3話 死相
エリセの前に現れたのは、見覚えのない妖狐だった。
髪の色や毛並みはタマモと同じ金色。いや、髪や毛並みだけではなく、瞳までもが金色だった。
金色の瞳と金の髪と金の毛並みの妖狐族。思いつくのは、「金毛の妖狐」くらい。
だが、「ヴェルド」に「金毛の妖狐」はもういない。
正確には、「金毛の妖狐」だったタマモはいるが、すでにタマモは「七星の妖狐」へと至っており、「金毛の妖狐」はこの世界にはもういないはずなのだ。
だが、目の前にいるのはどう見ても「金毛の妖狐」としか思えない妖狐族の女性だった。
それもやけに露出の多い、まるで花魁のような服装をしていた。
エリセの感覚的に言えば、目の前の妖狐族は、正直痴女としか言いようがない相手であった。
そんな痴女と見知らぬ部屋に閉じ込められてしまった。
エリセが警戒心を露わにするのも当然のことだった。
「……人のことをいきなり痴女扱いするのはどうかと思うんだがな」
やれやれ、と妖狐族の女性が肩を竦めるも、エリセはその言葉に目を見開いて驚いた。
エリセはたしかに目の前の女性を痴女扱いした。だが、口にはしていなかったのだ。
なのに、目の前の女性は、まるでエリセの心の内を読んだかのようなことを言ったのである。
「心眼」持ちであるエリセの心をだ。
幼い頃から、他人の心を読みはすれど、他人から心の内を読まれた経験のないエリセにとって、女性の発言はまさに青天の霹靂と言えるものだった。
「……なんで」
「──なんで、考えていることがわかったのか、などとは言うなよ? エリセ」
「っ」
「その反応からして、考えていたことを言い当ててしまったようだな? 他人の心を盗み見することには長けてはいても、自分の心を偽ることは不得手のようだな?」
女性はいくらか呆れたような口調で言う。その言葉にエリセは「なんで」と呆然となった。
そんなエリセに女性は、大きく溜め息を吐いた。
「やれやれ。器量よしであることは認めるが、あの子の嫁であるにはちょいとばかり不十分なのではないか?」
「……旦那様のこっとすか?」
「言わずともわかるであろう? 言われなくては理解できないほどに、そなたは察しが悪いのかのぅ? その様でそなたあの子の嫁に相応しいとは、到底思えんなぁ」
女性はそう言ってじっとエリセを見やる。それもかなりあけすけな視線で、エリセの上から下まで覗き込むようにして眺めてくる。
いくらかの居心地の悪さを感じながらも、エリセはあえて胸を張り、女性を見返す。
女性は「ほう?」と意外そうな顔をして、エリセを見やったのだ。
「嫁に相応しくないと言えば、あっさりと引き下がるかと思ったが、なかなか根性はあるようだな?」
「……お褒めいただき光栄どす」
「くくく、その気丈さはエリザそっくりだな?」
「エリザ?」
女性が口にしたのは、エリセが知らない女性の名前だった。
正確には、ひとり思い当たる人物はいるにはいるのだが、その人物はとっくの昔に亡くなっているのだ。
その人物と目の前の女性は、まるで知人のように振る舞っていた。
いったいどこの誰なんだと思いながら、エリセは一段階警戒を強めていく。
エリセが警戒を強めたことを気づいていないのか、それとも気づいたうえで無視しているのか、女性は淡々とした口調で答えを口にしていく。
「うむ。そなたたちの大元になった妖狐族の女だ。そなたたち風に言えば、「水の妖狐の里」における初代里長と言えばいいかな?」
「……やっぱし初代様どすか」
女性が口にした「エリザ」なる女性は、エリセの予想通りの人物だった。
「水の妖狐の里」における初代里長となった女傑。それがエリザであり、エリセにとってみれば直系の先祖にあたる人物であった。
もっとも、初代里長についてエリセが知っていることは、せいぜい名前とどういう人物だったのかの概略程度だ。
なにせ、初代里長の時代は、いまから千年以上、いや、数千年以上も前のことになる。
妖狐族が長命種とはいえ、数千年も生きていられる者はいないし、数千年は、仮に当時の文献があったとしても失われるには十分すぎる時間であった。
そんな大昔の人物についてをまるで知人のように語る女性。ただ者ではないことは理解していたが、より一層女性の得体の知れなさが浮き彫りになっていった。
だが、エリセがさらに警戒心を強める中、当の女性はのほほんとした様子で、いかにも「意外だ」と言わんばかりに驚いたように、目を何度も瞬かせて、エリセを見つめていた。
「うん? なんだ気づいていたのか。てっきり気づかずに聞き返すかと思ったがな。もしくは「誰のこと?」と聞かれるかと思っていたよ」
女性が人の悪そうな顔で笑っている。遠回しにバカにされていることは明らかだが、直系の先祖にあたる初代里長の知り合いであり、そのうえ「金毛の妖狐」であるため、下手な態度をエリセは取ることができなかった。
「……ご用件はなんでっしゃろか?」
下手な態度は取れないものの、得体のしれない相手であることも間違いない。
まともに相手はせずに、さっさと用件だけを聞かせて貰うことにしようと、エリセは女性の用件を尋ねると、女性は「ふむ」と腕を組みながら、エリセを再び見つめると──。
「そうだな。先に用件を伝えておくとしようか。まぁ、用件というかは、忠告というところかな?」
「忠告、どすか?」
「うむ。エリせよ。早晩タマモのそばから離れるとよい」
「……どないなことでっしゃろか?」
「そのままの意味だ。あの子のそばから離れよ。それも早ければ早いほどいい」
「どすさかい、なんでどすか?」
「そなたに死相が出ておるからだ」
「……うちに、どすか?」
「うむ。いつかはわからんが、近いうちにそなたは致命傷を負うことになる。だが、あの子のそばにいなければ、致命傷を回避することはできそうなのだ。ゆえに、致命傷を負いたくなければ、一時的にあの子のそばから」
「……お断りいたします」
「そなた、事の重大さを」
「わかってますで。ほんでもうちはあの人のねきにおると決めてますさかい」
死相が出ていると女性には言われた。
それがどこまで信憑性があるのかはわからない。
だが、死相が出ている程度で、愛する人のそばを離れることなんてエリセにはできなかった。
「たとえ、死相出とったかて、うちはほんでもあの人とともにあると決めてるんどす。あの人ととmにあるためやったら、死相やろうと、死の呪いであろうとも乗り越えてみせまひょ。それがうちの愛の形どすさかい」
エリセは女性に向かってそう笑い飛ばした。
死相だろうと、死の呪いだろうと、なんだって乗り越えてみせると豪語しながら。エリセは気丈に笑いかけたのだった。




