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20話 これはあーしのもんだ

 吐息が泡となっていく。


 水面へと向かって、吐きだした空気が泡に、気泡となっていく。


 円香は次々に浮かびあがっていく気泡を、ぼんやりと眺めていた。


 思考はすでに真っ白となっており、いま自分がどうなっているのかも考えられない。


 ただ、次々に浮かびあがっていく気泡を、ぼんやりと眺めることしかできなかった。


 仄暗い水の中で、真っ白な気泡が浮かびあがっていくのを見るのは、不思議と飽きなかった。


 このままずっと眺めていたいと思っていた。


 ごぼっという音が聞こえてきた。


「なんだろう」とぼんやりと聞こえてきた方を見やれば、そこには口元を押さえる清香がいた。


 清香の姿を見て、円香の意識は一気に覚醒し、清香の手を掴み、慌てて水面へと向かって浮上する。


 清香は円香に掴まれていない手で口元を押さえていた。


 その円香自身は唇を真一文字に結んで、清香の手を掴んでいる手とは逆側の手、右手で水中を搔きながら、水面への浮上を目指していた。


 そして、あと少しで浮上できるというところで、不意にぐいっと後方に引っ張られた。


「なにしてんの、きよちゃん」と振り返って、円香はあ然とした。


 清香が真っ白な触手に掴まれていたのだ。


 いきなりの光景に「は?」と呆然となる円香だが、円香が現状を把握するよりも早く、清香はなぜか笑ったのだ。


 なんで笑っているんだろうと思ってすぐ、清香の手を掴んでいた右手に痛みが走った。


 軽いが鋭い痛み。右手がわずかに出血した。その痛みに清香の手を掴む力が緩んでしまった。


 しまった、と円香が思ったときには、清香は白い触手によって水底へと引きずり込まれていく。


「きよちゃん!」と叫ぶも、全身を覆う水のせいでまともな言葉にはならなかった。


 気泡が多く溢れただけ。


 だが、清香は笑っていた。


 穏やかに笑いながら、唇を動かしていく。


「ごめんね」と清香が紡いですぐ、その口元さえも白い触手に覆われてしまう。


 それでも、清香は笑っていた。穏やかに笑いかけてくれていた。


 その笑顔を眺めながら、清香へと腕を必死に伸ばすも、円香の手が清香へと届くことはなく、真っ暗な水底へと清香は引きずり込まれていく。


 その暗闇に真っ赤な瞳が浮かびあがる。瞳は爛々と輝きながら、清香を束縛しながらゆっくりと水底へと向かっていた。


 その瞬間、円香の中でなにかが切れた。


 激しい感情が渦巻くも、同時に息苦しくなり、円香は両手を強く握りしめながら、いったん浮上した。


「ぶはぁ!」


 肺いっぱいに酸素を吸い込みながら、円香は荒い呼吸をくり返す。


 呼吸の荒さは徐々に落ち着いていく。が、円香の中の激情はまったく落ち着くことはなかった。


「……()()()()()


 体をぶるぶると震わせながら、円香の目は水の中にいた真っ赤な瞳の持ち主への怒りを抱いた。


「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな……ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな、ふざけんじゃねえ、あの目玉野郎!」


 全身の毛を逆立てながら叫ぶ円香。普段よりも荒々しい口調になりながら、円香は水底を睨み付ける。


()()()()()()()、きよちゃんをひきずりこんでんだよ! ふざけんなよ、あの目玉ぁ!」


 憎き目玉の持ち主への怒り、いや、憎悪を燃やす円香。


 そのあまりの憎悪に円香自身、若干の戸惑いはあるものの、その戸惑いさえも「どうでもいい」と切り捨てると、自身のEKを、SRランクの「上質の刀」を抜いた。


「ぶった切ってやる! きよちゃんはてめえのものじゃねえってことを教えてやる!」


 歯を剥きながら、円香は大きく息を吸い込んで再び水中へと、凄まじい勢いで潜水していく。


 本来なら水中へ、それも水底へと向かうのであれば、ゆっくりと潜水していくものだ。


 だが、そのセオリーを完全に無視し、殺気立ちながら水底へと向かっていく円香。


 眉間を大きくしわ寄せ、血管は浮かびあがり、その目はとても鋭い。が、なによりもその表情は激情に染まっていた。


 普段のお調子者めいた円香とも、「マドレーヌ」ともまったく違う顔。その顔を見れば、誰もが息を呑むことであろう。


 それほどの激情に円香は駆られていた。


 ついにはアバターである「マドレーヌ」の、妖狐族である「マドレーヌ」の力を使って、水魔法と風魔法を合わせて使い、急速潜水を行っていく。


 視界は少しずつ点滅するも、「そんなものは知ったものか」と言わんばかりに潜水する円香。


 そうして急速潜水を行い続けていると、白いものが見えた。


 その白いものは最初小さく見えた。だが、近付くにつれて徐々に大きくなっていき、やがて円香の身長をはるかに超えた巨体のイカとなった。


 巨体なイカには真っ赤な目があった。見間違えることのない真っ赤な目がだ。


 やはり見間違えることのない、見覚えのある触手があった。そのひとつに気を失っている清香が握られていた。


「見つけたぞ、イカ野郎!」


 本来なら喋ることなどできない水中で、はっきりと円香は言葉を発していた。


 冷静であれば、「なんで」と思っただろうが、いまの円香はとてもではないが冷静とは言えない状態であった。


 ゆえに握りしめた「上質の刀」の変化にも気付いていなかった。


 円香の手にある「上質の刀」は青く揺らめく光を帯びていた。


 あからさまな変化であるが、円香には目の前にいる憎き巨大イカとその手に囚われた清香しか見えていなかった。


 円香は巨大イカとの距離を一気に詰めて、清香を蝕む触手を一刀で切断する。


 触手を切られた痛みか、それとも獲物を奪われた怒りなのか、巨大イカの体が白から赤へと染まっていく。


 だが、円香の怒りと憎悪は巨大イカのそれをはるかに超越していた。


「なに、キレてんだよ! 頭にきているのはこっちだっつーの! きよちゃんはてめえのもんじゃねえんだよ!」


 水中で叫ぶ円香、いや、水中で円香は吼えた。その咆哮に巨大イカの目に、真っ赤な瞳にわずかな怯えが見えた。


 円香は清香を抱きしめながら、「上質の刀」を納刀すると、大きく息を吐きながら、脇構えを取る。


 同時に巨大イカが残った触手を勢いよく伸ばしてくる。真っ赤な触手が迫る中、円香は巨大イカを睨み付けながら告げたのだ。


「きよちゃんは、てめえのもんじゃねえ。()()()()()()()()()()()()()!」


 自分がいまなにを言ったのかも円香はわかっていない。感情のままに言葉をぶつけながら、迫り来る触手を搔い潜り、円香は刀を煌めかせた。


 それは円香の操る「神威流抜刀術」における奥義のひとつであり、円香が現状唯一放てる奥義。


 現当主である円香の祖父が、円香を次期後継者として認めることになった要因であり、祖父をして円香を「天才」と言わしめたもの。

 

 そして武闘大会の決勝戦において、「エスポワール」のマスターであるマリーを葬った一撃。その名は──。


「白雨!」


 ──白雨。由来は夕立、にわか雨の別名から。短い間に激しく、そして雷とともに降ることもあるその雨のように、一瞬の間に一撃必殺の閃光の一刀を放つ様から命名されたもの。


 その奥義が巨大イカの体をふたつに裂いた。巨大イカはその一撃を以て絶命し、瞬く間にドロップアイテムを残して消滅した。


 が、そこが円香の限界でもあった。


 急速潜水を行い、わずかな間とはいえ、戦闘もこなしたことで限界が訪れたのだ。円香の意識はふっと息を吹きかけたように消えた。


 それでも清香を抱きしめる手は緩まなかった。

 

 そんな円香と清香の元に、別の巨体が虎視眈々と忍び寄ろうとした。だが、それよりも早く砂色の巨体がふたりをそっと包み込んだのだ。


『去ね、愚者が。この子らには指一本たりとも触れさせぬ』


 砂色の巨体から声が発せられた。その声に忍び寄っていた巨体は瞬く間に逃亡を開始する。


 その様を見て、砂色の巨体、否、砂色の竜は鼻を鳴らした。


『……まぁ、いい感じに収まった、ってところかな?』


 おかしそうに笑いつつ、砂色の竜──土轟王は笑うと、円香と清香、そして漂っていたドロップアイテムを回収すると、ゆっくりと土轟王は水面へと向かって浮上していく。


 その手の中には抱き合うようにして眠る円香と清香の姿があった。その顔はお互いにとても穏やかで、そして心地よさそうなものだった。

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