つぶらかな雪解け
大晦日の特別更新です。
ちょっと不穏な内容ですが、フブキちゃんとマドレーヌのお話となります。
雑踏が見えていた。
行き交う人々の足取りは様々で、足の軽い人もいれば、重たい空気を背負っている人もいる。
でも、誰も彼もがしっかりと前を見つめながら歩いている。
その様子を眺めながら、うちはひとり溜め息を吐いていた。
「……はぁ」
見慣れた雑踏の景色。
常に夕暮れの街。
「始まりの街」と呼ばれるアルトの光景。
アルトは、常に夕暮れの街であり、里とはまるで違っていた。
そもそも建築様式からして違っている。
里の家々は、タマモ様が言うには和風というものらしい。
対して、アルトの街並みは大抵が洋風であり、中には和風の建築もあるということだった。
たとえば時計塔の広場から見て、南側の地域には和風の建築、里の家々に似通った建物が密集しているし、他の地域でもちらほらと和風の建築はある。
和と洋が入り混じった街。それがアルトなのだとタマモ様は仰っていた。
そんなアルトの中でうちはひとり雑踏を眺めていた。
理由は簡単で、マドレーヌ様に厳命されてしまったから。
タマモ様に言いつけられて、マドレーヌ様と一緒に買い出しに向かっていたのだけど、その途中で「着いてくるな」と言われてしまったからだ。
タマモ様の言いつけに、正直、よりにもよってとは思った。
マドレーヌ様はあまりうちのことを好んでおられない。
はっきりと言えば、嫌っておられる。
どうして嫌われているのかは、なんとなくだけどわかっていた。
マドレーヌ様はうちの立場が気に入らないのだ。
でも、どれだけ気に入られなかったとしても、うちにはどうしようもない。
うちにはもうタマモ様しかおられないのだから。
でも、マドレーヌ様にとってみれば、そんなことは関係がない。
マドレーヌ様にとって、タマモ様は憧れの姉様なのだ。
その姉様のおそばにうちはいつもいる。
以前までであれば、マドレーヌ様も目くじらを立てられることはなかっただろう。
でも、いまはそうじゃない。
以前のうちは奥方様の、エリセ様の従者だった。
タマモ様はエリセ様のご亭主であるけれど、主人ではなかった。
でも、エリセ様のご亭主であらせられるから、うちも間接的に仕えているという間柄だった。
だけど、いまのうちはエリセ様ではなく、タマモ様の従者だ。
そうなれば、自然と以前までよりも距離は近くなるし、その分だけおそばにいる時間も増えてしまう。
それがマドレーヌ様は気に入らないのだろう。
うちにも事情はある。
けれど、マドレーヌ様にとっては、うちの事情なんてどうでもいいこと。
だからこそ、マドレーヌ様からの当たりはかなり強かった。
それこそ敵視されていると言ってもいいくらい。
……正直なことを言えば、「うちに言わないで」と言いたい。
うちだって好きでタマモ様の従者になっているわけじゃない。
タマモ様のおそば以外には、うちに居場所なんてない。
里に戻ろうにも、唯一の肉親だったおばあちゃんはもういない。
シオン様にお願いすれば、もしかしたら里長の屋敷で働かせて貰えるかもしれないけど、可能性はたぶん低いと思う。
いまのシオン様にとって、うちはきっと目障りだろうから。
いや、目障りというよりかは、視界に入れたくないだろうから。
かといって、ほかに知人なんていない。
いるとすれば、せいぜい「四竜王」様方くらいだろうけれど、お仕えさせて貰うにはあまりにも畏れ多すぎる。
となると、うちの居場所はもうここしかなかった。
少し前まではとても温かく、幸せな居場所だった。
でも、いまはもう幸せとは、とてもではないが言えない居場所になってしまっている。
タマモ様たちまでもがうちを邪険にされているわけじゃない。
その逆でタマモ様方はうちのことを気遣ってくださっていた。
……そんな資格なんてうちにはないっていうのに。
それこそ、タマモ様はうちのことを責めることだってできるはずなのに、あの方はうちを責めることはされなかった。
それどころか、「ごめんね」と謝られていた。
なんでタマモ様が謝られるのか。
タマモ様が謝られるいわれなんてない。
なのに、タマモ様はうちを気遣い、大切にしてくださっている。
その気持ちがなによりも辛かった。
全部が全部うちのせい。
なのに、タマモ様はおろか、レン様もヒナギク様も、そしてアンリ様さえなにも仰らない。
ただ気遣うような視線を向けてくださるだけ。
その視線は下手な罵倒よりも、はるかに辛かった。
そういう点で言えば、マドレーヌ様の敵視はかえって心地いいくらいではある。
でも、心を休めることはできない。
心を休められないまま、日は過ぎていき、いまに至っている。
「あの日」からどれだけの時間が経ったのか。
日にちを数えることはもうやめていた。
数えようとすると、手が震えてしまう。
涙が止まらなくなってしまうから。
……エリセ様のぬくもりを思い出してしまうから。
だから、いまがいつなのかは、もううちにはわからなかった。
聞けば、きっと教えて貰える。
でも、聞く気にはなれなかった。
そんな日々を過ごす中で、今日うちははっきりとマドレーヌ様に拒絶された。
マドレーヌ様は、「着いてくるな」と厳命された。
うちのことが嫌いだからこそ、そう仰られたのだ。
好かれたいとは思っていない。
けれど、進んで嫌われたいとも思っていない。
マドレーヌ様のお言葉は、少しだけ辛かったし、悲しかった。
だけど、それ以上の悲しみと苦しみがうちの胸の中にはあった。
決して晴れることのない悲しいと苦しみが胸の奥に宿っている。
悲しみと苦しみをどうすればいいのか。
うちにはもうわからなかった。
「……どうしたらええんどす?」
もうわからない。
なにをすればいいのか。
どうすればいいのかも。
なにもかもがわからない。
わからないまま、うちはただ雑踏を眺めながら、俯いた。
俯きながら、つい口から出たのは──。
「……エリセ様、教えとぉくれやす。うちはどないしたらええんどすか?」
──もうお会することも敵わないエリセ様への問い掛けだった。
その問い掛けにエリセ様が答えてくださることはない。
そもそも誰も答えてはくれない。
うちはただ俯きながら、視界を歪ませていた、そのとき。
「見つけた!」
不意に、影が差した。
顔をあげると、そこには息を切らしたマドレーヌ様がおられた。
「……マドレーヌ、様」
「こんなところで、なにしてんの」
肩を上気させながら、マドレーヌ様は仰られた。
「……着いてくるなと仰られたさかい」
「なら、なんでここにいるの? 普通は帰るでしょう?」
「……帰るところなんて、もうあらしまへん」
「は?」
「……だって、そいますやん。うちなんかいてもいーひんでもええんどす。皆様に必要とされてまへん。そもそも気遣われるべきととちがうんどす」
「……それは、エリセさんの件で?」
「……そうどす。いーひんようになるべきやったのはうちどした。そやけどそないなうちを……」
目から雫がこぼれ落ちた。
拭うこともしないまま、うちはただ泣き続けていた。
マドレーヌ様はなにも仰らない。
マドレーヌ様の前でうちはただ泣くことしかできなかった。
「……それはエリセさんがそう仰ったの?」
「うちがそう思ただけどす。あの方はそんなんいわしまへん」
「……なんだ。じゃあ、それが答えじゃん」
「……え?」
泣きじゃくってからどれだけの時間が経ったのだろうか。
常に夕暮れの街では、時間の経過はとくにわかりづらかった。
影法師は長いまま。
うちとマドレーヌ様の影法師が重なることなく、並列して伸びていると、マドレーヌ様が不意によくわからないことを仰った。
「答え、って?」
マドレーヌ様のお言葉の意味がわからず、うちは首を傾げていた。
そんなうちにマドレーヌ様は、穏やかな笑みを浮かべられると、そっとうちのことを抱きしめてくださった。
エリセ様とお会いすることができなくなって以来のぬくもりだった。
「……私もまだ子供だからさ。気の利いたことは言えないよ。だけど、エリセさんがいまいたら、なんて言うのかはわかるつもり」
「……エリセ様が?」
「……うん。エリセさんだったら、こう言うんじゃない。「このバカフブキ。なにを勝手に落ち込んでいるの」ってね」
体を少し離して、マドレーヌ様は笑われた。
その笑顔は、どうしてだろう?
どうしてだろうか、エリセ様の笑顔によく似ている気がした。
「……エリセ様が」
「私はそこまでエリセさんとの交友は深くなかったけれど、あの人がすごく優しい人であることは知っている。フブキちゃんよりかは知らないけれど」
苦笑いしながら、マドレーヌ様がうちの頭を撫でてくださった。
その手つきも不思議とエリセ様と同じ、とても優しい手つきだった。
「エリセさんのことを私よりもフブキちゃんは知っている。なら、わかるでしょう? エリセさんがどうしてああいうことをしたのか。どんな想いでフブキちゃんを助けてくれたのかは」
「……それ、は」
「なのに、いまのフブキちゃんを見たら、エリセさんはきっと傷付くと思うよ? すぐに笑顔を浮かべられるようになれとは言わない。……私だっておばあちゃんがいなくなって塞ぎ込んでいたもの。でも、いつまでも塞ぎ込んじゃダメなんだよ。だって、私がいつまでも塞ぎ込んでいたら、おばあちゃんが悲しむだけだって思ったから」
「……悲しむ」
「そう。フブキちゃんはエリセさんが悲しむところを見たい? それとも」
「……笑顔を見たいどす」
「そう。なら、それが答えでしょう? いまは無理でも、いつかは笑えるようになって。じゃないと、エリセさんはいつまでも悲しむままだよ」
「……うちは強ないどす。マドレーヌ様のように強ない。そやさかい、笑顔なんて」
マドレーヌ様のお言葉は理解できた。
理解できても、うちには無理だと思った。
そんな強さなんて、うちにはないのだから。
だから、笑顔なんて無理だと思った。
でも、それさえもマドレーヌ様は一蹴されてしまった。
「なら、私が守ってあげる」
「……え?」
「フブキちゃんが笑顔を浮かべられるようになるまで、ううん、これからはずっと私が守ってあげるよ」
「……なんで」
「なんで、か。ん~。なんでだろうね? ただ、うん。いまのフブキちゃんを放っておけないんだ。なんだか泣き虫さんな妹ちゃんって感じがしてね」
「いもうと……うちが?」
「あれ? となると、私はお姉ちゃんになるのかな? ……うん、いいね。それ。よし、今度からは私がお姉ちゃんになってあげるよ!」
どんと胸を叩いて、マドレーヌ様は笑われた。
が、いきなりすぎる展開は、うちの理解力を置いてけぼりにしていた。
それでも、マドレーヌ様はあっけらかんと笑われると──。
「それじゃ、まずは笑ってみようか」
「……へ?」
──あまりにも唐突なお言葉をくださった。
いまは無理でもと仰った矢先に、なにを言っているんだろうと思ったけれど、マドレーヌ様は「ほら、笑って、笑って」と言いながら、うちの頬を引っ張って無理矢理笑顔を浮かべてくださった。
正直ちょっと痛い。
でも、どうしてだろう?
その痛みが不思議と心地よくて、うちは自然と笑っていた。
そんなうちを見て、マドレーヌ様も笑ってくださった。
そうしてふたりでしらばく笑っていると、タマモ様たちが息を切らして駆けつけてくださった。
でも、うちらが笑っているのを見て、タマモ様は最初はあ然とされていたけれど、事情を話すと「仕方がないなぁ」と呆れながらも頷かれてくださった。
ただ──。
「騒ぎを起こしたふたりには、当分皿洗いをしてもらうから、覚悟するように」
「了解しました、姉様!」
「え、さ、皿洗いって、もしかして」
「フブキちゃん、どうしたの?」
「いや、どうしたのって、そんなん」
「まぁまぁ、これはふたりへの罰だからね? ちゃんと励むように、ね?」
──とんでもない罰則を受けることになってしまったわけだけども。
すでに新店舗ができあがり、あとはリニューアルオープンを待つだけという状況下において、皿洗いを任されるということは、オープン初日のごった返すことが確定な状況下で延々と皿洗いをささせられることになったということ。
どう考えても地獄だった。
その地獄をマドレーヌ様は御理解されていないようだった。
どうにか理解してもらおうと口を開くよりも早く、タマモ様が念押しに「罰」だと言われてしまった。
うちにはもうどうすることもできなかった。
できたのは、ただ頷くことだけだった。
そのときになって、ようやくマドレーヌ様も「あれ、これ、もしかしたらヤバい?」と理解を示されたけれど、すでに時遅しだった。
数日後、うちとマドレーヌ様は地獄のような忙しさの中で延々と皿洗いをさせられることになった。
「……終わらないねぇ、フブキちゃん」
「そうどすなぁ。マドカ様」
延々と運ばれてくる食器類。
その食器類たちを見て、うちとマドレーヌ様、いや、マドカ様の目は死んでいた。
「でも、まぁ、やるしかないかなぁ。うん、お姉ちゃんだもんね」
むんと力こぶを作りながら、マドカ様はやる気になられていた。
「その意気どす」と笑いながら、次のお皿に手を伸ばすと、マドカ様はなぜか笑われていた。
「どうされたので?」
「ん~。フブキちゃんに「マドカ様」って呼ばれて嬉しいなぁって」
ふふふ、と楽しげにマドカ様は言われた。
うちが「マドカ様」と呼ぶようになったのは、その日から。
延々と運ばれてくる食器類に悪戦苦闘している際に、マドカ様ご自身が言われたんだ。
「ねぇ、フブキちゃん」
「はい?」
「今後はさ。マドレーヌではなく、マドカって呼んでね。あ、でも、私たちふたりのときとか、そばに姉様やアンリさんがいるときだけね?」
「マドカ様、どすか?」
「うん。そう呼んで欲しい」
「わかりました。では、今後ともよろしゅうおたのみもうします、マドカ様」
「うん、こちらこそ、フブキちゃん」
うちとマドカ様は改めて挨拶をしあった。
血の繋がりはない。
それでも、たしかにうちとマドカ様はそのとき姉妹になった。
お姉ちゃんではなく、様付けで呼ぶような変わった姉妹だけど、それでも、たしかにうちらは姉妹になれたんだ。
エリセ様とはもうお会いできない。
でも、もううちはひとりじゃない。
優しいお姉さんができたから。
だから、うちはもう寂しくはない。
見ていてください。
いなくなられたエリセ様に告げながら、うちとマドカ様はその後も延々と運ばれてくる食器類との格闘を行った。
洗い物をしているせいで、手はすっかりと冷えてしまったけれど、胸の奥は不思議と温かかった。
その温かさを胸に、うちはマドカ様と一緒にタマモ様からの罰をこなしていったんだ。
マドレーヌ視点を新年明けてすぐに更新します。
改めまして、今年もありがとうございました。




