおかけ致しますが、今後もどうか、どうかあの子を導いてくださいませ」
「……そなた自身で導くという手もあるんだがな」
「……私はあの子にとって父ではあります。ですが、同時にあの子にとっては「父」という肩書きを持った他人同然の男でしかないのです。そんな男に導かれることなど、あの子が望むわけがありません。蛇蝎同然に嫌われるのも無理からぬほどに、かつての私は非道を行っておりました」
「そう思うのであれば、なおさらではないか? エリセのためになにかをするべきではないか?」
「……この花園から現世に戻すことができた。それが私にできる唯一のことです」
「……わかった。まったく、この頑固者が」
「申し訳ありませぬ」
「よい。いまさらなことだ。それよりも、そなたの願いを聞き届ける代わりに、今後もここの管理をせよ。幾星霜の時を経たとしても、な」
「承知いたしました。この魂が朽ち果てるそのときまで、この身を粉にして九尾様のお役に立つことを誓います」
「わかった。精進せよ、クオン」
そう言って九尾はふっと姿を消した。
エリセのように光となったわけではない。
忽然とその姿を消したのだ。
相変わらずの神出鬼没さだなとクオンは思いながら立ち上がると、花々の世話へと戻った。
「……幸せになるんやで、エリセ」
クオンにはたった一回だけしか向けることのなかったエリセの笑顔を思い浮かべながら、クオンは愛おしい娘の幸福を祈った。
たとえ、この想いが伝わらなくてもいいと思いながら、ただひたすらに愛娘の幸福を祈っていった。




