Ex-54 偲ぶ想い
遅くなりました。&短めです
真っ白な花だった。
茎も葉も花も。すべてが白で統一された花だった。
その花を両手でそっと握りながら、ひとりの女性が誰もいない湖の畔で佇んでいた。
女性は腰くらいままである長い緑色の髪を携えていた。
花を握る手はまるで白絹のように繊細で美しい。
その顔立ちも老若男女問わず振り返るほどの美貌を誇っていた。
その美しい顔は、水色の瞳からこぼれ落ちる涙に濡れていた。
涙に濡れながらも、女性の美しさは翳ることはなかった。
むしろ、涙に濡れる姿はより一層女性の美貌を際立たせていた。
夜半の湖畔でひとり佇む絶世の美女と言うと、なにかの怪談かおとぎ話のように聞こえることだろう。
だが、そう思ってしまっても無理もないほどに、女性はあまりにも浮世離れた美しさを誇っていた。
そして女性が真っ当な人ではないことは、一目で誰もが理解することであろう。
なにせ、女性の背には虹色に輝く一対の翅があったからだ。
女性の背にある翅は、動くことなく制止している。
制止する様を見ていると、作り物と思えるだろう。
しかし、女性の翅は決して作り物ではなかった。
その証拠に時折、女性の意思に沿う形で翅は動いていたのだ。
翅が動く度に、翅の色と同じ虹色の鱗粉が周囲を舞う。
舞い散る鱗粉は周囲に漂い、女性をそっと包みこむようにして女性をより彩っていた。
虹色の翅を持つ絶世の美女。その名はトワ。
虫系の魔物の頂点とされる一種にして、鱗翅王と呼ばれる存在であり、タマモが名を付けた鱗翅王その人である。
そのトワは現在普段の巨大な蝶の姿ではなく、めったに取ることのない人を模した姿となって、土轟王の居城内にある湖畔にひとり佇んでいた。
トワがひとり佇んでいるのは、その両手の中にある花が理由であった。
両手に握る花へと、トワは顔を近づけ、胸いっぱいに花の香りを吸い込んでいく。
トワの持つ真っ白な花からは芳しい香りが漂い、その香りが鼻孔を擽っていく。
鼻孔を擽る香りに、トワの脳裏にかつての記憶が鮮やかに蘇っていった。
「……懐かしいですね」
青白い月の光を浴びながら、トワは両手の中にある一輪の花を、タマモたちから報酬として貰った「幻雪花」をじっと眺めていた。
虫たちの楽園と呼ばれる土地がかつてはあった。
その楽園こそがトワの故郷である。そして当然トワの姉もその虫たちの楽園に住んでいた。
その楽園に咲き誇る花こそが、タマモたちが用意してくれた「幻雪花」だったのだ。
「まさか、またこの花を見ることになるなんて、思ってもいませんでしたね」
ふふふ、と喉の奥を鳴らすようにして笑いながら、トワは両手の中の「幻雪花」を眺めていく。
眺めるにつれて涙が頬を伝っていく。
伝う涙を片手の親指で拭いながら、熱い吐息を漏らす。
「……姉様もお好きでしたね」
ほろりと涙を流しながら、トワは目の前にはいない姉を偲ぶ。
トワの記憶の中にある姉は、かつてのトワ同様に巨大な芋虫であった。
それでも、トワにとって姉が姉であることには変わらない。
故郷が滅ぶまでずっとそばにいた姉。
故郷が滅んだ際のいざこさで離ればなれになってしまった姉。
そのときに死に別れたとばかり思っていた姉が、まさかつい最近まで存命だったとはトワも思っていなかった。
もし、タマモたちがもっと早く土轟王の居城へと至っていたら。そう思ったことは一度や二度ではない。
だけど、タマモたちを責めるつもりは、トワには一切なかった。
そもそもの話、勝手に死に別れたと思い、姉を探すこともしなかったのはトワ自身である。
責めるのであればトワ自身であり、タマモたちを責めるのはお門違いである。
そもそも、タマモたちを責めなんてすれば、姉になんて言われるかわかったものではないのだ。
「自分のことを棚に上げるな、なんて言われますよね、姉様でしたら」
くすくすとトワは笑う。
笑いながら、実にありそうなことだとトワは思っていた。
姉はかつてそういう人だったのだ。
おそらくは、その性格は死を迎えたときもきっと変わっていなかっただろう。
姉が変わっていないことは容易に想像できることだった。
「……これ以上とない報酬ですもの。全力で協力をするのは当然ですわよね」
姉との思い出を、忘れそうになっていた思い出を振り返らせてくれたこと。
タマモたちが用意した報酬は、トワにとってこれ以上とないものだった。
その報酬に見合うためにも、全力での協力は当然である。
選定はすでに終えていたが、もう一度やり直すことにした。
最上の報酬を用意してくれたのであれば、こちらも最上の布陣を用意するのは当然であろう。
最上の布陣は用意する。用意するがもう少しだけ待って欲しいとも思う。
いまはただ──。
「……姉様のご友人、いえ、私たちの盟友のために、全力を尽くさねばなりませんね。そうでしょう? 姉様」
──亡き姉への想いを偲ばせて欲しい。
せめて、今夜だけでもいい。
今夜だけでも、姉への想いに浸らせて欲しかった。
トワはより強く「幻雪花」を握る。
花の香りが強くなる。
鼻腔を擽る香りを感じながら、トワは再び涙を流す。
いまは亡き最愛の姉への想いを抱きながら。
姉への想いに浸らせてくれた盟友への感謝と誠意に報いるためにも。
いまはただかつての思い出に浸らせて欲しい。
誰もいない湖畔で、トワは願う。
楽しかった日々に、想いを寄せながら。
トワはただ夜半の湖畔で、いつまでもひとり佇んでいたのだった。




