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42話 いつか必ず

 湖畔はとても静かだった。


 最近は気の早い蝉たちの大合唱が行われていたが、今日は空気を読んだのだろうか? 大規模なリサイタルは行われてはいなかった。 


 静寂に包まれた地中農園内の湖畔では、ぽぅとしたほのかな黄緑色の光が夜闇の中を舞い踊っていた。


 夜空を舞うのは、無数の蛍たち。


 数えることもできないほどの大群で、湖畔の上を舞っていた。


 蝉たちの大合唱を盛大なリサイタルとすれば、蛍たちによる舞踊は、音楽のない舞踏会というところだろう。


 現れては消え、消えては現れる。


 不可思議な黄緑の光が無数に集まって繰り広げられる円舞曲。


 ほんの二週間ほど、夜空を彩る儚き光。


 その儚さと温かみのある蛍光色が合わさり、目の前で繰り広げられる光景はとても幻想的なものだった。


 そんな幻想的な光の下、現在のタマモは──。


「……姉様、大丈夫ですか?」


「……大丈夫、だよ」


 ──これ以上とないほどにダウン中であった。


 具体的に言えば、マドレーヌの隣で五体投地──手足を投げ出して仰向けに転がっている真っ最中である。


 仰向けに横になっているタマモだが、その頬ははっきりとわかるほどにやつれており、明らかにお疲れ気味である。


 タマモがダウンすることになった要因にして要員である某ふたり組は、さすがに目が余るということで現在焦炎王からのお説教を受けている真っ最中であった。


 お説教を受けながらも、ふたりははきはきとした口調で「はい」や「今後は気をつけます」と宣言していた。


 ふたりの言動は焦炎王はおろか、普段ひょうひょうとしているフェニックスでさえも絶句するほどである。


 焦炎王たちが絶句するほどに、いまのふたりの表情はとてもきれいな笑顔でかつ、やけに艶々としたものであるのだが、どうしてそこまで艶々としているのかはあえて言うまい。


 仮に言うとすればだ。それだけタマモが頑張らさせられたということである。


 そうして頑張りに頑張らさせられた結果、タマモは五体投地をすることになったわけである。


 五体投地をするほどの消耗をさせられながらも、タマモは「やりきったぜ」と言わんばかりに、達成感をその顔に浮かべてある。


 これで唇の端から血でも流していたら、死闘とも言うべき激戦をくぐり抜けてきたように思えるのだろう。


 実際のところは、激戦は激戦でも嫁たち相手への激戦であるため、すごいとは思えるだろうが、リスペクトできるかと問われると、答えがノーであることは間違いないだろう。


 そんな激戦をくぐり抜けてきたタマモを、マドレーヌは「お労しや」と介抱をしているのだ。


 タマモは五体投地をしているものの、頭部だけは地面に直接触れてはいない。


 タマモの頭部はマドレーヌの膝の上に乗っていた。


 とはいえ、タマモ自身がマドレーヌの膝を借りたわけではない。


 マドレーヌがみずから進み出て、膝を貸しているというだけのことである。


 ……本来であれば、某ふたり組の瞳孔が縦に割ける案件であるのだが、さすがに焦炎王からのお説教中ではそれも難しい。


 が、一番の理由は、タマモを徹底的に頑張らさせたこともあり、現在の某ふたり組は普段の何倍も穏やかな心持ちであるため、「これくらいならば」と容認しているということである。


 もっとも、それらのことはふたりとの関わり合いが短いマドレーヌはもちろん、ふたりの旦那様であるタマモでさえもあずかり知らぬことであった。


 言うなれば、現在タマモがマドレーヌの膝を貸して貰っている状況は、奇跡的な光景と言えるのである。


 その奇跡の立役者にして、功労者であるタマモは、普段とは異なる膝の感触を味わいながら、夜空を彩る、蛍という名の小さな星々たちを見やっていた。


 タマモに膝を貸しているマドレーヌもまたタマモを心配しつつも、目の前に広がる幻想的な光景に目を奪われていた。


「きれいなものね」


「……はい。とてもきれいです」


「ここ最近はいろいろとあったけれど、なんだかんだで平和に過ごせていて、私としては満足だわ。……あなたを前に言うことではないのだろうけど」


「それ、は」


「……無理になにかを言わなくてもいいわ。というか、そういう精神状態じゃないでしょう?」


「……はい」


 マドレーヌはタマモの言葉に静かに頷いた。タマモの言う通り、いまのマドレーヌはとてもではないが、満足とは言えない状況下にある。


 それでも、その不満を口にも、態度にも出さずにいるのは、年齢を考えれば立派なものだ。


 どれだけ年齢を重ねても、不満を口や態度に出してしまう者はどうしてもいるものである。


 その不満を心の奥底深くに押し込んで、表面上はなにも気にしていないように振る舞う。


 それがいかに難しいことであるのか。


 その難しいことを、まだ小学生という若さで為しえているマドレーヌの精神力には、タマモは内心で脱帽しているし、尊敬もしている。


 妹分だからといって、尊敬しないなんてタマモは考えていなかった。


 妹分だろうと、いや、年齢の上下なんて関係なく、尊敬できる人は尊敬できるし、できない人にはできないものだ。


 その点で言えば、マドレーヌには、タマモは素直に尊敬できたのだ。


 まだ年齢が二桁になって数年ほどだというのに、怒りと憎悪を押し殺し、平然としているように振る舞える。


 果たして、マドレーヌと同年代だった頃の自分にそんなことができただろうかと思うと、その有り様に尊敬を抱けないわけがなかった。


 反面、あまりにも心を押し殺す様に気がかりを抱いてしまうわけなのだが。


 尊敬できる妹分。


 言葉尻だけを捉えると、少しだけおかしなところはあるものの、タマモにとっては決しておかしなことではなかった。


 そもそも、尊敬できる妹分なんて、早々得られるものではないだろう。


 逆に言えば、その妹分が恥じないような姉として在り続けなければならないということもであるのだが。


 タマモにとってマドレーヌはかわいい妹分であると同時に、なかなか厄介な子でもある。


 だが、それを踏まえても「かわいい妹分」であることには変わりはない。


 その「かわいい妹分」の心に差した闇。


 その闇をどうすればいいのか。


 タマモはここ最近散々悩んでいるものの、その答えは杳として得られていなかった。


 あるとすれば、件の女神であるスカイディアの件を解決することくらいだろうか。


 そのスカイディアにしても、いまのところタマモたちにできることはない。


 というか、いまのタマモたちの手に負える程度の事柄であれば、とっくの昔にエルド神がどうにかしているだろう。


 そのエルド神でもどうにもならない問題が、いまの自分たちの手に負えることだとは、タマモには到底思えなかった。


 それは同時に、マドレーヌの闇をいまはどうにもできないということでもある。


 かわいい妹分のためになにかをしてあげたいところだが、そのなにかがいまのところはなにも思いついてなかった。


「……情けないものね」


 ふぅとため息を吐くタマモ。すると、マドレーヌが意を決したように口を開いた。


「そんなこと、ないです」


「え?」


「……姉様に、私は救っていただいています。こうして姉様とご一緒できるだけで、私は十分なくらいに幸せですから」


 マドレーヌは笑った。


 笑えるような精神状況ではないだろうに、それでもたしかに笑っている。


 その笑顔を見て、タマモはいたたまれなさとともに、愛おしさを憶えていた。


「それでも、いつかあなたの闇を払ってあげる。そうでもないと、「姉様」としては格好がつかないからね」


 ふふふ、と笑うタマモ。マドレーヌはわずかに息を呑んだ後、「はい。お願いします」と再び笑ったのだ。その目尻を光らせながら。


 目尻に浮かぶ光。その光と不意に横切った蛍の光が反射していた。


 黄緑の反射光。瞬く間だけ映った光。その光をまぶたの裏に焼き付けながら、タマモは「いつか必ず」と呟いた。


 マドレーヌはなにも言わない。


 なにも言わずに、ただ静かに頷いた。


 湖畔の静けさは続く。


 気の早い蝉の声も、焦炎王たちの声もなく。


 ただ静けさだけが広がっていた。


 蛍たちの、瞬きのような命の輝きとともに。


 静けさだけが、湖畔を包んでいた。

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