5話 狂気の事実
途中からエグくなりますので、ご注意ください。
「──あぁ、いまはっきりと、改めてわかったよ。我はおまえに死んで欲しくないのだよ」
九尾はまっすぐにエリセを見つめていた。
その視線はとても鋭い。しかし、怖くはなかった。
むしろ、抱きしめられているかのような優しさが、エリセを包みこんでいく。
どう反応すればいいのか。
どう応えればいいのか。
すぐにはエリセにはわからなかった。
エリセが困惑する一方で、九尾は続けた。
「どうして、こんなにおまえに死んで欲しくないと思うのか。その理由がいまようやくわかった気がするよ」
「理由、どすか?」
「あぁ、我はね。おまえにエリザを、いなくなってしまった遠い友を重ねてしまっているのさ」
「初代様、と?」
「うむ。おまえとエリザは驚くくらいにそっくりだ。それこそ生まれ変わりかと思うほどにな」
九尾の目尻にほんのりと涙が溜まっていく。溜められゆく涙を、エリセがぼんやりと眺めていると、九尾はみずから目尻を拭い、溜まった涙を払った。
「……すまない。少し感傷的になったな」
「いえ」
「だが、おまえとエリザがそっくりなのは本当のことだよ。おまえの実家には肖像画はないのか?」
九尾の問いかけを聞き、エリセは実家の調度品を思い返す。
無駄に高価なものばかりが置かれた家の中を思い出すも、初代里長のものとされる肖像画を見た覚えは一度もなかった。
「……倉を探したら、もしかしたらどす」
家に飾られてはいなかったが、もしかしたら倉を探しに探せば、肖像画の一枚くらいは出てきそうな気はした。
そう思う一方で、あれほど顕示欲を優先する連中が、なぜ自分たちの栄光の象徴とも言える初代里長の肖像画を飾らないのかという疑問が沸き起こる。
いままでは、あまり気にしていなかったことではあったが、考えてみれば、あまりにも不自然な気はする。
とはいえ、その答えを知っているであろう連中は、軒並み魔竜どもの腹の中である。
答えを知りたくても、知ることなどできない。真相は闇の中とはよく言ったものだとエリセは思いながら、九尾に正直に事実を伝えた。
「なるほど。まぁ、そうなるか。……エリザの直系の子孫は、もはやおまえだけだからな。ほかの連中にとっては、エリザは消し去りたい存在であろうしな」
九尾は悲しそうに眉を顰める。その表情はひどく痛々しく感じられたが、そこでエリセは疑問を再び抱いた。
「うちには弟が」
そう、九尾は「エリザの直系はエリセだけ」と言った。
だが、エリセには実弟であるシオンがいた。以前までは半分だけ血が繋がった弟だと思っていたシオンだが、いまは実弟であることを知っている。
その実弟であるシオンを、九尾はなぜか数から外している。いったいどういう理由なのだろうとエリセが思っていると、九尾はゆっくりと口を開き──。
「……たしかに、おまえには弟がいる。しかし、実弟とは言いがたい」
「どういうことで」
「これはおまえの母君であるエリスも知らないことだが、おまえの弟のシオンは、シオンでありながらシオンではない」
「……は?」
──言葉遊びのような、よくわからないことを言い出したのだ。
九尾の言葉の真意をエリセは理解できず、首を傾げた。
九尾はまぶたを閉じた。同時に口も閉ざした。が、それで話が終わりというわけではないのだろう。
九尾はなにやら考え事をしているようだった。それこそまるで言葉を選んでいるかのように、エリセを必要以上に傷付けないために、言葉を選んでいるかのようだった。そして、その予感は──。
「……よいか、エリセ。おまえがシオンと思っている者は、たしかにシオンではある。が、シオンそのものというわけではないのだ」
──的中することになる。
「……どういうことで」
「あれはたしかにおまえの弟であるシオンだ。だが、それは半分だけなのだよ」
「半分、だけ?」
「そうだ。残り半分はシオン本人ではない。そしてそのことを、弟であるシオンは知らない。シオンは己の中に、もうひとりの自分、いや、同居人がいることを知らずにいるのだ」
「……同居人?」
意味がわからなかった。九尾の言う意味が、エリセにはまるで理解できない。いや、したくなかった。
あれほどまでに、エリセを慕うシオン。かわいい実の弟の中に、得体のしれないナニカが潜んでいるなどと考えたくなかった。
だが、九尾はまっすぐにエリセを見つめ、「そうだ」と頷いたのだ。
「いったい、どこの誰が」
「……おまえも知っている者だな。さすがはエリザの血筋を排し、自身こそが正当な血筋であると嘯いた愚者の血筋なだけはある。悪知恵だけはよく働くものだ」
ふぅと大きく溜め息を吐く九尾。その眉は再び顰められるも、先ほどとは違い、一目でわかるほどの怒りがその表情には宿っていた。
「……九尾様が仰られること、まるで理解できひんのどすけど?」
「であろうな。我もおまえの立場であれば、同じことを思うであろう。が、これは事実だ。本来の水の妖狐の里長とは、おまえの母君であるエリスたち一族であり、おまえの父であった者の一族ではないのだ」
「えっと」
九尾の言葉はあまりにも衝撃的なもので、エリセはその言葉をすぐに呑み込むことができなかった。
「とはいえ、あくまでも正当ではないが、おまえの父であった者の一族も、里長の一族には連なる。連なるが、分家筋でしかなかったのだ。宗家ではなかったが、宗家を排し、自分たちこそが宗家だと嘯いた。それがおまえの父の一族たちだったのだ」
九尾は淡々とした口調で続ける。その言葉をエリセはいまいち理解できずにいた。が、九尾は構うことなく、本題を口にした。
「その分家筋どもも、もはやいない。が、ひとりだけ。そう、シオンの中に潜む、シオンにとっての同居人だけが残っている」
「……いったい、誰が」
種なしの一族どもの発祥については、正直エリセにとってはどうでもいいことだった。
だが、その一族の誰かがシオンの中に潜んでいるというのであれば、話は別だ。
別ではあるが、いったいどうやってシオンの中に潜んだというのか。
それも母であるエリスにも知られないようにだ。
そんなまねができるものなどいるわけが──。
「……よく考えてみよ、エリセ。エリスさえも知らないうちに、シオンの中に潜められる方法などそう多くはない。だが、ほぼ確実にエリスに知られない方法はある。その方法は、エリスだけではない。ほぼすべての者に通用する。なにせ、そのときばかりは、さしものエリスもほぼ確実に無防備となるからな」
「……母様が無防備になる?」
「うむ。エリスだけではなく、ほぼすべてのものが等しく無防備になる瞬間、いや、時間帯がある」
「……寝ているとき、どすか?」
「その通りだ。誰であろうが、寝ているときは無防備となる。だが、そのことは誰もがわかっていること。無防備になるからこそ、警備は敷かれる。しかし、その警備も無意味となる。いや、無意味とできる者はいた。そして、それはおまえもよく知る者だよ」
「警備が無意味になる」
「そうだ。どれほどの警備を敷いても無意味にできる者はいただろう?」
「……っ、まさか」
九尾の言葉からエリセは答えに辿り着いた。そしてその答えはあまりにも禍々しいものだった。
いや、禍々しいを通り越して、もはや狂気としか言えないことであった。
だが、その狂気こそが正解であると言わんばかりに、九尾は静かに頷いたのだ。
「エリスが無防備になる就寝中に、エリスに近づけ、その警備さえも無意味にでき、そしておまえがよく知る者。それは、おまえの父だ。奴は自分の死期を悟ると、身ごもったばかりのエリスに気づかれないように呪いを掛けた。自分の死後、その魂を、宿ったばかりの息子の体に宿るようにと。いずれ息子の体を奪い取り、素知らぬ顔でおまえを手籠めにするために、な」
九尾の顔が顰められていく。その変化を見やりながら、エリセは呆然とその言葉を聞くことしかできずにいた。




