31話 悶々
マドレーヌの髪が風に攫われていく。
長く伸ばした後ろ髪が、風が吹くとともに靡いていた。
後ろ髪同様に前髪も靡いてはいるものの、マドレーヌは空いている左手で前髪を押さえていた。
左手で前髪を押さえながら、右手はメニュー画面を操作していた。
人差し指と同じく、マドレーヌの目も左右に行き来している。
その表情はあ然としつつも、「へぇ?」と呟きながらしきりに頷いている。
マドレーヌは二通届いたメールのうちの一通を熟読していた。
二通届いたメールの内訳は、一通がすべてのプレイヤーを対象に送られた「「新機能のアンロック」についてのお知らせ」で、もう一通がおそらくはマドレーヌだけに送られた「言い訳の詳細」だった。
マドレーヌが読んでいるのが、二通目の「言い訳の詳細」だった。
その内容を熟読し、マドレーヌは「ん~」と背筋を伸ばした。
「言い訳の内容にしてはよくできていたなぁ」
マドレーヌは感嘆したように頷きながら、メニュー画面を閉じた。
まだユキナたちがログインすることはないだろうが、証拠はさっさと隠滅するに限る。
運営から送られた「言い訳の詳細」は別途でフォルダを用意し、そのフォルダ内に移動させた。フォルダ名は「プライベート用」にした。
仮にユキナたちにメール画面を見られたとしても、「プライベート用」としておけば、詮索はされないと思ってである。
そうして証拠を隠滅してから、マドレーヌはゆっくりと息を吐いた。
「一晩で考えたのかなぁ?」
ふぅと息を吐きながら、「言い訳の詳細」についてマドレーヌは振り返った。
「言い訳の詳細」に書かれていたのは、「新機能アンロック」の内容とほぼ同じ内容が書かれていた。
ただ、「新機能アンロック」とは違い、「どうしてそうするのか」という詳細まで書かれていたのだ。
たとえば、純粋なSRランクのEKを対象にするという文面が「新機能アンロック」にはあった。
「前々から予定していたSRランクの救済処置を実施することにしました」とあったが、それは真っ赤な嘘である。
マドレーヌの持つEKがSRであり、そのEKがたまたま進化したからこそSRランクを対象にするという体にしているというだけのことだ。
以前から予定していたなんてことは一切なく、マドレーヌが真実を知り、EKを進化させられたからこそであり、そうでもなければSRランクの特殊進化なんて予定にはなかったのだ。
だが、それをそのままメールで認めるわけにはいかないので、要望でよく挙げられていた「SRランクの不遇説」をこの際に改善しようとしたというのが事実だ。
「言い訳の詳細」にはそのこともしっかりと記されていた。
そして三つの条件も、すべてマドレーヌに合わせたものである、と「言い訳の詳細」には書かれていた。
第一条件は大抵のプレイヤーは満たしており、その大抵のプレイヤーにはマドレーヌも含まれているため、問題はない。
第二条件のスキルについては、マドレーヌは「武闘大会」で入手していたため、当然これもクリアしている。
そして第三条件の特殊なフィールドについては、土轟王の居城たる「地中農園」がそもそも特殊フィールドであり、そこで戦闘を行ったため、やはり満たしている。
ゆえにマドレーヌはすべての条件をすでに満たしていた。
というか、マドレーヌの状況に合わせた条件にしたのだ。
第一条件はまだしも、第二と第三はなかなかにくせ者である。特に第三条件はだ。
どうにか第二条件のスキルを手に入れられたとしても、第三条件を満たすには「地中農園」のような特殊フィールドでの戦闘が必須となる。
とはいえ、すべてのプレイヤーに「地中農園」のようなフィールドに来られては、土轟王を始めとした特殊フィールドの主に負担が掛かる。
なので、いずれかの特殊フィールドに今後は限定するものの、そのいずれかがどこになるのかはまだ選考途中である。
ゆえに、いまのところマドレーヌのようにすべての条件を満たせるプレイヤーは当分出現はさせない、と「言い訳の詳細」には書かれていた。
だが、それではマドレーヌに凸するプレイヤーが横行しそうなものだが、それに関しては逐一対応するということだった。
いまは第二条件のスキルを入手するのに大抵のプレイヤーが集中しているため、第三条件に関してはほぼスルーされているが、スキルを取得したプレイヤーが出た段階で、マドレーヌへの凸は控えるようにと公式に運営が声明を出す予定である、とも書かれていたのだ。
その声明を無視する愚か者相手には厳格に対応する予定である、と「言い訳の詳細」には記されていた。
厳格がどういう意味あいであるのかは、火を見るよりも明らかであろう。
実際、マドレーヌもその一文を読んで「うわぁ」と若干引き気味になったほどである。
そして最後に「言い訳の詳細」を書いた者──主神エルドからのメッセージがあった。
「タマモくんに続いて、この世界の真実を知る者が増えたことは喜ばしいことだ。なかなか癖のある世界ではあるけれど、今後も彼女に続く英雄となれることを祈っているよ。なお、年少の君を不快な目に遭わせないようにするつもりなので、安心してほしい」
エルドからのメッセージはあっさりとしたものだったが、最後の「安心してほしい」という言葉にはエルドからの真摯な気持ちが伝わってきた。
ちなみにエルドについては、先日のタマモとの茶会の際に言及されており、タマモ曰く「なかなかの畜生な神様だ」ということだった。
だが、そのメッセージだけならば、タマモが言う「畜生」な部分は窺えない。
だから当初マドレーヌも「姉様なりの冗談なのかな?」と思っていたのだが、最後までメールをスクロールし、タマモの言う意味ははっきりと理解できたのだ。
「追伸。この世界であれば、クッキーくんをお嫁さんにして何の問題もないからね? その場合はぜひ仲人を任せて欲しいな。無論、子供が欲しければ、その場合は全力で協力するから安心してね?」
追伸の内容を読み、マドレーヌは一瞬固まった。固まりつつも、即座にメールを閉じたのだ。
いや、メールを閉じるどころか、そのままゴミ箱にぽいっとしたい衝動に駆られたが、この手のメールというものは下手に消去するのは憚れたので、泣く泣く別のフォルダに移動させるという手段を取ることになったのだ。
そうして別フォルダへと移動させ終えて、マドレーヌがまず思ったこと。それは──。
「……姉様の言う通りだったなぁ」
──タマモの言うとおり、なかなかに畜生な髪様であることを全面的に認めるということであった。
同じ「安心してほしい」ということだったのに、どうしてこうも落差があるのだろうかと小一時間ほど問い詰めたい気分にはなった。
もしかしたら、エルドなりのマドレーヌを和ませるためのジョークだったのだろうが、その内容はあまりにも笑えないどころか、プライベートに土足どころか、車で突進してきたようなものである。
勘弁して欲しいなぁ、と思いつつも、マドレーヌの頬はほんのりと染まっていた。
「……けっこん」
ぽつりと呟いた言葉は、髪を靡かせる風に攫われてしまったが、マドレーヌはその言の葉を口の中で転がすように反芻し、悶々とした気分になった。
「う、うぅ~」
悶々とした気分のまま、マドレーヌは頭を抱えながら背中から倒れ込むと、左右に体を転がせていく。
そろそろ思春期に突入するマドレーヌにとって、「結婚」や「子供」というワードはあまりにも攻撃力が高すぎた。
もしかしたら、それを見越してエルドはあえて言ったのかもしれないが、それはそれで「畜生」である。
そんな「畜生」な神様にいまも見られているかもしれないが、そのことまでマドレーヌは考えることはできない。
考えられるのは、クッキーの唇の感触と、まぶたを閉じてクッキーのいわゆるキス待ち顔であり、そのふたつにマドレーヌはさらに悶々とさせられることになった。
「あぅぅぅ~!」
マドレーヌは言葉にならない唸り声を上げながら、湖畔を転がり続けた。
その後、マドレーヌがまともに行動できるようになったのは、結局ユキナたちがログインしてきたからであった。




