10話 蓄積
夕焼けの灯りが、鬱蒼とした雑木林に木漏れ日となって差し込んでいた。
それでもなお、雑木林はまだ薄暗い。薄暗いが、なにも見えないほどではない。
そんな雑木林だが、いまはいつもよりも明るくなっていた。
その要因を担っているのは、トワだ。
虹色の鱗粉を纏う彼女のおかげで、鱗粉によって雑木林の中は、いつもよりも少しばかり明るくなっていた。
が、さしものトワの鱗粉も、木漏れ日では、そこまで反射できないようで、いくらか雑木林の中明るくできる程度でしかない。
が、木漏れ日だけよりは明るいことはたしかだった。いわば、木漏れ日に続く形でもうひとつの光源ができたようなもの。
ふたつの淡い光源に照らされながら、タマモはトワと対峙していた。
トワと対峙している理由は、トワに「アンリとエリセとなにかあったんじゃないか」と問われたため。
トワの指摘にタマモは「鋭いな」と思った。
ここ最近、タマモは少しばかり疲れてはいた。
新本拠地建設の責任者となったことで、日々建設作業に明け暮れているということも理由のひとつ。
が、一番の理由は、ここ最近のエリセが理由だった。
ここ最近、エリセはやけに塞ぎ込んでしまっていた。
理由を尋ねても、「なんでもない」と笑うだけ。
が、なんでもないにしては、日に日にエリセはやつれていた。
おそらくは、まともに睡眠ができていないのだろう。
「ちゃんと眠れている?」と尋ねても、「寝ていますよ」と笑うだけ。
……ちゃんと寝れているのであれば、少しずつ深くなっていく、目の下の隈についてはどう説明するつもりだろうとと言いたくなる。
が、それを言ったところで、エリセは事情を話してはくれないのだろう。
タマモを信用していないわけでもなければ、信頼してくれていないわけでもない。
エリセはなにも言わないのだ。
なにも教えてくれないのだ。
どうしてなにも教えてくれないのか。
どうしてなにも語ってくれないのか。
タマモにはわからなかった。
エリセの考えがなにもわからなかった。
その悩みがあるからなのか、最近タマモも以前よりも疲労が蓄積しつつあった。
その疲労はこの世界だけではなく、現実の世界にも及んでいる。
大学を二浪し、もはや後はない。
それでも、こうして「ヴェルド」へと足繁く通う姿を見て、両親はなにを思うだろうか。
そのこともタマモの疲労を蓄積する要因となっていた。
いまのところに、両親はただ見守ってくれているし、使用人たちもなにも言わずに応援してくれてはいる。
が、いつまでも見守ってくれているわけでもないだろうし、応援もしてくれるわけもない。
そのうちに結果を出すことを強いられることになるだろう。
その結果がどういう形になるのかは、いまのところなんのビジョンもない。
それでも、いつかは結果を出したい。
いや、出さねばならない。
だが、結果を出す前に、エリセのことがなによりも気がかりだった。
どうしてなにも語ってくれないのか。
その胸の内を話してくれないのか。
不満は積もりに積もっていく。
だが、その不満をただそのままぶちまけるのは、いたずらにエリセを傷付けるだけだ。
タマモはエリセを傷付けたいわけじゃない。
ただ、話を聞きたかった。
その胸に秘めた想いを聞かせて欲しいだけだった。
それさえもおそらくは、エリセにとっては重荷になるかもしれないとわかっている。
だから、タマモもなにも言えないし、言えなかった。……いままでは。
「──最近になってからなんですけど、エリセがどうにも塞ぎ込んでいるみたいで」
トワがなぜ雑木林にタマモを連れ込んだのか。
その理由はいまのいままでわからなかった。
だが、こうして雑木林の奥──クーと別れた場所に辿り着いて、なんとなく理由はわかった。
『……エリセ様というと、「水の妖狐の一族」の出でしたわね?』
トワは言外で言っているのだろう。
言えることは言えるうちに言わないといけない、と。
言わないままでは、機会を逃すだけではなく、本当に伝えたいことも伝えれないまま終わってしまうぞ、とトワは言いたいのだろう。
トワ自身が、そう思っているのだろう。
姉であるクーに対して、トワはなにかしらの伝えたいことがあったはずだ。
だが、それを伝えることはもうできなくなってしまった。
そもそも、千年間も別離していたのだ。お互いに生きていると思わずに、千年も離ればなれだったふたりが、お互いに言いたいことを、伝えたいことを伝えられないのも当然ではあった。
しかし、まだタマモとエリセは永遠の別離をしていない。
その気になれば、いつでもお互いの想いを吐露しあえるのだ。
なら、なぜ言わないのかと。
お互いの想いを伝え合わないのか、とトワは言いたいのだろう。
言えるうちに、伝えられるうちに、自分の想いを伝えきれ、と。
それを表明するために、トワはこうしてクーが旅立ったここへと訪れたのだろう。
……もしくは、トワ自身もこの地で伝えきれない想いを吐露しようとしているのかもしれない。クーへと伝えるはずだった想いを清算しようとしているのかもしれないが。
「はい、エリセは「水の妖狐の里」の長の一族の出なんです」
『ほう。あの里長のですか、私も直接見知っているわけではありませんが、あまり評判はよろしくなかったと記憶しておりますね』
「ははは、そうみたいですね。聖風王様もエリセと弟くん、そしてふたりを産んだお母さん以外は、愚者と吐き捨てておられましたし」
『あの、風の君がですか。私が知る限り、風の君はかなり温厚なお方のはずなのですが、そのお方にそこまで言わせるとは』
トワは呆れているようだった。
その気持ちはよくわかる。
実際、タマモもエリセたち以外の里長の一族と向かい合い、その愚かさがどれほどのものなのかを痛感させられたものだ。
人というのは、権力というものを得ると、堕落することは、人の長い歴史の中で、幾度も繰り返されてきたことではある。
が、あそこまでの堕落をする者たちなど、どれほど歴史を紐解いても早々出てくることはないだろう。
むしろ、エリセとシオンがあまりにも特例すぎるのかもしれない。
特例だからこそ、あの愚かな一族の出であっても、傑物たり得ているのだろう。
『ふむ。もしかしたら、その愚か者どもになにかしらの被害を受けているということかもしれませんわね』
「いえ、それはないです。奴らはひとり残らず聖風王様から制裁を受けましたから。もう生きてはいないでしょう」
『左様ですか。ですが、そうなると塞ぎ込む理由となるなにかがあったということですが、お心当たりはございますか?』
「……なにも。なにもありません。夢見が悪かったと言われたことはありますけど、それくらいですかね」
『夢見。……ふむ、それが理由かもしれませんわね』
「え?」
『むしろ、「夢幻の支配者」たるタマモ様が、そのことに気づかないことの方が問題ですわよ? ……まぁ、それだけタマモ様にとってエリセ様が大切な方だということなのでしょうがね』
やれやれ、と溜め息を吐くトワ。溜め息を吐きつつも、その口調も声色も穏やかなままだった。
『そうですわね。時間もあることですし、「悪夢」がどれほどまでに人を縛り付けるかを実際に体験なさるといいかもしれませんわね』
「と言いますと?」
『こういうことですわ』
トワがふわりと虹色の翅をはためかせた。
はためかされた翅から、虹色の鱗粉がタマモを包み込む。
すると、なぜかまぶたがひどく重たくなった。
まぶたを開けることができなくなっていく。
「と、トワさん? これは」
『普段のタマモ様であれば、通用しないことでしょうが、いまのタマモ様では抵抗はできませんわよ? それでも、わずかなものですが、悪夢がどういうものなのかを、この世界における悪夢がどれほどのものなのかを知るには十分でしょう。覚悟なさってくださいまし、タマモ様?』
トワが淡々と語る。その言葉に返事をするよrも早く、タマモは意識が遠ざかるのを感じながら、そのまぶたを閉ざしたのだった。




