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Ex-59 笑顔

 なにを言われたのか。


 ヒナギクにはすぐに理解することができなかった。


「フィオーレ」の現本拠地内の物音は、蛇口からの水音しか聞こえなかった。


 それ以外の物音はない。


 ヒナギクの隣に立っているフィナンは、驚いたように目をわずかばかりに見開いているだけ。


 その瞳には、フィナンの瞳には同じように目を見開いているヒナギクが映っていた。


「……いま、なんて?」


 ヒナギクは自分の声が震えていることに気付いた。


 声を震わせながら、ヒナギクは目の前にいるフィナンを見つめる。


 フィナンはヒナギクの変化を見て、「あー」と声をあげながらも、にこやかに笑った。


「タマモさんがヒナギクさんの従姉さんじゃないかと言ったんですよ」


「……タマちゃんが、私の従姉?」


 従姉と聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、憧れの人。


 従姉にあたる人は他にもいるけれど、真っ先に思い浮かぶのは、幼少の頃に会ったっきり。たった一度だけ会った「姉様」と慕う人だった。


 だが、それはすでに否定し、別人だとヒナギクの中では断定していることでもあった。


 ヒナギクは小さく溜め息を吐くと、「なにを言っているの?」と笑いかけた。


「タマちゃんと姉様は別人だよ? そりゃあ、たしかに最初は似ているなぁと思っていたけれど、タマちゃんと姉様は別人なの」


 ヒナギクは手を振って、フィナンを否定するも、フィナンは目を何度か瞬かせて、「本気で言っているんですか?」と首を傾げた。


「本気もなにも、だってタマちゃんと姉様は、全然違うよ」


「本当にそう思われていますか?」


「本当に、って?」


 フィナンの言葉に、ヒナギクの声がわずかに上擦る。


 声が上擦ったことに、ヒナギクは「なんで、いま」と疑問が浮かびあがる。


「ヒナギクさんの本心は、別ですよね?」


「……どういうこと、かな?」


 ヒナギクはやけに落ち着かなかった。フィナンの一言一言により、平常心が徐々に失われていくのがはっきりとわかっていた。


 わかっていたとしても、ならどうすればいいのかという疑問が浮かぶも、ヒナギクは務めて平静でいようとした。


「だって、顔に書いてありますよ? 「どうしてわかったの?」ってね」


 が、それさえもフィナンはあっさりと乗り越えてしまった。


 にこやかに笑いながら、フィナンが告げたのは、ヒナギクの平常心を乱すものだった。


「……フィナンちゃんが、なにを言いたいのかがよくわからないなぁ」


 大きく深呼吸をしてから、ヒナギクはフィナンを見やる。


 だが、フィナンは相変わらず笑っているだけ。笑いながらもフィナンは、淡々と続けていった。


「「なにを言いたいのかがわからない」って言う人は、図星を突かれた人なんですよねぇ」


「……違うよ? フィナンちゃんがあまりにも突拍子もないことを言うから、さ」


「どうして突拍子もないと思われるんですか?」


「そんなの、決まっているよ。だって、タマちゃんと姉様ではまるで違っていて」


「違っているなら、なんでもっと強く否定しないのですか?」


「え?」


「だって、本当に別人であると思っているのであれば、もっと強く否定しますよ? ヒナギクさんが「姉様」さんのことをとても尊敬されていることは知っています。それこそ崇拝でもしているのかと思うほどにってことは。そんなヒナギクさんが、どうして強く否定されないんでしょうか?」


 フィナンの瞳がヒナギクを捉える。


 フィナンもタマモたちと同じで、妖狐族のアバターだった。


 ユキナが水色の髪と毛並みをしているのに対して、フィナンは茶色い髪と毛並みをしている。瞳の色も薄茶色だった。


 その薄茶色の瞳がヒナギクをまっすぐに捉えていた。


 まっすぐに捉えてくる薄茶色の瞳を見つめながら、ヒナギクは「なんでって、それは」と口を噤んでいく。


 フィナンの言葉にヒナギクも、いまさらながらに疑問を抱いたからだ。


「そういえば、なんでだろう」と。


 普段であれば、憧れの「姉様」のことであれば、ヒナギクは過敏に反応する。


 そして今回はもっとも過敏に反応せねばならないことだった。


 なにせ、フィナンが口にしたのは、かつてヒナギク自身も抱いたが、すぐに否定したこと。


「タマモと「姉様」が同人物ではないか」というおバカな仮定だったのだ。


 たしかに。


 たしかにタマモと「姉様」の見目はよく似ている。


 そりゃ、ヒナギクも「あれ?」と思ったほどだった。


 だが、一緒に生活をするにつれて、「ああ、勘違いか」と思い直したのだ。


 タマモの見目は「姉様」に驚くくらいにそっくりだったが、似ているのはそこまでだ。


 タマモの言動や趣味趣向はあまりにも「姉様」らしからぬもの。


 特に女性の胸部に対して並々ならぬ情熱を抱いているところなど、「姉様」が抱くはずのないものなのだ。


 ゆえにタマモと「姉様」が同一人物というのは、おバカな勘違いでしかなく、フィナンの言動もしょせんは当てずっぽうでしかないのだ。

 

 そう、そのはずなのだ。


 だが、ならば、なぜ?


 なんで私はいつものように否定をしないのだろう?


 ふとヒナギクはそう思った。


 本来なら否定するはずのことを、どうして否定をしていないのだろうと。


 口では否定をしている。


 でも、その否定はやんわりとしたもの。


 強く否定しているわけでは、別人であると強く断定しているわけではないのだ。


 普段であれば、すでに断定をしている。


 なのに、なぜいまはその断定をしないのか。


 どうして、口だけでの否定をしているのか。


 強く否定をしないのか。


 ヒナギクにはわからなかった。


「それはそうですよ。だって、ヒナギクさん、ご自分でも薄々とわかっていたんでしょう?」


 ヒナギクが迷いを生じさせる中、不意にフィナンが口を開いた。


「え?」と驚くくらいに低い声を出しながら、ヒナギクはフィナンを見やる。フィナンは相変わらず笑っていた。


 笑いながら、彼女は告げた。


「タマモさんと「姉様」が同一人物であることを、あなたはとっくに認めていたんでしょう?」


 フィナンの薄茶色の瞳が、ヒナギクを射貫く。


 その瞳に、その言葉に、ヒナギクは声を詰まらせた。


 声を詰まらせていると、なにかが動くような音が、重たいなにかが動くような音がどこから聞こえたように思えた。


 周囲を見渡すも、重たいようなものはない。


 せいぜいが最初期の頃に食事に使っていたテーブルくらい。


 そのテーブルとて動いた様子はない。


 ならば、いまの音はなんだろうかとヒナギクが疑問を抱くも──。


「ほら、どうなんですか? ヒナギクさん?」


 ──フィナンの声が、逃避しかかっていた現実へと引き戻した。


 ヒナギクは改めてフィナンを見やる。


 フィナンはさきほどからずっと笑っていた。


 笑いながら、ヒナギクをずっと見つめている。


 なにを言うべきなのかと思いながらも、ヒナギクは自身の意思とは関係なく、口を開いていた。


「……似ている、とは思っているよ。それこそ、いまでもよく似ている、って思っている」


 ヒナギクが口にしたのは、否定とも肯定とも取れるような中途半端なものだった。


 しかし、その中途半端な言葉であっても、フィナンは、口元に弧を描いた。


 口元が弧を描くことは、笑っていれば自然となるものだ。


 そう、自然な笑顔であるはずだった。


 だが、ヒナギクの目には、いまのフィナンの笑顔はひどく邪悪なもののように見えた。


「どうしてそう思うんだろう」と疑問を抱きながらも、ヒナギクは続けた。


「趣味趣向はぜんぜん違う。だけど。だけど、今日マドレーヌちゃんに「姉様」って呼ばれているときのタマちゃんを見ていたら、重なって見えたんだ。小さい頃に会ったっきりの「姉様」に。私が「姉様」とお呼びしたときの「姉様」とタマちゃんが重なって見えてしまったんだ」


 淡々とヒナギクは続ける。ヒナギクの言葉をフィナンは頷きながら聞いていた。


 その口元を妖しく歪めながら。


 だが、ヒナギクはもうフィナンを見ていない。


 フィナンを見ることなく、虚空を眺めながらヒナギクは淡々と自身の想いを語っていった。

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