26話 先駆者
どこからか時計の音が聞こえていた。
規則正しく時を刻む音。慌ただしくもあるが、ゆっくりでもある音。
相反するような音がどこからともなく聞こえてくる。
円香はその音を聞きながら、目の前にいる土轟王を見やる。
年齢は高校生くらいの少年。背丈はそこまで高くはないが、低くもない。
隣に立つヨルムの、長身の老齢な執事のおかげで背丈は低めに思えるが、ヨルム抜きで隣に立たれると、土轟王がそれなりの背丈があることがわかる。
その土轟王は脚を組みながら、ヨルムが淹れた紅茶を啜っていた。ヨルムはトーションを腕に掛けながら、瞑目して土轟王の隣で佇んでいる。
その姿だけを見ると、いいところのお坊ちゃんと爺やという風に見える。それこそ画になるような光景である。
画になるような光景を生み出しているふたりは、土轟王が紅茶を啜る以外の音は立てていない。
それ以外の音と言えば、先述した時計の音、もしくは自身以外の「一滴」の面々とユキナの寝息だった。
土轟王たちから視線を外し、三人のいるベッドを見やると、三人ともぐっすりと眠ってしまっている。現実世界の姿としてではなく、それぞれのアバターとしての姿でだ。
全員が「妖狐族」と呼ばれる種族であり、ピンと立った狐耳と二又のふさふさの尻尾を持っている。
全員がたまたま「妖狐族」となったわけではなく、全員が全員狙って「妖狐族」となったのだ。
理由は前回、この世界における最初の「武闘大会」から始まる「フィオーレ」の活躍、つまりはタマモの姿に憧れてからだ。
「一滴」もユキナも全員がタマモのファンである。ファンであるが、マドレーヌとクッキーのふたりはタマモよりもそのパーティーメンバーであるレンとヒナギクにより憧れを抱いていた。
それでも、このゲームを始める切っ掛けとなったのがタマモの存在であることには変わりなく、一番ではなくとも、憧れの存在であるのだ。
その憧れの存在であるタマモとフレンドとなり、交友を深めるようになった。
特にユキナに至っては、同じクランに加入できたのだ。喜びはひとしおだろう。
ユキナほどではないが、フィナンもクッキーも、そしてマドレーヌもまたタマモたちと交友を深められているいまに、いままでになかった喜びを抱いている。
そう、喜んでいるのだ。たとえゲーム内世界だったとしても、憧れの存在と知り合えたいまをだ。
だが、マドレーヌ、いや、円香は現在足元が崩壊したような気分になっていた。
目の前にいるのは、フィナン、ユキナ、クッキーの三人。現実ではの友人たちのアバターとしての姿だ。
そう、円香が目にしているのは三人のアバターであり、現実での三人ではなく、ゲーム内世界の三人の姿である。
となれば、円香もまたアバターである「マドレーヌ」となっているのが当然のはずだった。
しかし、円香の持つ手鏡、土轟王から差し出された手鏡に映っているのは、アバターの「マドレーヌ」ではなく、現実世界の姿である円香だったのだ。
その時点で意味がわからない状況であるというのに、土轟王は続けてこう言ったのだ。
「この世界は本物の異世界である」と。
言われた瞬間の衝撃は凄まじく、円香は呆然となった。
しかし、呆然となりつつも、実際に「マドレーヌ」ではなく、円香としてここにいる理由にはなる答えでもある。
もっとも、理由になると言っても、真っ先に「ありえない」と思っているので、納得したわけでもなければ、理解したわけでもない。
ただ、「本物の異世界」と言われたら、「なるほど」とは思えてしまう。思えてしまうが、まだ理解とまでは言わない。
いわば、いまの円香は「本物の異世界」という言葉をただ受け入れただけである。
理解し、納得したわけではないのだ。
いまのままならば、「よくできたイベントだな」という程度で終わる。
しかし、同時に「イベントにしてはありえない」という想いも沸き起こっていた。
というのも、現在円香はメニュー画面を開いているのだが、そのメニュー画面の端にある時計にははっきりと「ログアウト中」と書かれているのだ。
本来ならこの時計には、残りのログイン時間が表示されているはずなのだが、現在は残りのログイン時間ではなく、「ログアウト中」という表示になっている。
いままでのゲームライフで、一度も見たことのない表示だった。
文字通りの意味であれば、本来はログアウトしているということなのだ。
だが、そのログアウトしているはずの状態なのに、円香はゲーム内世界である「ヴェルト」に存在していた。
いったいこれはどういうことなのか。
円香の頭にはふたつの答えが浮かびあがった。
ひとつは、少々悪趣味ではあるが、手の込んだイベントということだ。
ここの運営の悪趣味が往々にして発揮されることはよくあることである。
ゆえに、このような騙し討ちとも言える手の込んだ突発イベントを行ったとしても、不思議ではない。
むしろ、それでこそ、ここの運営だと思えてしまうあたり、ここの運営が普段どのような運営をしているのかという証左と言える。
もうひとつが、「ありえない」という言葉が先行するが、土轟王の言う通り「本物の異世界」であるということ。
本物の異世界だったとすれば、ログアウト中という表示も、現実の円香としてゲーム内世界に存在しているというのもわかる。
わかるのだが、「夢見すぎ」と一笑されることでもある。
もしくは「のめり込みすぎ」と言われることだろう。
のめり込んでしまうほどに、「エターナルカイザーオンライン」がよくできたゲームであるということでもある。
……もっとも、その分なかなかに鬼畜仕様だったり、従来のゲームの常識が通用しない、とんでも設定がそれなりにあり、スタートしてすぐは馴染みづらくはあったわけだが。
それでも先人たちの功績により、第二陣以降のプレイヤーたちはずいぶんと遊びやすくなったのだ。
初期は仕様に戸惑ったり、とんでも設定に嘆きはしただろうが、最初から仕様と設定を理解していれば、戸惑うことは少なかった。
それでも、馴染むまでには多少の時間は必要だったが、先人たちに比べれば、その程度としか言いようがない。
そんな少々癖のあるゲームであるが、いまや爆発的な人気を誇っている。
その理由こそがタマモたち「フィオーレ」の存在である。
前回の「武闘大会」からずっと人気のあったクランであったが、その人気がより加速したのが、「一滴」も参加した「第二回武闘大会」だった。
劇的な戦闘と勝利を重ね、最終的には前大会優勝クランであった「三空」をも打ち破ったのだ。
「フィオーレ」の試合は、すべて公式HPに掲載されており、その試合を見て「EKO」を始めようとするプレイヤーは後を絶たない。
そのうえ、新規プレイヤーに人気があるのは「妖狐族」と来ている。どう考えてもタマモフリークのプレイヤーであることは間違いない。
それほどまでにタマモたち「フィオーレ」の後追いプレイヤーは多く、その分「EKO」の人気は爆発的なものだった。
その「EKO」において、円香が直面している現状は、とてもではないが理解が追いつかないものである。
新手のイベントなのか。
それとも本当に土轟王の言う通りなのか。
頭の中をぐるぐると廻るふたつの答え。そのどちらが正解なのか。
円香は思考を巡らせながら、正解を導き出そうと躍起になっていた、そのとき。
「そろそろ、いいかな?」
土轟王が声を掛けてきたのだ。振り返ると土轟王は、ティーカップをソーサーに置いて、じっと円香を見つめていた。
その視線になんとも言えない居心地の悪さを感じつつ、円香は佇まいを直して、改めて土轟王と向かいあう。
「す、すみません。少し考え事を」
「あぁ、そのことはいいさ。ゲーム内世界だったと思っていたら、本物の異世界だったと言われてもすぐには頷けるはずがない」
「は、はぁ」
「さすがに「彼女」のようにすぐに頷けるわけもない。むしろ、普通の感覚をしていたら、そんな感嘆には頷けることじゃないよ」
「彼女、ですか?」
「うん。さっきも言ったが、世界の真実を知ったのはプレイヤーとしては君が二人目なのさ。その一人目、つまりは先駆者がいる。そしてその先駆者は君もよく知る人物だよ」
ニコニコと笑う土轟王。その笑みには若干のうさんくささがあった。
だが、うさんくさかろうが、その言葉の通りであれば、この世界が現実の異世界であることを知っているプレイヤーがいる。そしてその人物は女性であり、円香もよく知る人物だということ。
土轟王から与えられた情報から、円香が真っ先に思いついたのは、最初に憧れた小さな背中だった。
「……タマモさん、ですか?」
「正解。よくわかったね」
どうしてタマモの名前を口にしたのか、タマモが思いついたのかはわからない。
気付いたときには、タマモの名前を口にしていたのだ。
そうして円香が口にした名前を聞き、土轟王は穏やかに笑って頷いたのだ。




