9話 再訪
汗が頬を伝っていく。
いや、頬だけではない。全身で汗を搔いていた。
流れる汗が、体を濡らしていく。
頭から水を被ったようだと言うことはあるが、それはこういうときに対して言うのだろうなとタマモは思いながら、鋸で木材を加工していた。
木材を加工しているのは、タマモだけではなかった。
クーが率いていた虫系モンスターズの生き残りたちのうち、リトルマンティスたちも協力して木材の加工をしてくれている。
が、加工を担当してくれているのは彼らだけではなかった。
マンティス系の進化種であるダークマンティスたちが、身長はざっと数メートルはあるであろう、黒い表皮のカマキリのモンスターたちが、その両手のカマを振るってくれていた。
中には、クー配下のリトルマンティスたちに、なにやらアドバイスのようなことをしている個体もおり、そのアドバイス通りにリトルマンティスたちはカマを振り、違いに驚いているようだった。
リトルマンティスたちの様子に、ダークマンティスたちはみな満足そうに頷いていた。
その光景はマンティスたちだけに留まらない。
たとえば、地均しを担当してくれているリトルボールバグも、より上位種であるグランボールバグもなにやらアドバイスをされているようだった。
それまでのリトルボールバグたちは、バラバラに地面を転がっていただけだったのだが、アドバイスを受けてからは、隊列を組むようにして横一列になって地面の上を転がっていく。
他の生き残りたちも、より上位種の虫系モンスターズのアドバイスを受け、いままでとは違うやり方をして効率の違いに驚いているようだった。
そして当の上位種たちもまた生き残りたちに手本を見せるようにして、それぞれのするべきことをしていた。
下位種である生き残りたちと、上位種の虫系モンスターズたちは、それぞれに交流を深めつつ、刺激を受け合っているようだった。
その上位種たちは、クーの配下ではなかった。
クーの率いていた虫系モンスターズは、大抵が未進化種のモンスターであり、「リトル」や「プチ」が種族名の前に付随している。
それにクーが討たれる際に、ほとんどの配下たちも供をするように討たれたため、現在の「フィオーレ」の本拠地を建設していた頃よりも激減している。
対して、下位種たちにいいところを見せようと張り切っている上位種たちの数は多い。
棲息数を踏まえれば、本来は下位種の方が数が多くなるものであるのに、こと現状においては数の逆転が生じているのだ。
数が逆転するほどに上位種の虫系モンスターズを送り出した人物にして、上位種たちの主。それは──。
『タマモ様、様子はどうでしょうか?』
──鱗翅王のトワだった。
上位種たちはみなトワが「フィオーレ」の新本拠地建設のために、送り出した作業員たちであった。
しかも、送り出してくれた作業員たちは、みな戦闘よりも土木作業に適した個体ばかりを選んでくれるというおまけ付きだ。
当初は単純にマンパワーならぬモンスターパワーが欲しかったため、数さえ用意してくれればいいと思っていたタマモだったが、トワはわざわざ配下の中から選りすぐった作業員を用意してくれたのだ。
おかげで作業自体は滞ることなく進行していた。
「トワさん、お疲れ様です」
タマモが汗を拭うのと同時に、トワは空から舞い降りてきたのだ。
転移でも使ったのか、それとも自身の飛翔能力で土轟王の拠点から飛んできたのかはわからない。
が、トワの登場により、トワ配下の上位種たちが纏う空気が張り詰めたものへと変わった。
クー配下の下位種たちも、上位種たちの様子に、気を引き締めていた。
そんな新旧虫系モンスターズの様子を、トワはちらりと確認すると、おかしそうに笑った。
『そのままで結構。続けなさいな』
トワの言葉を受けて、虫系モンスターズたちは、作業を再開させていく。
再開された作業は、それまでよりも熱の入った指導が織り込まれていった。
再開された作業を見て、トワは満足そうに頷いた。
「今日はどうされたのですか?」
『なんとなくですわね。なんとなく、視察に行こうかなと思いまして、抜き打ちで来ましたの』
「ははは、そうですか。でも、トワさんの配下の子たちは、みんな真面目ですよ? それにちゃんとうちの子たちへの指導もしてくれているみたいですし」
『当然ですわね。私の配下を名乗ろうものならば、後輩への指導もきっちりと行ってしかるべきですもの』
「そうですか」
『ええ。それでこその私の配下です。それに姉様の盟友たるタマモ様への助力のために選んだ者たちの中に、手前勝手な真似をするような愚者などいるわけがありません』
トワはきっぱりと言い切った。
トワの配下たちにとっては相当なプレッシャーだろう。
だが、それでもトワの配下たちはそのプレッシャーに押し潰されることなく、各々の作業を遂行していた。
そんな上位種たちの姿に、下位種たちもまた負けじと頑張ってくれている。
上位種たちの指導を受けて、下位種たちの動きはよくなり、下位種たちに指導をしつつ、上位種たちも先達としてやるべきことを行う。その背中を見て、下位種たちもまた感化される。
現状の「フィオーレ」の新本拠地建設現場は、相乗効果とも言うべき望ましい流れの中にあった。
上位種たちの主であるトワが現れたことで、望ましい流れはより加速していた。
「ボクも負けられませんね」とタマモは袖を捲り、再び木材の加工へと勤しもうとした。
『……ところで、タマモ様?』
「はい?」
木材の加工をするべく、鋸を握るのと同時に、トワがタマモへと声を掛けてきたのだ。
なんだろうと振り返ると、トワはじっとタマモを見つめていた。
トワの複眼にタマモの姿が映り込むも、トワはなにも言わずにタマモを見つめ続けていた。
「と、トワさん?」
『……』
どうしたのだろうと声を掛けても、トワはなにも言わなかった。
なんとも言えない居心地の悪さを感じたタマモにと、トワが口にしたのは──。
『タマモ様、お疲れのようですわね?』
──タマモの体調を気遣う一言だった。
トワの気遣いに対して、タマモは「あー」と間延びした声を出す。
そんなタマモにトワは状況を察したのか、「ふむ」と頷きながら、王冠のような触覚を動かし、「こちらへ」と言って、移動を始めてしまう。
「え、と、トワさん?」
『少々、お話がありますので。その間は……その方、タマモ様の代わりに全体を見ていなさい』
トワは有無を言わさぬ口調で、リトルビートルの指導をしていた、グレートビートルの一体にタマモの代理をするようにと指示をしていた。
代理を頼まれたグレートビートルは、その雄々しい角を高々に振り上げた。それが返事なのだろうとタマモは思った。
『それでは参りましょう。……少しばかり時間は掛かるかもしれませんが』
「え、っと」
『参りましょう』
「……はい」
怒られたわけではないのだが、トワはタマモに対しても有無を言わさぬ態度を崩すことはなかった。
まるでお説教をされるみたいだなぁと思いつつ、タマモはトワの後を追いかけるようにして、建設現場を後にした。
トワはタマモが着いてくることを確認することなく、どんどんと先に進んでいく。
トワが向かうのは、現在開墾が続けられている雑木林。その奥地へとトワは向かっているようだった。
雑木林の奥地は、タマモにとっては悪いイメージしかない。
奥地と言っても、限定的な場所だけなのだが、それでも奥地と言うと、どうして思い出してしまうのだ。
クーとの別れを、死別したことを思い出してしまうのだ。
ゆえに、雑木林の奥地はあまりいいイメージを抱くことができないでいた。
その奥地にと進むトワ。
その背中をタマモは追いかけていった。
やがて、トワが立ち止まった。そこは──。
『ここが、姉様の最期の地ですか』
──クーと別れた場所だった。
死別した場所に再訪し、タマモは静かに息を吐いた。息を吐きながらも、「……ええ」とだけ頷いた。
トワは「そうですか」と頷き、しばらくの間、なにも言わなかった。
だが、ほどなくしてトワは言った。
『ねぇ、タマモ様? お嫁さん方となにかあったのではありませんか?』
トワは横目で見るようにしてタマモを見つめた。
やはり、読まれていたかと思いながらも、タマモは静かに頷いた。
トワは「……話を聞かせていただけますか?」と言った。
その言葉にタマモは、ゆっくりと息を吐きながら、胸のうちを吐露するのだった。




