48話 月下の黙祷
幻雪花
レア度 64
品質 C
最上級の花のひとつ。葉、茎、花弁に至るまでのすべてが白で統一されていることから命名された。花弁の蜜は最高級であり、一度でも味わうと、もはや他の蜜では満足できなくなってしまう味わいを誇る。かつては虫たちの楽園に咲き誇っていたものの、現在はとある上級ファーマーのみが種子を管理しているため、流通に乗るどころか、自然界でも目に掛かることもない。まさに幻の花。
タマモとマドレーヌがトワに差し出した報酬──「幻雪花」はその名の通りの幻想的な美しさを誇る一輪だった。
「鑑定」結果にもあるとおり、葉や茎、花弁に至るすべてが白で統一されていた。それこそ新雪のような美しい花であった。
が、その分入手難易度は滅法高く、レア度はまさかの60オーバー。
「鑑定」結果にもあるが、流通には乗ることがないため、まさに幻の逸品とも言うべきものだ。
その幻の花をタマモとマドレーヌは、今回の新店舗兼本拠地建築のための報酬としてトワに差し出したのだ。
「キャベベだけはさすがにありえない」というトワの言葉に則り、現状手に入れられる限界のレア度の逸品をタマモたちは差し出すことにした。
それこそが「幻雪花」だったのだ。
ただ、この「幻雪花」は繰り返しになるが、流通に乗ることはないのだ。
では、その流通に乗らない花をどうやって手に入れたのか。
その理由は、やはり「鑑定」結果にもあるとおり、「ある上級ファーマー」から種子を手に入れ、育てたからである。
「ある上級ファーマー」から種子を手に入れ、その指導の下、タマモたちはようやく「幻雪花」を手に入れたのである。
ただ、さすがに60オーバーのレア度を誇る逸品であるがゆえに、指導者ありきであっても、まともに発芽したのはわずか。そして発芽しても、無事に花を咲き誇らせたのも差し出した一輪のみである。
品質も真ん中のCであり、高いとも低いとも言えない中途半端な成果ではある。
が、それでも「キャベベだけはありえない」というトワへの報酬としては現時点で用意できる最上級のものとなった。
これでダメであれば、もはやお手上げと言ってもいいほどだが、タマモもマドレーヌも確信を持って「これならいける」と考えていた。
実際、トワの反応は想像以上のものだ。
トワの複眼からは止めどもなく涙が溢れ、地面に無数の染みを作り出していた。
トワがそれほどの反応を見せる理由。それはやはり「鑑定」の結果の一文が影響している。
「鑑定」の結果には「虫たちの楽園」とあった。
具体的にはどのフィールドのことなのかはさすがにわからなかった。
件の「とある上級ファーマー」も「もう滅んでいるからねぇ」と具体的な場所は教えてくれなかった。
それでも「トワくんには、ほぼ特効と言ってもいいと思うよ」と言っていたのだ。
その言葉の通り、トワの反応は劇的だった。
それもそのはず。件の「とある上級ファーマー」曰く、「虫たちの楽園」はトワの故郷であるからだ。
トワの故郷で咲き誇っていた「幻雪花」は、当然幼少のトワや姉であるクーもその蜜を楽しんでいたであろうもの。
いわば思い出の味だ。
その思い出の味を再び味わうことはできない。そうトワは思っていたことであろう。
「とある上級ファーマー」が、土轟王がその種子を管理していることを知らなければ、だが。
そう、「幻雪花」の種子を管理するのは土轟王だったのだ。
タマモたちが「幻雪花」の存在を知ったのは偶然だった。
トワの交渉時において、終始一方的にイニシアチブを握られっぱなしだったタマモ。
交渉が終わった後も、「報酬をどうしよう」と悩んでいたのだ。
そこに救いの手が差し伸べられたのだ。そう、土轟王本人の口から「幻雪花」のことが語られたのだ。
「ふむ。キャベベだけはありえない、か。……ふ、ふふふ、トワくんもいい度胸じゃないかぁ~」
交渉は決裂まではいかないものの、一方的な条件を突き付けられ、途方も暮れていたタマモ。
そんなタマモに土轟王とヨルムは声を懸け、事情を聞き、その内容に土轟王は静かな怒りを見せたのだ。
というのも、キャベベは土轟王が開発した野菜である。
とはいえ、一から作り上げたというわけではなく、元々は野生種が原種であり、その原種を人の手で安定供給できるまでにデチューンしたのが、キャベベであったのだ。
実はキャベベの原種は、レア度で言えば、脅威の80オーバー。「幻雪花」よりも圧倒的にレア度が高いのだ。
その原種を徹底的にデチューンしたうえに、安定供給できるようにするまで、相当の苦労があり、その苦労の分だけ、土轟王にとってのキャベベは特別な品種である。
が、トワはそのキャベベだけではとは言い切ったのである。
土轟王にとってみれば、事実上の宣戦布告のようなものであったのだ。
ゆえに土轟王は、今回の交渉について全面的な協力を申し出たのだ。
曰く「トワくんをぎゃふんと言わせてあげないとねぇ」ということであった。
土轟王は笑っていた。
そう、笑ってはいたのだ。
が、その目は笑っていなかったのは、言うまでもないわけだが。
そんな土轟王を見て、ヨルムは深い溜め息を吐きながら、お腹を擦っていた。
「我が君の病気がまた始まりました、か」
ヨルムはとても疲れ切った顔をしていた。その表情に「お労しや」と思うタマモだったが、それよりも早く土轟王はタマモの両肩を掴み、宣言したのだ。
「ところで、我が弟子よ。誰か合宿できる知り合いたちはいないかい?」、と。
土轟王の発言にタマモは「え?」と聞き返すと、土轟王は淡々と説明した。
「トワくん特効となるものがあるんだが、それには数人が掛かりきりにならないといけないんだよ。それこそ合宿でもして、つきっきりにならないといけないレベルにね」
「それほどのもの、ですか?」
「うん。「幻雪花」っていう、僕が管理している花でね。それであれば、トワくんも満足するだろうさ。なにせ、彼女にとっては特別な花だろうからね」
ふふふ、と土轟王は妖しさ満天の笑みで笑っていた。
その笑みに若干引きながら、タマモはその理由を尋ね、そして「幻雪花」を報酬候補として定めたのである。
ただ、「幻雪花」が無事に生育できるかどうかは怪しかった。
レア度は60オーバー。
当然、無事に生育できるかどうかはわからない。
となれば、次善の策も用意するのが当然だったのだが、無事に「幻雪花」は生育することができた。
とはいえ、さすがにまだ一輪だけ。
安定供給はまだまだ遠い話だが、それでもサンプルとしてトワに渡す分は用意できたのだ。
新店舗兼本拠地が完成するまでには、量産しなければならないわけだが、壁というものは一度突破すれば、次からは突破の難易度は下がるものである。
「幻雪花」を無事に生育したノウハウが、マドレーヌたちにはあり、タマモたちと協力すれば、「幻雪花」の量産は可能だろう。
新店舗でメニューに使うほどの安定供給にはいくらかの時間は掛かるだろうが、少なくともトワ配下の虫系モンスターズへの報酬として渡すまでは持って行けることだろう。
「いかがですか、トワさん」
タマモはトワを見つめる。
トワはマドレーヌの持つ「幻雪花」を眺めながら泣き続けていた。
言葉もなく、涙を流すトワ。
タマモは「トワさん?」と再び声を懸けると、トワはようやく反応を見せたのだ。
『……承りました』
「え?」
『……この一輪を以て、報酬と致しましょう。よろしいでしょうか?』
「この一輪だけでいいんですか?」
『……ええ。この一輪で十分です。いただけますか?』
「え、ええ」
マドレーヌは驚きながら、トワに「幻雪花」を差し出した。
差し出された「幻雪花」を、トワは触覚を上手に使い、そっと受け取ると、胸に掻き抱いたのだ。
『……様』
トワは再び涙を流しながら、ぽつりとなにかを呟いた。
なにを呟いたかまではわからなかった。だが、タマモはそれ以上声を懸けるのをやめた。
マドレーヌもまた空気を読んだのか、なにも言わずにトワを見つめている。
ふたりに見つめられながら、トワは「幻雪花」を掻き抱いたまま、地面に降りていた。
まるで手向けの花を抱きながら、祈りを捧げているかのよう。
祈りを捧げる相手が誰なのかは、タマモにははっきりとわかっていた。
だからこそ、タマモは口を閉ざした。
踏み入れてはいけないと思ったからだ。
なにも言わずに、タマモはただトワを見つめていた。
『ありがとう、我が友』
不意に、声が聞こえた。
タマモは周囲を見渡すが、誰もいなかった。
「姉様?」
「……なんでもない」
「そう、ですか?」
「うん。ごめんね」
マドレーヌに短い返事をしながら、タマモもまた気付けば手を組んでいた。
手を組みながら、タマモは静かに黙祷をした。
マドレーヌはいきなりのタマモの行動に驚いたようだったが、すぐにタマモに倣い、手を組み、黙祷をし始めた。
三つの黙祷が行き交う。
世界樹が溜め込む月明かりに照らされながら、三人の黙祷はしばらくの間続いた。
三人を包み込むようにして、穏やかな風が吹く。穏やかな風を浴びながら、三人の黙祷は続けられたのだった。




