16話 風が吹きすぎて
木の葉が揺れていた。
いや、木の葉だけではなく、枝や幹も揺れ動いていた。
薄暗い雑木林の中を、やや強めの風が抜き抜けたからだ。
吹き抜ける風は木々だけではなく、雑木林の中にいたタマモとトワを包み込んでいった。
「いい感じの風ですわね」
長い髪を押さえつけながら、トワは穏やかに笑う。
本来の姿であれば、常に宙を舞っているトワにしてみれば、いまくらいの風は大したものではないということなのだろう。
むしろ、いまくらいの風などトワにとっては、そよ風程度としか思えないものなのだろう。
長く美しい緑色の髪を靡かせる様は、非常に様になっており絵になるほどの美しさだ。
絵になるほどに美しいトワだが、その正体は巨大な蝶の魔物にして、虫系モンスターの頂点のひとつであるエンシェントバタフライだった。
いまのタマモが「鑑定」しても「名前」と「種族名」以外は判別不可能となるほどのはるかに格上の存在である。
そのはるかに格上の、それこそ雲の上どころか、大気圏を突破するほどの格上であるトワの膝を貸して貰っているのが現在のタマモである。
「悪夢を見て貰う」というトワの言葉によって、トワの力によって実際に「悪夢」を見せられたことはまだわかる。
が、なぜそれで膝枕をしてもらうという状況に繋がるのかは、いまいちわからない。
トワからしてみれば、タマモは姉であるクーの友人である。
姉の友人であるタマモを地面の上に転がすことなどできなかったということなのだろううが、それでももっと他にやりようはあっただろう。
たとえば、地面とタマモの間になにかしらの敷物を用意するとかあっただろう。
まぁ、敷物を用意するよりも、人の姿になった膝を貸した方が手っ取り早かったのだろうし、もしタマモがトワの立場であれば、同じように膝を貸しただろうから、トワの行動を理解できないと切り捨てることはタマモにはできない。
できないのだが、いまさらながらに「早まったかもしれない」という想いが沸き起こっていた。
「もし、エリセかアンリにいまの姿を見られたら」と思ったからである。
とはいえ、ふたりは分別のある女性だ。
懇切丁寧に説明すれば、事情を理解してもらえることであろう。
もっとも事情を理解してもらうまで、タマモがどういう目に遭うか、もとい苦労することは目に見えているのだが。
「……やらかしたかもですねぇ」
風を浴びるいまに至るまで、そのことを一切考えていなかった自身に、「やらかしたかなぁ」といまさらながらに危機感を抱くタマモ。
その危機感ゆえか、心の中で思っていることを実際に口にしているのに、そのことに気づいていないほどだ。
「なにをですか?」
髪を靡かせていたトワが、タマモの声を拾い、その言葉の意味を尋ねた。
タマモは「ほえ?」とあ然となるが、「口に出していました?」と聞くと、トワは「ええ」と頷いたのだ。
「……あぁ、その、なんと言いますかですね」
「はい、なんでしょう?」
「トワさんからしてみれば、とばっちりというか、言いがかりというか、難癖を付けられるといいますか」
「はっきりとしませんわね?」
「いや、はっきりとはしているのですよ。あくまでもボクの中ではです。ただ、それを口にしていいのかと思いまして」
顔の前で人差し指同士を擦らせるタマモ。その目は誰が見てもわかるほどに泳いでいた。
その様子にトワは半眼にしながら溜め息を吐いた。
「いいから仰りなさいな」
「は、はい。えっとですね。いまボクはトワさんに膝枕をしてもらっているじゃないですか」
「そうですわね。ちなみに私の膝は枕としてはいかがですか?」
「質感、感触、そして景観、三つ揃って最高なのです」
「左様ですか。……景観?」
自身の膝は枕としてどうなのかを尋ねるトワ。タマモは迷うことなく、星5相当のレビューとして返事をする。
タマモの返答に満足げに頷いていたトワだったが、最後の「景観」という言葉に「はて」と首を傾げてしまう。
トワがそうなるのも無理もない。
というか、トワからしてみれば「景観」なんてなんのことだとしか思えないこと。
が、タマモからしてみれば、タマモの視点から見れば「景観」がなんであるのかははっきりとわかる。
そう、タマモの言う「景観」とは、トワの女性の象徴とも言える半球状のそれであった。
真っ白なワンピースだからこそ、はっきりとその形や大きさもわかる。
残念ながら質感や感触は目ではわからないが、膝のすべすべ具合を踏まえると、きめ細やかなもち肌であることはわかっている。
そのことを踏まえてタマモのセンサーはトワのそれのおおよその数値を察知していた。
「ふむ、エクセレントなのです」
「なにがですか?」
「トワさんはファンタスティック寄りなエクセレントな実力の持ち主です」
「……はい?」
なにを言っているの、この子とトワはタマモの言わんとしていることを理解できずにいた。
タマモにしてみれば、エリセやヒナギクには一歩及ばないものの、いままでこの世界で出会った女性たちの中でも、トワが最上位の一角であることを示したのだ。
それこそ「ブラボー」と言って拍手したいほどである。
当のトワにしてみれば、そんなことを褒められてもちっとも嬉しくないことであろうし、そもそもタマモがなにを言いたいのかがまるで理解できないでいた。
「ふむ。たしかに鱗翅王のそれはエリセには一歩及ばずというところだが、大層なものであるな。かかかかか、絶景である」
トワがタマモの言葉に困惑していると、不意にタマモにとっては非常になじみのある声が聞こえてきたのだ。
その声を聞いて、さきほど吹いた風の正体をなるほどと理解し、タマモはトワのそれを通り越して頭上を見上げた。
相変わらず薄暗い雑木林の中であるが、それでもはっきりとその姿を視認することはできた。
というか、本人が手を振っていた。それもタマモとエリセに気付かれづらい、ふたりの直上にある木の枝に腰掛けながらだ。
「……なにをなさっているのですか、聖風王様?」
半眼になってタマモは木の枝に腰掛ける聖風王を見やる。
聖風王はいつものように「かかかかか」と高笑いしながら、腰掛けていた木の枝から離れて、タマモとトワの元まで降りてきた。
「なにを? 決まっているであろう? 婿殿だけが鱗翅王のそれという絶景を眺めるのは不公平であるからな。我が輩もウォッチングをしゃれ込んでいたのよ。いやぁ、服の上からでも十分なほどにいい眺めであったわい」
「かかかかか」と再びの高笑いをあげる聖風王。その言動にタマモがはっきりと「エロ爺」と告げた。
「は、なにを抜かすかと思ったら。男児たるもの、見目麗しい女子に見惚れるのは当然のことよ! むしろ、その麗しさに見惚れぬなど無礼千万! ゆえにこれは当然のこと!」
「それらしい理屈を並べてご自身の行いを正当化するんじゃねーのですよ! 要はただトワさんの絶景を楽しんでいただけでしょうが!」
「うっさいわい! そういう婿殿とてエリセたちがいるというのに、楽しんでおったじゃろうが!?」
「ボクはいいのです! だって同性だからセクハラにはならないのです!」
「いや、それは違う! 同性だからと言ってハラスメントが成立しないわけではない! そのようなあけすけな視線は同性であっても十分にハラスメントが成立するぞ!」
「しないのです!」
「いいや、するわい!」
「むむむむむ!」
「ぐぬぬぬぬ!」
醜い言い争いをするふたりは、ついにはがぷり四つになっての取っ組み合いを始める。
その際の言動でようやくトワはふたりの言う意味を理解し、「今後はもっと厚手の、体のラインがわかりづらい服にしよう」と決めたのだった。
が、そのトワの決意をふたりが知る由もなく、ふたりの醜すぎる言い争いはしばらくの間続くことになるのだった。




