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Ex-56 豹変のユキナ

 むすっとした顔だった。


 不満がありありと浮かんでいた顔だった。


 頬を膨らませ、いくらか剣呑なまなざしとなり、目尻にわずかに涙を溜めながら、ユキナはいかにも「不満です」と言わんばかりの顔になっていた。


 ユキナがそんな表情を向ける先にいるのは、タマモとマドレーヌ。


 密やかに姉妹のちぎりを交わしているふたりである。


 ふたりが姉妹のちぎりを交わしたことを知っているのは、アンリとエリセ、それにフブキを始めとしたNPC組──「ヴェルド」の住人たちだけ。


 タマモとマドレーヌを除いたプレイヤー組の中で、タマモとマドレーヌの関係を知っている者はいなかったし、ふたりもまだ伝えるつもりはなかったのだ。


 あくまでも、いまはまだ。


 そのうちに話をしようとはふたりの間では決まっていたのだが、「そのうち」が具体的に「いつなのか」はまだ話していない。


 その話していなかったことが、いま猛烈な勢いでタマモとマドレーヌに襲いかかってきていた。


 丸太のテーブルの上には、真っ白なパンケーキが並んでいた。


 それぞれが食べ進めている絶品のパンケーキがだ。


 しかし、いま誰もが食べる手をとめている。


 事の発端となったのは、ユキナ。


 正確に言えば、マドレーヌがついいつもの要領でタマモを「姉様」と呼んでしまったことが切っ掛けであった。


 しかし、それだけであれば、「聞き間違いかな?」と誰もが思っただけで終わっただろう。


 もしくは個別に「さっき姉様って呼ばれていなかった?」とタマモに聞くくらいだっただろう。


 もし、そうであれば、タマモはおそらく「呼ばれていませんけど?」とごまかしたことだろう。


 後ろめたいことはなにもない。


 だが、言いふらすことでもないのだ。


 それに下手に言いふらすと、「いつからそういう関係になったの?」とか、「普段そう呼ばれているのを見ないけれど、いつ呼ばれているの?」などと尋ねられかねないのである。


 別に後ろめたいことがあるわけではない。


 あるわけではないのだが、下手な発言はそのままタマモ自身の首を文字通り絞めることになりかねない。


 ゆえに、少しずつ。


 マドレーヌとの話し合いを重ねながら、誰にも指摘されないような理由を構築していこうという話になっていたのだ。


 そう、なっていたのだ。


 だが、マドレーヌがついぽろっと口にした「姉様」という呼び名と、元から呼ばれ慣れていたために、つい自然体になってしまったタマモの、ふたりによるうっかりミスによって、ふたりはあっという間に窮地に追いやられてしまったのだ。


 ただ、この窮地も本来なら窮地とはなりえなかった。


 ユキナを除くプレイヤー組であれば、先述した通りに「聞き間違いかな?」と思い、後にタマモに個別で尋ねたことであろう。

 

 もしくは「一滴」の残りのふたりであれば、マドレーヌに「タマモさんを姉様と呼んでいなかった」と尋ねたことであろう。


 その場合もマドレーヌは「言っていないよ?」とごまかしに走っただろうが。


 とはいえ、タマモほど腹芸が得意ではないマドレーヌでは、あっさりとボロを出すことになっただろうが。


 もっとも、そういうときの場合用にと、タマモはマドレーヌに「なにかあったら連絡するように」と言い聞かせてあるので、マドレーヌは迷いなくタマモに連絡し、事の次第を話すことにしただろうが。


 いわば、相手がユキナでなければ、タマモもマドレーヌも窮地に追いやられることはありえなかったのだ。


 だが、この場にはなんの悪戯だろうか、ユキナがいた。


 恋は盲目という言葉を地で行くユキナがいたのだ。


 そのユキナがマドレーヌが口にしてしまった「姉様」という呼び名を聞き逃すわけもなく、そしてタマモの自然体な対応を見逃すわけもなかった。


 言うなれば、今回のことは、タマモとマドレーヌの不運が折り重なったがゆえに起きた窮地と言えることであろう。


 そのことを自覚しているのか、タマモもマドレーヌも押し黙りながら、だらだらと冷や汗を搔いていた。


 決して後ろめたいことはなにもしていないというのにも関わらずである。


 ましてや、やましいことなどもなにもない。


 ただ、ちょっと言いづらいというか、公言することは避けるように言われていることが関わっているため、タマモもマドレーヌもなかなか口を開くことができないのである。


 ただ、口を開かずとも、ふたりはそれぞれの間で意思疎通を行っていた。


 最近になって焦炎王や土轟王と言った超越者から教わった「念話」という手法を使って、ふたりはふたりの間だけでの会話を行っている。


 その内容が下記の通りとなっている。


『ど、どどどど、どうしましょう、姉様!!? っていうか、本当にごめんなさぁぁぁぁい! 私のせいでぇぇぇぇぇ!』


『落ち着きなさい、円香。まだ慌てるような時間じゃないわ。ま、まぁ、慌てたくなる気持ちはわかるけれど、いまはとりあえず落ち着きましょう。ほら、ひっひっふーと。そう、ひっひっふーと呼吸をしてね』


『それ、ラマーズ法じゃないですか! ベタすぎますよ、姉様! というか、姉様も慌てられているではありませんか!』


『ぐ、ぐぅ。し、仕方がないでしょう? まさか、こんなことになるなんて想像もしていなかったし。っていうか、ユキナちゃんがここまでぐいぐい来るなんて予想外だったし』


『そ、それはたしかに。っていうか、ユッキーの追及が凄いですよねぇ』


『そうねぇ。なにがあの子をここまでさせるのかしら?』


『全然、わかんないです』


『そうよねぇ』


『ですよねぇ』


 念話での意思疎通を行いながら、タマモとマドレーヌは姉妹揃って大慌てであった。


 狼狽えるマドレーヌに、ベタなボケを行ってしまうタマモ。


 絵にでも描いたようにして慌てるふたり。慌てながらも、表面上はだらだらと冷や汗を搔くという細かい芸も披露していた。


 とはいえ、それで稼げる時間なんてほんのわずか。


 ユキナは相変わらずむすっとしたまま、ふたりを睨み付けるように見つめている。


 特に厳しい視線が向くのはマドレーヌに対してである。


 マドレーヌにとっては、「私がなにをしたの?」と言いたくなるようなことではあろう。


 だが、見方を変えれば「仕方がないと思うけどねぇ」というところであろう。


 ユキナがタマモにぞっこんなのは誰の目から見ても明らかであり、そのタマモにユキナを差し置いて急接近していることを踏まえたら、ユキナのマドレーヌへと向ける視線がいくらか厳しくなるのは当然と言えば当然だ。


 が、そのことをマドレーヌは理解していなかったようで、突然のユキナの豹変っぷりに動揺している。


 それはタマモもまた同じだった。


 タマモの場合は、「やけに懐かれているなぁ」という風にしか思っていなかったため、ユキナがなぜここまでマドレーヌを敵視するような視線を投げてくるのかが理解できていない。


 言うなれば、このふたりは揃って主人公気質なのである。


 そういうところも似た者姉妹と言えるだろう。


 だからこそ、このふたりだけの念話での意思疎通では現状打破は決して叶わないのである。


 そしてそれゆえにそれは起きてしまった。


「……いつまでも黙っていないで事情を話してくださいませんか?」


 ユキナが、それまでむすっとしていただけのユキナがついに重たい口を開いたのだ。


 口調自体はいつもと変わらない。


 しかし、タマモとマドレーヌを見やる目には、ハイライトがなく、ひどく虚ろな目をしながらふたりを見つめているのだ。


 そこに口元だけに浮かんだ笑みが拍車を掛けた。


 結果、タマモとマドレーヌは抱き合う形で悲鳴をあげた。


 しかし、それもまたユキナという猛火に対する、起爆剤となってしまったのだ。


「……ねぇ、どういうことですか? 話をしてくださいと言ったのに、なんでイチャイチャしているんですか? 答えてくださいよ、ねぇ?」


 ユキナはうっすらと笑う。


 その笑みは、タマモの嫁であるアンリとエリセを以てしても、「なに、あの子、怖い」と思うほどであった。


 普段は良妻であるも、ふとした瞬間に鬼嫁となるふたりを以てしても恐怖を憶える笑み。


 その笑みを向けられたふたりが、再び悲鳴を挙げるのは当然のことであった。


 が、その悲鳴を受けてもユキナの溜飲は下がることはなく、「なんで叫んでいるんですか?」と首を傾げるのみ。


 豹変したユキナをとめられる者はおらず、タマモとマドレーヌはユキナのゆったりと、だが、有無を言わさぬ口調に恐れ戦きながら、念話で急ピッチに仕上げた事情を話していったのだった。

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