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16話 マドレーヌの想い

 薄暗くなりつつある農地を駆けていく。


 柔らかな土の上を、走り慣れない畑の上をどうにかマドレーヌは駆けていた。


(……もう、なんでこんなことになるわけ?)


 呼吸はすでに乱れていた。


 いままで生きてきて、こんなにも息が乱れたのはほとんどなかった。


 もっと幼い頃はよく呼吸を乱していたけれど、そうなったのも祖父の稽古を受けていたからだ。


 マドレーヌは、「神威流抜刀術」という剣術流派を代々受け継ぐ家に産まれた。


「神威流抜刀術」は「神威流宗家」の分派のひとつであり、剣術に特化した流派であり、「宗家」から分派した最初の流派という話だった。


 もっとも、流派の歴史はマドレーヌにはどうでもいいことだった。


 歴史よりも大事なことがある。


 それは流派を受け継ぐことだった。


 現在の「神威流抜刀術」は、マドレーヌの祖父が当主として立っているが、還暦をいくらか超えた祖父はそろそろ当主として在り続けることが難しくなっている。


 が、次代の当主はいまのところいなかった。


 というのも、祖父の息子であるマドレーヌの父は、剣術はからっきしなうえに、興味を持ってさえいないのだ。


 それどころか、剣術なんて今時流行らないし、何の金にもならないのだから、さっさと淘汰されればいいとさえ言い放つほどだった。


 そんな父の言葉に祖父はいつも激高するが、父もまた祖父にケンカ腰になってしまい、いざこざが絶えないのだ。


 マドレーヌには兄弟はいないため、「抜刀術」の継承は本来なら絶望的だった。


 が、そこで立候補したのがマドレーヌだったのだ。


 マドレーヌ自身は、剣術一本で食べていこうと考えてなどいない。


 しかし、マドレーヌは剣術が好きだった。


 特に祖父の型を見るのが大好きだったのだ。


 還暦を超えてからは、少しずつ体が鈍くなっている祖父だが、一度剣を手にすると、それまでの鈍さはどこへやら、マドレーヌでさえも遠く及ばないほどの速度で剣を操るのだ。


 祖父の剣は一筋の閃光であった。その閃光にマドレーヌはどうしようもなく憧れてしまったのだ。


「おじいちゃん、あたしもやってみたい!」


 初めて祖父の型を見て、マドレーヌはそう告げていた。


 が、当初の祖父は「おまえは女の子だからなぁ」と渋っていたし、父も「女の子が剣術なんて」と難色を示していた。


 だが、それでもマドレーヌは「やるったらやるの」と強行したため、父も祖父も揃って折れたのだ。


 おそらくは、当時のふたりは「そのうちに飽きるだろう」と思ったのだろう。一時の感情で言っただけのことだと考えていたのだろう。


 だが、マドレーヌはそれからずっと剣を振るい続けてきた。


 一日も休むことなく剣を振るった。


 最初の頃は十回も振るえば、へとへとになっていた。


 だが、それが徐々に回数を増やしていき、いまでは日に数百回剣を振るえるようになっていた。

 

 次第に祖父は認めてくれたし、父も説得を諦めて「好きにしなさい」と言ってくれるようになった。


 それだけを見ると、剣一筋で生きてきたと言えなくもないが、剣術の稽古を行いつつも、マドレーヌは年相応の女の子としても振る舞ってきた。


 かわいいものを見たり、集めたり、甘いものを食べたり、恋愛の話をするのも聞くのも大好きだった。


 特に恋愛に関しては大好物と言ってもいいくらいだ。


 恋愛に恋い焦がれつつも、剣術の腕を磨く。それがマドレーヌにとっての当たり前だった。


 年相応なようで、年相応ではない日々。それでもマドレーヌは日々を楽しんで生きてきたのだ。


 だからこそ、今回のことはマドレーヌにとっては想定外すぎることだった。


 昔からの友人であるクッキーに、頬とはいえキスをされてしまったこと。


 マドレーヌにとっては、驚天動地や青天の霹靂とも言える事態だった。


 だが、当のクッキーはとても傷ついた顔で、泣きながら逃げ出してしまったのだ。


 自分からキスをしておいてとも思う一方で、どうしてクッキーはキスをしてきたのかとも思う。


 ……答えなんて言われるまでもないことではあるけれど、それでも「まさか」という思いは否めなかった。


 マドレーヌにとって、クッキーは口うるさい友人だった。


 ことある毎にマドレーヌに突っかかってくるクッキーとは、正直に言って相性は最悪だと思っていたのだ。


 会った当初はそうでもなかったのだが、いまや完全に犬猿の仲である。


 少なくともマドレーヌ自身は、クッキーとは相容れぬ関係だと思っていた。


 でも、相容れぬと思っていたのは、あくまでもマドレーヌだけだった。


(あー、もう、なんであーしがこんなにも悩まないといけないわけ!?)


 土轟王からは「終わらせてあげることも優しさだ」とは言われた。


 普通に考えれば、その通りだとは思うのだ。


 マドレーヌもクッキーも女の子だった。


 女の子同士の恋愛。


 決して一般的とは、普通の恋愛とは言えないものだ。


 こればかりは父も祖父も許してくれないだろう。


 特に流派を受け継がなければならない以上、その次代を確保することは責務でもある。


 だが、クッキーの想いを受け入れるということは、次代の確保が絶望的となるということだった。


 祖父の剣を受け継がせることができなくなる。


 マドレーヌにとって、耐えがたいことであった。


 かといって、クッキーを傷付ける選択をするとうのは、それはそれでなにかが違う気がするのだ。


 なによりも、クッキーの涙を見てから、どうにも調子が狂っているのだ。


 あんな涙なんてもう見たくないと思うほどに。

 

 どうせ見るのであれば、もっと別の涙がいい。


 が、別の涙とはいったいどんなものなのか。


 マドレーヌにはわからなかった。


 そもそも、どうすればいいのかもわかっていない。


 わかることがあるとすれば、それはクッキーを放っておくことなんてできないということだけだった。


(あぁ、もう! いろいろとごちゃごちゃとして、面倒くさい!)


 どうすればいいのかはわからない。


 だが、放っておくことなんてできやしない。


 ならば、追いかけるしかないじゃないか。


 追いついたらどうすればいいのかはわからない。


 それでも、追いつくまで追いかけるしかなかったのだ。


 遠ざかっていた背中は、もうだいぶ近くなった。


 あと少し。


 もう少しで、腕を伸ばせば届く。


 そこまでどうにか近付くことはできた。


 だが、それは同時に、そこからはどうすればいいのかという問題が生じるということだった。


 なにを言えばいいのか。


 なにを伝えればいいのか。


 いまだにわからない。


 わからないけれど、まずは行動を起こすことだ。


 手を拱いている余裕なんてない。


 だからこそ、それは必然だったのだろう。


 クッキーを追いかけているうちに、いつのまにか湖の畔まで来ていた。


 それも若干高台になっている畔にだ。


 周囲が薄暗くてそのことに気づけなかった。気づいていなかったのは逃げ続けるクッキーも同じだったのだ。


 突如、目の前からクッキーが消えたのだ。同時に、真っ暗な水面が見えた。


 マドレーヌが考えたのはそこまでだった。


「──清香!」


 気づいたときには、クッキーを追いかける形で湖へと飛びこんだ。


 クッキーは疲れなのか、それも諦念だろうか、湖に落ちると同時にまぶたを閉じていた。


 そんなクッキーをマドレーヌはどうにか抱き留めて浮上していった。


 とっさだったこともあるし、走り通しだったこともあり、浮上したときには大いに息切れを起こしていた。


 ぜーはーと荒い呼吸をくり返しながら、マドレーヌは腕の中にいるクッキーを、気を失ったクッキーを見てほっと一息を吐いた。


「……本当に、きよちゃんは世話が焼けるよね」


 気を失ったクッキーを見て、かつての日々を、出会った当初のことを思い出しながら、マドレーヌは岸へと向かった。


 腕の中にあるぬくもりに、ひどく安堵していく自分に疑問符を浮かべながら。

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