20話 誤解
「──そういえば、婿殿。エリセはどこかのぅ?」
「夢幻の支配者」の本当の能力である「夢幻の顕現」を試したタマモ。
タマモが最初に試したのは、普段から調理に使っている包丁だった。
包丁の複製品の顕現をタマモは試したのだ。
そうして顕現した複製品は、たしかにいつもの包丁だった。
重さも長さも感触も、すべてがタマモの愛用品そのものであった。
が、その複製品は瞬く間に消えてしまった。
それこそ夢か幻のようにだ。
聖風王とトワは「慣れていなかったから、想像が途切れてしまったのだろう」と言った。
タマモが参考にした作品とは違い、どうやら「夢幻の支配者」が作り出す複製品は、想像を続けていなければあっさりと消えてしまう類いのもののようだ。
もしくは、ふたりが言うようにタマモが慣れていなかったがために、顕現させ続けることができなかったのだろう。
どういう理由にせよ、複製品の消失はタマモの修行不足によるものである。
要精進。
どんな物事にも通ずる観念だが、改めてその重大さを痛感することになったタマモであった。
今後は新本拠地建設と並行して、顕現の修行を行っていくかと考えていると、聖風王がいま思い出したとばかりに、エリセのことを口にしたのだ。
「エリセ、ですか?」
「うむ。婿殿の元に来たのは、どうにもエリセの反応がおかしかったのでな。なにかあったのかと思い、様子を見に来たのじゃよ」
長い顎髭を撫でつけながら、聖風王は周辺を見渡していた。
しかし、当然のようにエリセの姿はない。
雑木林の中には身を隠すような遮蔽物はない。
せいぜいが木々くらいであるが、その木々にしても幹自体がそこまで太くないため、隠れることは難しい。
仮にできたとしても、エリセがわざわざ身を隠す理由はないとタマモは思った。
「いえ、ボクは見ていないですけど」
「そうなのか? だが、ここにはエリセの魔力の残滓を感じるが」
「残滓、ですか?」
「うむ。本人を直接追った方が手っ取り早かったが、本人を追う前になにかあったかを確認した方がよかろうと思って、ここに跳んだのじゃよ」
聖風王は相変わらず周囲を見渡していた。
魔力の残滓ということは、この雑木林の中にエリセがいたということなのだろうが、少なくともタマモが知る限り、エリセをこの雑木林の中で見かけたことはなかった。
「その残滓っていつのものなのかわかりますか?」
「そうさなぁ。かなり色濃いので、我が輩が訪れる少し前までいたと思うのだがな」
「少し前、ですか」
「うむ。なにか心当たりはないかのぅ?」
聖風王がじっとタマモを見やる。聖風王の視線を浴びながら、タマモの脳裏に浮かんだのは、トワに膝枕をして貰っていたときのこと。
正確には、トワによって悪夢を見せられていたときのことだ。
そのときであれば、タマモには意識がなかったため、仮にエリセがこの場に訪れたとしても、タマモが知らないのも頷ける。
「トワさん、エリセを見ましたか?」
ただ、さすがに意識がなかったときのことはタマモにもわからない。
わかるとすれば、タマモに悪夢を見せていたトワくらいだろうと思い、タマモはトワにそのときのことを尋ねた。
が、トワは申し訳なさそうに首を振った。
「申し訳ありません。そのときは私もタマモ様にと集中しておりましたので、周囲がどうなっていたかまではわかりませんわ」
「ボクに集中、ですか?」
トワの回答は思わぬものだった。
見ていないではなく、わからないという答えは、なんとも曖昧だ。そのうえ、なんでタマモに集中しているのかがよくわからない。
が、トワの回答に聖風王は「なるほどのぅ。ではわからんのも無理はないな」と頷いた。
タマモにはトワの答えの理由はわからなかったが、聖風王には納得できたようだ。
しかし、当のタマモにはどういうことなのかがよくわからないままである。
「どういうことですか?」
理由を尋ねると、トワが口にしたのは、「夢幻の支配者」についての捕捉のようなものだった。
「そうですね。「夢幻の支配者」が創造神のような力を持つ方であることは理解されましたね」
「ええ、想像を現実に創造できるから、ですよね?」
「その通りです。タマモ様は無自覚かつ未熟ですが、それでも「夢幻の支配者」であることには変わりません。「夢幻の支配者」に悪夢を見せるのですから、集中するのは当然でしょう」
「要は専門家相手に専門分野で勝負を仕掛けたようなものじゃよ。鱗翅王とて催眠系は得意ではあるだろうが、それでも「夢幻の支配者」には遠くおよばぬ」
「はっきりと申し上げますと、タマモ様はもはや亜神の領域に踏みこんでおられます。まぁ、いまはまだわずかではありますが、それでも神々の領域に踏みこまれている方相手に、その方の専門分野で挑んだのです。周りを確認できないほどに集中するのも当然でありましょう」
途中から聖風王も事情の説明をしてくれて、周りが見えなくなるほどにトワが集中していた理由を、ようやくタマモも理解できた。
創造神同然の力と言われていたが、まさか神の領域にまで脚を踏みこんでいたとは思っていなかったのだ。
もっとも、神は神でもまだ亜神の領域までのようだが、それでも神々の領域に脚を踏み入れたことは間違いなく、そんな相手の専門分野で勝負を挑んだら、周りが見えなくなってしまうのも当然のことだった。
聖風王が「なるほど」と頷く理由もわかる。
畑違いとは言わないものの、得意分野と専門分野では似ているようでまるで意味合いは違っている。
トワの催眠はあくまでも得意分野の範疇であるが、タマモにとっては専門分野だ。
しかもタマモは亜神の領域に、いつのまにかに踏みこんでいる。
その相手の専門分野と得意という程度のトワが挑むのだから、集中に集中を重ねるのは当然と言える。
そんな状況で、エリセが訪れたかどうかがわかるわけもないし、そんな気を回せるほど、そのときのトワに余裕があるわけもなかった。
「……なんだか、申し訳ないことを」
「いえいえ、あくまでも私が老婆心を働かせたまでのことですもの。タマモ様がお気にされることではありませんわ。むしろ、謝るべきなのは私の方ですわね。いくら格が違うとはいえ、集中しすぎていましたわ。万全を期するためとはいえ、周りが見えなくなるほどなんて、いま思えばやりすぎでしたし」
「いえ、そんなことは」
「ありますわ。この場は戦場にあらず。ですが、もしこの場が戦場であれば、私はあっさりと討ち取られておりました。どれほど力があろうとも、どれほどの配下を抱えていようとも。戦場で周りを見ていないということは、死を意味しますもの。ゆえに今回は私の落ち度です」
淡々と自身を責めるトワ。タマモもなんて言えばいいのかわからず、沈黙してしまった。
トワの言いたいことはわからなくもないが、それでも少しくらいならとは言えなかった。
それだけトワの覚悟は決まっている。常在戦場こそが魔物としての矜持なのだろう。
その矜持ゆえの言葉を否定することはタマモにはできず、沈黙することしかできなかった。そのとき。
「ん?」
不意に、タマモの鼻腔を擽る匂いがした。
鼻をすんすんと鳴らしながら、タマモは匂いのする方へと向かっていく。
その姿を見て、「婿殿?」と聖風王が怪訝そうにタマモを呼ぶも、タマモは聖風王の言葉に応答することなく、匂いを追跡し──。
「これは」
──少し離れた木の根元に、小さく折られた竹皮が落ちていたのだ。
竹皮を拾い、包みを開くと、中からいなり寿司が現れたのだ。
しかも落ちていたのはいなり寿司入りの竹皮だけではなく、竹筒、竹製の水筒も落ちていたのだ。
「……もしかして、エリセ?」
聖風王はエリセの反応がおかしかったと言っていた。
そのことを踏まえれば、ここに落ちる竹皮と竹筒が誰が用意したものなのかは自ずとしれる。
「どうされましたので、タマモ様?」
「それはエリセか?」
タマモが竹皮の中身を改めていると、ちょうど聖風王とトワが駆け寄ってきた。
ふたりもタマモが拾った竹皮と竹筒を見て、状況を察したようだった。
「……来ていた、みたいですね」
「もしかしなくてもですが」
「勘違いされた可能性が高い、のぅ」
いなり寿司入りの竹皮と竹筒。それがなにを意味するのかは考えるまでもないことだった。
大変なことになったなぁとタマモは頭を抱えながら、拾った竹皮と竹筒、エリセが用意してくれたであろう、お弁当をそっと掻き抱いたのだった。




