2話 ローズ
「闘技場」の内部をしばらく駆け抜けていたタマモたち「フィオーレ」だったが、「闘技場」の入り口が見えなくなったところで不意にレンは立ち止まった。
「ここならもう大丈夫かな?」
ふぅと息を吐きながら、小脇に抱えていたタマモを地面に下すレン。レンに地面に下してもらえて人心地をつくタマモだったが、レンのスピードが速すぎて若干目が回り、足元がおぼついていなかった。
「大丈夫、タマちゃん?」
レンに手を引かれながら走っていたヒナギクは、なぜか汗ひとつ掻いていなかった。
それどころか足元がおぼつかないタマモを気遣っていた。
タマモを気遣える程度にはヒナギクには余裕があったようだった。
タマモにとってはまるでジェットコースターに乗っているかのような感覚だったのだが、ヒナギクにとっては日常茶飯事のようなことだったのかもしれないと思うタマモだった。
「一応大丈夫だと思うのですよ」
「いや、そんなあからさまにふらつかれて大丈夫と言われてもなぁ」
苦笑いしながら、タマモと目線が合う高さにまで屈みこむヒナギク。
ふらつきながらもタマモは不思議そうに首を傾げていると、おもむろにヒナギクはタマモを抱き締めていた。
いきなりのことに動転しそうになるタマモと若干羨ましそうにタマモを見やるレン。
だが当のヒナギクは平静としながら、タマモの背中をぽんぽんと優しく叩いていた。
そうあくまでも優しくである。ヒナギク的な意味での優しくではなく、一般的な意味での優しくタマモの背中を叩くヒナギク。
(それだけ力加減できるなら、普段からすればいいのになぁ)
まるで幼子をあやしているかのようなヒナギクの姿を見て、しみじみと思うレン。
もっともヒナギクにしてみれば、できるかぎりの力加減は常にしている。
そう力加減はしているのだ。ただ単に力加減に幅がありすぎるというだけのことだった。
その幅がありすぎるということが、一番の問題であるのだが。その問題の一番の被害者であり、現在ヒナギクにあやされているタマモはと言うと──。
(あー、ここはどこですかねぇ。天国ですかぁ?)
──ヒナギクの胸に抱かれて夢心地になっていた。顔が半分ほど胸に埋まっていた。
アオイほどにジャストフィットはしないが、なかなかのフィット感と甘く優しい香りに、タマモの目はとろんと半分閉じられていた。頭の上にある耳や後ろから丈の短い袴を防御する三本の尻尾は力なく垂れ下がっていた。
「……なんだか、タマちゃんの目がおかしい気がするなぁ」
「レンってば、ヤキモチ?」
「な、そんなことねえし!?」
夢心地のタマモを見て、唇を尖らせるレン。そんなレンをからかうようにして笑うヒナギク。そしてふたりのやり取りをほぼ聞いていないタマモ。
実にいつもの「フィオーレ」らしい光景だった。
そんな「フィオーレ」に近づく人影があった。ちょうどレンとヒナギクの背中側から歩いて来ているため、ふたりとも気づいていなかった。ただその影の持ち主はヒナギクとレンのことに気付いていた。そして──。
「やぁ、レンくん、ヒナギクちゃん」
──穏やかな声でふたりにと声を掛けた。急に声を掛けられたヒナギクとレンは「え?」と驚いた声をあげた。タマモは夢心地な表情で「ほえ?」と寝ぼけたような声を出していた。そんな三人の反応に声の主は苦笑いしていた。
「あ、こんにちは、ローズさん」
「おひさしぶりです、ローズさん」
「うん、ひさしぶりだね」
ヒナギクとレンがそれぞれに頭を下げたのは、ローズという名の女性プレイヤーだった。ヒナギクとレンと同じ革製の胸当てを身に着けている。二刀の剣を左右に腰に佩いており、二刀流の剣士ないしは盗賊などの斥候系のプレイヤーのようだった。
そのローズに向かって二人が頭を下げたことでつられて相手が誰なのかもわからずにタマモも頭を下げていた。ローズはふふふとおかしそうに笑いながら、ヒナギクとレン、そして寝ぼけ眼のタマモを見つめて言った。
「その子がふたりの言っていたお仲間さんかな?」
「はい。せっかくお誘いいただいていたのに、申し訳ないです」
「いろいろとお世話にもなったのに、ご恩を返せなくてごめんなさい」
「いいよ、いいよ、あの子たちも納得しているし。それにうちのクランも新しいメンバーを入れたからね。穴埋めはできたよ」
「そう言っていただけるとありがたいです」
「本当にごめんなさい」
ローズに向かって平謝りするヒナギクとレン。ふたりとローズのやり取りを聞いてなんとなく状況を理解したタマモは恐る恐ると口を開いた。
「えっと、もしかしてヒナギクさんとレンさんを誘っていたプレイヤーさん、ですか?」
「うん、そうだよ。って自己紹介を忘れていたね。私の名前はローズ。クラン部門で出場する「紅華」のリーダーをしているの。よろしくね」
穏やかに笑いながらローズは右手で握手を求めてきた。求められるままにローズと握手するタマモだった。