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8話 愛しさと申し訳なさと

 うっすらとまぶたを開くと、空の色が変わっていた。


 萌えるような山並みに、鮮やかな光が注がれていく。


 山並みを照らす太陽の灯りは、同時にエリセの目をわずかに焼いた。


 思わず、呻き声を漏らしながら、まぶたを閉じた。


 まぶたの裏で太陽の残光がしばらくの間焼きついた。


 しばらくしてどうにか残光が落ち着いた頃、再びまぶたを開くととすぐそばから穏やかな声が聞こえてきた。


「おはよう、エリセ」


 愛おしい良人が目の前にいた。まだ残光は焼きついているものの、最愛の人の笑顔の前では翳ってしまう。


 我ながら、調子がいいものだと思いながらも、「おはようございます」と挨拶をすると、タマモは「うん、おはよう」ともう一度挨拶をしてくれた。


 エリセもまた、「おはようございます」と挨拶をしてからタマモにと体を寄せた。


 冬というわけではないのだが、すぐそばを流れる滝の影響なのか、いくらか肌寒かった。


 加えて、服をなにも身につけていないというのも寒さをより強く感じさせてくれたのだ。


 普段着はここに来る前のように、きれいに畳まれて置かれていた。


 誰がしたのかは、もはや考えるまでもない。


 代わりとばかりに、タマモの装備であるオーバージャケットがエリセの肩に掛けられていた。


 もっともタマモにとってはオーバージャケットであるが、エリセにしてみれば少し短めのジャケットでしかなかった。


 それでも素肌を晒し続けるよりかはましであった。


 掛けられたオーバージャケットをより深く羽織りつつ、エリセはタマモに寄りかかる。


 タマモは寄りかかってきたエリセを見て、朗らかに笑った。


「寒い?」


「……すこし」


「そっか。そうだよね。ごめんね」


 タマモはバツが悪そうに頬を搔いていた。


 別にタマモが悪いわけではない。


 だが、タマモは申し訳なさそうに謝っていた。「旦那様が謝ることではない」と思うものの、こうして早朝の山中で裸でいるのも、元を正せば、タマモに求められたからである。


 とはいえ、求められたからと言って、受け入れなければいいわけであり、受け入れたのはエリセ自身だ。


 そのことを棚に上げるつもりはさらさらない。


 エリセを襲う肌寒さも、すべてはエリセ自身がもたらした結果でもある。


 肌寒さに見舞われることにはなったものの、こうしてタマモと触れ合えることを思えば、悪くない結果だと言えなくもない。


 本当に調子がいいものだと思いつつも、エリセはよりタマモと密着した。


 汗の臭いと、タマモ自身の香りがした。


「ねぇ、エリセ?」


「はい?」


 タマモの香りに包まれていると、不意にタマモが声を掛けてきた。


 なんだろうと思いながら、タマモに寄りかかっていると──。


「なにか、あったの?」


 ──タマモは恐る恐ると尋ねてきたのだ。


 どきり、と心臓が跳ね上がるのをエリセは感じた。


「……やっぱり、なにかあったんだ?」


 一瞬の硬直をタマモは過敏に感じ取り、覗き込むようにしてエリセを見つめていた。


 その視線を浴び、エリセは顔を俯かせると、タマモは溜め息をひとつ吐いた。


「まぁ、話したくないのであれば、あえて聞かないよ。エリセが話したくなったら聞かせて欲しい」


「……かんにんえ」


「いいよ。無理に聞き出すのはどうかと思うし、それに頑なにエリセが話さないということは、それほどの内容ってことだからね。話せないのも無理もないよ。ボクはそれまで待つからさ」


 淡々とした様子でタマモは言い切った。


 決して無関心というわけではない。かといって過剰というわけでもない。


 ちょうどいいくらいの距離感を保ちながら、タマモはエリセを見守ると言ってくれているのだ。


 その言葉にエリセは素直に頭が下がった。


 そして思った。


 あぁ、この人を好きになって本当によかった、と。


 身を焦がすほどの大きな愛情に包まれるのに、それでいて決してエリセを傷付けまいとする。


 そんなタマモの姿勢がなによりも好ましく、そして愛おしかった。


 エリセが抱く愛情も、決してタマモが向けてくれる愛に劣るとは思わない。


 それでも、タマモからの愛に包まれると、とても心地よかった。


 だからこそ、心苦しくあった。


 タマモはこんなにもエリセを想ってくれているというのに、その愛情にエリセから返せるものがなかった。


 いまだって、話そうと思えば話せることであるのに、いざ話そうとするとなにも言えなくなってしまった。


 言いたいことはあるのに、なにも言えない。


 そもそもの話、すべては夢という形で知ったことだ。


 さしものタマモといえど、夢の中で知ったからという理由で不安に駆られていると言われたら、困るだけなのは目に見えていた。


 それでも言うべきなのだろう。


 助けて欲しい、と。


 この苦しみと悲しみから助けて欲しいのだと。


 そう叫びたかった。


 だけど、言えなかった。


 言うことができなかった。


 できないまま、ただエリセはタマモに寄りかかった。


 タマモはなにも言わない。


 無言でより強く抱きしめてくれた。


 ぬくもりと香りが強まる。


 そのふたつに包まれながら、エリセはそっとまぶたを下ろした。


 悠長にしている時間などないだろう。


 いつ種なしが動き出すかもわからないのだ。


 だけど、いまだけは。


 そう、いまだけは辛い現実から目を逸らしたかった。


 いまだけは辛い現実を忘れたかった。


「もう少しだけ、このままで」


「……うん」


 タマモはただ頷いた。


 その姿勢が嬉しく、そして申し訳なかった。


 エリセはタマモのぬくもりと香りに包まれながら、そっとまぶたを閉じた。


 すると治まっていたはずの残光が、焼きついた残光がちらついた。


 まるで罪人を焼き尽くす火刑の火のように、残光はいつまでまぶたの裏で焼きついていた。

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