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43話 これからも

 姉は笑っている。


 その笑みはとても穏やかだけど、同時にたしかな疲れのようなものを感じられた。


 余計な負担を掛けさせてしまっているのかもしれない。


 マドレーヌは、忸怩たる想いに駆られながらもそう思った。


 目の前には、蛍たちによる幻想的な舞踊が行われていた。


 二週間という人間の一生から見ればわずかな、瞬きのような一時で行われる円舞曲。


 小さな名もなき命たちによって行われる舞踏会。その舞踏会の観客にとマドレーヌたちはなっていた。


 蛍たちが灯すのはほのかな光。


 ひとつだけであれば、見逃してしまいそうなほどに、小さな輝き。その小さな光は蛍たちにとっては、渾身の命の光だった。


 夏の夜の、わずかな一時しか見ることが敵わない儚いもの。


 だが、その輝きはとても尊く、そして美しかった。


 そんな輝きを灯す舞踏会は、絢爛豪華とはとてもではないが言えない。


 が、絢爛豪華な舞踏会にも負けずとも劣らないほどに、マドレーヌには美しいもののように思えていた。


 それはきっとこの場にいる誰もが思っていることだろう。


 かつて、父と祖父もそう言っていた。


 マドレーヌの祖父は高齢だが、いまでも飲酒を嗜んでいる。


 父も昼間は真面目にサラリーマンとして働いているが、仕事から帰ってくると、ビールをよく呷っていた。


 ビールを呷る父のそばには、いつも同じように日本酒を飲む祖父がいる。


 普段、そこまで仲がいいとは言えない父も、祖父との晩酌はよく行っている。


 晩酌中の父と祖父は普段よりも仲がよかった。


 もっとも、剣術の話題になると、とたんに反りが合わなくなるのだけども。


 とはいえ、父も祖父の有り様は知っているし、祖父も父の考えには理解をしている。


 仲違いとまでは言わないけれど。


 あまり仲のよくないふたりではあるけれど。


 それでも実の父子であるからこそ、わかり合える部分もあるし、逆に相容れない部分もあるのだろう。


 その祖父と父が、以前教えてくれたことがあった。


 それこそが夏の夜の蛍についてだ。


 蛍と言っても、その生態を詳しく語ってくれたわけではなく、ふたりが語ったのは、蛍を肴に飲むお酒は美味しいのだという、なんとも不謹慎なことだった。


 二週間しか生きられない蛍を肴にするのは、冒涜とまでは言わないが不謹慎極まりないのではないかと当時は思ったし、実際に口にした。


 すると、ふたりは揃って苦笑いをして、「それはそうなのだけど」とやはり揃って頬を搔いていた。


 頬を搔きながらも、ふたりはそれぞれに語ってくれたのだ。


「人の一生と比べれば、蛍の一生はわずかなものだ。こうしてわしらが酒を嗜み、翌日に二日酔いになって苦しんだとしても、八十年ほどの人生においての一日にしかすぎない」


「でも、蛍にとっては一生の一割近い時間を失うということになる。同じ一日。でも、重さの違う時間を失うってことだね」


 酔いによって顔を赤くしながら、ふたりは家の縁側で隣り合っていた。


 そのときのマドレーヌは、やはり同じようにして縁側に座っていた。


 あいにくと蛍がいたわけではなかった。


 ただ、夏の夜空を彩るように、月と星の光が眩く輝いていた。


 その月と星を肴にしてふたりは晩酌を楽しんでいたのだ。


 当時のマドレーヌは棒アイスを片手に、ふたりとともに真夏の夜の星空鑑賞をしていた。


 その際に、ふたりが不意に漏らしたのが、蛍についてだったのだ。


「わずかな一時だからこそ、蛍たちの一生は美しく、そして儚い。その儚き一生を嘆くこともなく、彼らないし彼女らは夜空を羽ばたくのだ」


「その有り様はとてもきれいだよ。だからこそ、その有り様に敬意と夜空を彩ってくれることへの感謝を込めて、肴にするのさ」


「うむ。決して見世物にしているわけではない。その有り様と儚き一生を思ってこそ、酒飲みはその輝きを肴に一献を」


「……単純に、そういう建前にしてバカ騒ぎしたいだけでしょう? おじいちゃんと父さんは」


「「……」」


 父と祖父はなにやら言い募っていたが、建前であることは当時のマドレーヌでもわかっていたことだった。


 だからこそ、ばっさりと切り捨てるとふたりは揃って黙り込んでしまった。


 そこにおかしそうに笑いながら、おつまみとおかわりの日本酒とビールを持った母と当時はまだ存命だった祖母がふらりと訪れたのだ。

 

 父と祖父が建前を言い募っていたことを母たちにいうと、ふたりは揃って笑っていた。


 父と祖父は居心地が悪そうな顔で、後頭部を搔いていた。その仕草はさすがは親子と思えるほどにとてもよく似ていたのだ。


 そんな父と祖父を母と祖母と一緒に当時は笑ったものだった。


 当時は見られなかった蛍。


 しかし、いまこうして蛍の光を眺めていると、建前としか思えなかった父と祖父の言葉がなんとなく理解できる気がした。


 むろん、いまでもあれは建前だったとは思っている。


 だが、すべて建前だったわけではないのかもしれない。


 本当に儚き一生に敬意を払っていたのかもしれないと思えたのだ。


 とはいえ、心の底から敬意を払っていたのかはわからないけれど。


 でも、少なくとも儚むほどには。


 二週間という日々しか生きれないその一生を惜しむほどには、ふたりは蛍に対して感じ入るものがあったのかもしれなかった。


 どうしてそう思うのかは、いまいちわからない。


 そもそも、どうしてあの当時のことを思い出したのかもわからない。


 ただ、目の前で繰り広げられる、小さな命の輝きを見ていると、胸の奥からなにかが募ってくるのだ。


 そのなにかがなんであるのかは、よくわからない。


 わからないけれど、決して嫌なものではないことだけはたしかだった。


「……きれいですね、姉様」


「うん、とてもきれいね。……このまま、ずっとこんな日々が続けばいいのだけども」


「続きますよ。これからもずっと」


「……そうね。そうだといいわね」


 膝の上にいる姉が、感慨深げに言う。


 マドレーヌは心配性だなぁと思うが、姉にとってみれば、いまという穏やかな日々はようやく取り戻せたものなのだ。


 そのことを思うと、「心配しすぎ」とは口が裂けても言えなかった。


 それどころか、「続きますよ」と言ってしまったのは、あまりにも軽はずみな言動ではなかったかと思えてしまった。


 姉のことを考えれば、言うべきではなかったのかもしれないとマドレーヌは思った。


「……気にしすぎよ、円香」


「え?」


「軽はずみなことを言ってしまったとか、考えているんでしょう?」


「ど、どうして」


「だって、顔に書いてあるわよ? 「姉様に対して失礼なことを言ってしまった」ってね」


 くすくすと姉が笑う。


 言い当てられた驚きと、笑われてしまった恥ずかしさでマドレーヌはなにも言い返すことができなくなってしまった。


 そんなマドレーヌに姉であるタマモは言った。


「……私も少しばかり悲観的になりすぎていたわ。楽観的とまでは言わないけれど、もう少し肩の力を抜いてもいいのかもしれないわね」


 ふふふと穏やかにタマモは笑う。


 笑いながら、「そうでしょう?」とウィンクをしてくれた。


 タマモは大人っぽいところもあるが、その一方で少女らしいところも持ち合わせていた。


 その少女らしい部分を垣間見て、マドレーヌは自身の頬に熱が溜まっていくのを感じ取った。


「……姉様には敵いませんね」


「そう簡単に負けちゃったら、姉として情けなさ過ぎるでしょう?」


「それでも、私は姉様をお慕いしますけど」


「やぁよ。そんなの。お情けみたいじゃない」


「は、はぁ」


「だから、あなたの姉として相応しいようにこれからも振る舞っていくわ。ゆっくりかもしれないけれどね。その分、あなたもゆっくりと追いかけてきてちょうだい」


「……もう、なんですか、それ」


「ん~? 年上ぶりたいお年頃ってところよ」


「そうなんですか?」


「ええ、そうよ」


 ふふんと胸を張るタマモ。


 そんなタマモの言動に、マドレーヌは笑っていた。


 心の底から楽しく笑っていた。


 問題は残っているし、解決方法も模索するしかなく、道程は真っ暗である。


 それでも、たしかに笑えていた。


 笑うことができた。


 道先の不安など気にすることなく、マドレーヌはたしかに笑えていたのだ。


「姉様」


「うん?」


「これからも、どうかよろしくお願いします」


「ええ、こちらこそ」


 タマモとともにマドレーヌは再び笑った。


 先行きの不安は解消されていない。


 それでも、その不安は不思議といくらか軽くなった気がした。


 軽くなった心のまま、マドレーヌは目の前を見つめる。


 繰り広げられる蛍たちの円舞曲。


 その美しさに目を再び奪われた。


 が、その有り様はたしかな変化があった。


 ほんのわずかな変化だろう。


 それでも、たしかに変わっていた。


 軽くなった心で、マドレーヌは繰り広げられる小さな舞踏会をいつまでも眺め続けていたのだった。

今年の本編の更新はこれにて終了です。

今年もありがとうございました。

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