38話 夕暮れ空にため息を
気の早い蝉の声が聞こえていた。
夏本番には早すぎるのだが、真夏のような快晴の中で、勢いよく鳴く姿は夏の到来の兆しのよう
もっとも常に夕暮れである「アルト」内においては、蝉が勢いよく鳴く姿は若干不釣り合いである。
「そんなものは知らん」とばかりに、蝉は鳴き続けていた。
夕暮れであれば、ヒグラシの声が響きそうなものだが、「アルト」内の蝉はミンミンゼミやクマゼミなど、多種多様な蝉たちによる一大オーケストラが開演されている。
気の早い蝉たちの織りなすBGMが響く中、タマモは農業ギルドの一角、「フィオーレ」の本拠地の裏手の雑木林の中にいた。
雑木林の木々は、相変わらず背が高く、日の光が届き辛いため、鬱蒼と生い茂っていた。
そんな雑木林の入り口で槌を振るう音がこだまする。
槌を振るっているのは、タマモ。その背後には腕を組んで様子を見守る、カーペンターのミナモトもいた。
ミナモトはじっとタマモに視線を向けながら、タマモの作業を文字通りに見守っていた。
タマモが行っているのは、小屋の建設だった。
卒業試験で作った犬小屋の次のステップとして、ミナモトに指定されたのが小屋の建設だったのだ。
小屋と言っても、その規模は犬小屋を縦にいくらか連結させて、タマモの身長どころか、レンの身長さえも超えるくらいの高さにし、その分横幅と奥行きを追加した程度の小さなもの。
むしろ、小屋というよりかは物置という方が近いほどだ。
それでも、中で数人が過ごせるくらいの大きさはある。
だが、あくまでも過ごせるくらい。中で生活ができるほどではない。
そんな小さめの小屋をタマモはいま建設していた。
小屋には釘は一本も使わない宮大工の方式で建てていた。
宮大工の方式は、この小屋の建設までに散々犬小屋を作り続けてきたことで、どうにか理解できるようになったタマモ。
しかし、まだ身についたとまでは言えない。というか、言えるわけがなかった。
タマモ自身、せいぜい半月程度で職人として板についたなんて言おうとも思っていない。
どんな職種にせよ、半月程度で身についたなんて言えるわけがないのだ。
むしろ、そんな大それたことを言ったら、即座に怒号が飛ぶほどであろう。
それは職人であればなおさらだ。
そしてタマモもまた職人の端くれと自負しているため、同じ職人の仕事をたった半月で身についたなんて、とてもではないが言えなかった。
だが、徐々に大工の仕事を理解しつつはあるとは思っている。
見習いから卒業し、ようやく半人前に手が掛かるどうかというのが現在のタマモが自認する「大工」としての腕前である。
実際、スキルレベルは20にまで達しており、ミナモト曰く「まぁ、そこくらいから半人前ってところかね?」ということだった。
とはいえ、ここまであっという間にスキルレベルを上げたことは事実である。
そのことはミナモトも認めてくれていた。
ミナモトが認めるほどの急成長を遂げた理由。
それはタマモのEKのセットスキルの影響だった。
「取得経験値極減」と「取得経験値上昇極」のふたつのスキルの効果である。
正確にはふたつのスキルの相乗効果によってだった。
「極減」と「上昇極」はそれぞれ「取得経験値を強制的に1にする」と「取得経験値を5倍にする」という効果がある。
しかし、このふたつが揃うと、リンク効果が発動し、「生産行動に限り取得経験値を10倍にする」というぶっ飛んだ効果が発動することになる。
「大工」もやはり生産行動であるため、当然取得経験値が10倍になる効果は発動する。
そして取得した経験値は、プレイヤーのレベルとスキルレベルそれぞれに加算されるため、タマモの「大工」のスキルレベルが急上昇したのだ。
加えて、タマモ自身のレベルも上がり、現在のタマモのレベルは35まで上がっていた。
HPとMPは一万の大台をとっくに超過し、全プレイヤー中トップの数値にと躍り出ている。しかも圧倒的大差でである。
現在のプレイヤーの中で、タマモのHPを通常攻撃だけで削りきれる猛者は存在しえない。
無論、特別スキルや「急所突き」などの特殊な攻撃であれば、削りきれることは可能だろうが、それもタマモが棒立ちになって一切防御を固めていないという前提あってだ。
もはやタマモは不沈艦と言ってもいいほどに成長したのだ。
それでも向上心を以てタマモは、「大工」の修行に励んでいた。
「ふむ。そこまでだな」
「え?」
が、壁となる板と板を接続するための楔を打ち込んでいる最中、ミナモトが突如としてタマモを止めたのである。
いきなりのストップに困惑を隠せないタマモ。対してミナモトは腕を組んだまま、無言で佇んでいた。
いままでのミナモトとは違う態度にどう接すればいいのかわからず、タマモは右往左往する。
が、ミナモトは黙して語らず、しばしの間、ふたりの間でなんとも言えない空気が漂い始めた。
「……狐ちゃん」
「は、はい」
「集中ができてねえぞ」
ぽつりとミナモトが呟いた言葉に、タマモは声を詰まらせてしまう。
その様子に「やっぱりな」と呟いてから、ミナモトは後頭部をがしがしと掻きむしると、手早く仕事道具をしまっていく。
「今日は終わりだ。これ以上やっても修行にならん。それは狐ちゃんもわかっているだろう?」
「……はい」
「職人人生において、こういう日もある。だから、まぁ、そう気落ちすんなよ?」
「……すみませんでした」
「だから……あぁ、まぁ、いいか。とりあえず、また明日な? それまでには元通りになっておきなよ?」
「はい。ありがとうございました」
「おう。じゃ、またな、狐ちゃん」
仕事道具をしまい終えたミナモトは、豪快に笑いながら、仕事道具を肩に担いで立ち去ってしまった。
その背中を眺めながら、タマモは「はぁ」と大きくため息を吐いた。
ミナモトが指摘したことは、なにひとつ間違ってはいなかった。
だからこそ、タマモも気落ちしてしまった。
「やっちゃったなぁ」
せっかくミナモトが時間を割いて指導してくれているというのに、その厚意を無駄にしてしまった。
忸怩たる気分になり、タマモは再び大きくため息を吐いた。
吐息は重い。加えて気分もまた重い。
しかし、そうなるのも無理もない。
タマモが集中しきれていなかった理由。
それは妹分のマドレーヌが原因である。
とは言ってもマドレーヌになにかをしたわけでも、マドレーヌがなにかをやらかしたわけでもない。
今後のことをマドレーヌに話すことが、タマモの集中を阻害していたのだ。
今後のことというのは、ゲームという体を為している「ヴェルド」の中でのことではない。
その外、現実の地球でもなく、他の世界についてのことだ。
そしてその世界の存在こそが、タマモとマドレーヌが特別なプレイヤーとなった要因でもある。
その要因である世界のことをマドレーヌに伝えることが、どうにも気が重くなってしまったのだ。
その理由は、要因の世界の神がクッキーの記憶の改ざんを為したこと。
その神にマドレーヌが憎悪を向けているのだ。
が、タマモたちの立場を踏まえれば、その憎悪を向ける神のいる世界にいずれ赴かなければならないのだ。
とはいえ、責務というわけではない。
あくまでもタマモもマドレーヌも候補であるだけ。
しかし、候補であるための特権も得られていることは事実。
タマモであれば、アンリとエリセ。マドレーヌの場合はクッキーだったのだが、その当のクッキーに手を出されてしまったのだ。
マドレーヌの気持ちは痛いほどに理解できる。
それでも、立場を考えればいつかは言わなければならないことでもある。
そのいつかをいつにするのか。
それがタマモの集中を削いでいた理由であった。
「……どうしたものかなぁ」
ふぅとため息を吐きながら、流れる汗を拭ってタマモは空を見上げる。
見上げると、相変わらずの夕暮れの空が広がっていた。
広がる夕暮れをぼんやりと眺めながら、タマモは「本当にままならないなぁ」と何度めかになるため息を吐くのだった。




