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21話 不安にならないように

 普段よりも暑い夜だった。


 フクロウの鳴く声が静かにこだまするほど静かだが、気温はいつもよりもやや高く、なにもしていなくても自然と汗は噴き出した。


 農業ギルドの敷地内に流れる小川の水が、氷結王の御山から流れる水は通年で冷たい。


 だが、少し前に比べると明らかに水温は高くなり、水遊びするにはちょうどいいくらいの温度になりつつあった。


 その他にも季節が移り変わっていく様が実感できるようになっていた。


「ヴェルド」における二度目の夏が近付きつつある、そんな初夏の夜──。


「……誤解、どすか?」


 ──タマモは本拠地内の私室にて、エリセとベッドの上で向かいあっていた。


 当然タマモは正座である。エリセは寝間着姿でベッドに横座りしながら、正座するタマモを横目に見つめていた。


 タマモを見つめる視線は、やけに鋭く、そして冷たい。


 普段タマモはエリセを怒らせることは少ない。


 が、一度も怒らせたことがないわけではなかった。


 というか、いまの関係になる前に、ちょうど去年のクリスマスにエリセの寝所へと無断で侵入した際に威嚇されたことはあった。


 あのときはせいぜい威嚇であったが、エリセが怒声をあげたことには変わりない。


 それ以外でも、ヤキモチの結果、エリセの瞳孔が縦に裂けさせたことも一度や二度ではない。


 冷静になって振り返ると、「わりと怒らせているな」とタマモは思ったが、今回のエリセの態度はいままで以上のものである。


 普段であれば、ふたりっきりになれば、昼間は口では言えない状況になるというのに、今夜に限ってはエリセのガードが堅いのだ。


 なにせ、決して肌を必要以上に見せようとしていない。


 それどころか、ベッドに腰掛けているのに、タマモと距離を取るようにして座っていた。


 それこそあからさまに「近付くな」と言われているようにさえ、タマモには感じられた。


 だが、なによりもエリセの怒りを痛感させられているのは、その目である。


 普段のエリセはまぶたを閉じている。が、タマモとふたりのときはうっすらとまぶたを開いているのだが、今日に限ってはしっかりと目を見開きながら、タマモをじっと見つめている。


 言外で「嘘を吐いてもすぐにわかるぞ?」と言われているような状況下だ。


 その状況ゆえにか、タマモの背筋を伝う汗はやけに早く、そして量が多くなっていた。


 ドラマなど「浮気のバレた夫とその弁明を聞く妻」とワンシーンはわりと見かけるが、実際にはとんでもない重圧を感じるものなんだなとタマモは今回の件を通して痛感していた。


 もっとも、タマモにしてみれば「浮気はしていない」とはっきりと弁明できた。


 実際、タマモは浮気はしていない。


 が、浮気に見えるようなことをしてはいる。


 しかし、あくまでもそれも浮気に見える程度であり、実際に浮気をしたわけでは、他の女性にうつつを抜かしたわけではない。


 タマモ自身はエリセとアンリ一筋である、とタマモは寝室に入ってから熱弁したのだ。正座をしながら。


 その間、エリセは無言で髪を梳かすだけで、タマモを見ようとも、タマモと話をしようともしていなかった。


 寝間着姿で淡々と髪を梳くだけだった。


 その間のいたたまれなさは筆舌にしがたいもので、最初は熱したような勢いでの発言をしていたタマモが、最終的には尻切れトンボとなるほどであった。


 それほどまでにエリセからの圧は凄かった。


 タマモがつい涙目になるほどに凄かった。


 それでもどうにか。


 そう、どうにかタマモは弁明を為したのである。


 その間にリッター単位で汗を流したようにタマモ自身は感じていたが、それでもちゃんと弁明を為し、エリセとアンリ一筋であることを伝えきったのだ。


 ……相手がふたりいるのに、「一筋」というのはどうなのだろうとタマモ自身思わなくもないのだが、事実は事実である。


 タマモはエリセとアンリにぞっこんであり、他の女性などにはもう目移りすることはない。そうはっきりと断言しきった。


 そこまで断言して、ようやくエリセの重たい口を開き、発したのが先述の「誤解」という一言であったのだ。


 いままでの長く苦しいひとりっきりでの戦いもようやく終焉を迎えたのだ、とタマモは内心で涙しつつも、「その通りです」と力強く頷いた。


「……ふぅん?」


 力強く頷いたタマモに対するエリセからの返答は、短すぎる一言であった。


 あまりにも短すぎる一言は、タマモがこれからの話をどう組み立てるべきかを、とっかかりを潰すようなものであった。


 それだけエリセの返答は簡易すぎた。あまりにも簡易的で短すぎた。


 タマモは「え、ええ」とだけ頷くので精一杯であった。


 話を続けようにも、とっかかりさえ与えてくれないエリセ。


 その態度にタマモの目尻には再び涙が浮かぶも、歯を食いしばり、目元を拭ってタマモはきりっとエリセを見やる。


「そう。誤解なんだ。いや、誤解なんですよ!」


 エリセを見やりながら、タマモは自然と普段の口調から丁寧語を繰り出した。それこそ、いまであれば、出会った頃のようにエリセを「さん付け」で呼びかねないほどに、タマモは緊張していた。


 かえって逆効果になりかねない気もするが、それほどまでにタマモはすでに追い込まれていた。


 いまもだらだらと冷や汗が流れつつある。


 それでも、とタマモはエリセをじっと見つめていた。


 お腹はさっきからずっとキリキリと痛み続けているが、「だからなんだ」と奮い立たせながら、タマモはエリセを見つめていた。


 誤解を解くためであれば、このくらいどうということではない、とタマモは目をクワッと見開いた。


……目を見開くも、正座する脚はぶるぶると震えているが、それでもタマモ自身は真剣そのものである。


 たとえ、実態は嫁に浮気は誤解であることを伝えるためという、なんとも情けないものであっても、タマモは真剣そのものであった。


 真剣な表情でタマモはエリセを見つめていた。決して挫けはしないと誓いを立てながら。


「へぇ? 誤解、なぁ?」


「……はい、誤解、なんです」


 不屈たろうとしていたタマモだったが、その心はエリセの一言で折れ掛かっていた。


 エリセはただ薄く笑っただけ。


 だが、その笑みと言葉により、タマモは心はぽっきりと折れ掛かってしまった。


 完全に折れなかったのは、単なる意地ゆえにである。


 タマモ自身は「もう無理ですよぉ」と言いたい。


 しかし、ここで折れてしまうわけにはいかない。折れてしまったら、尻に敷かれる未来しか待っていないのだ。


 すでに「そうなっているでしょう?」とこの場にいないレンやヒナギクは言うだろうけれど、それでもまだ辛うじて尻に敷かれているわけではない、はずなのだ。


 ゆえにタマモは尻に敷かれぬ未来、否、対等な夫婦としての未来を手に入れるために頑張るべく、歯を噛み締めようとした、そのとき。


「あはははは」


 エリセが突如として笑い出したのだ。


 いきなり笑い始めたエリセの姿に、タマモはあ然としながら、「え?」と瞬きをくり返した。


 そんなタマモを見て、エリセはお腹を抱えて笑っていた。


 いままでの圧溢れる姿とはまるで違っている。


 いったいどういうことだろうとタマモが思っていると、エリセは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、「あー、おかしい」と笑った。


「旦那さまをもう少し困らしたかったけど、百面相楽しすぎて、もう無理どす」


「……えっと、それってつまり?」


「わざとどすなぁ」


「……えーりーせぇ~!」


 にっこりと笑うエリセを見て、タマモはベッドの上で跳んだ。


 そんなタマモを「きゃー」と黄色い声を上げて、エリセは身を捩らせながら、自らベッドに倒れ込む。


 倒れ込んだエリセのうえに、ちょうどタマモは降りた。まるでエリセを押し倒したような態勢となる。


 エリセはベッドの上でタマモを見上げると、艶やかに笑っていた。


 その笑みにごくりとタマモは喉を鳴らすも、いきなりすぎるかと離れようとしたのだが──。


「……離れんといて」


 ──エリセの手がタマモの袖を静かに掴んだのだ。タマモの袖を掴む手はかすかに震えていた。


 その震える様を見て、エリセのいままでの態度の理由がようやくタマモにもわかった。


「……ごめんね。不安がらせて」


「……ええんどす。勝手に不安になっただけどすさかい」


「ううん。君を不安がらせたボクが一番悪いから」


 エリセの不安は誤解でしかなかった。


 が、不安を煽らせるようなことをしてしまったことは事実だった。


 ゆえにエリセが悪いわけではない。悪いとすれば、不安を煽らせるようなことをした自分だとタマモは思った。


「……なら、不安にならへんようにしとぉくれやす」


 エリセはタマモを見上げながら、寝間着の胸元を緩めた。


 露わになった胸元と、縋るような視線にタマモは強い衝動に駆られた。


 その衝動に突き動かされるがままにタマモはエリセにと寝間着に手を掛けるのだった。

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