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15話 ごめんね

 ──最悪だ。


 クッキーは農地の中を駆け抜けながら思った。


 農地であっても、作物を踏み荒らすことはしていない。


 が、なにも埋まっていない畝や、真新しい畝は踏み荒らしてしまった。


 ……みんなで作り上げたものを、自分が壊してしまった。


 ──あぁ、最悪だ。


 クッキーは再び思った。


 四人で作り上げたものを、壊してしまう。


 作り上げてきたものが、壊れていく。


 大切だったものが、壊れてしまう。


 涙が溜まっていく。


 溜まった涙を拭うことなく、クッキーは駆けていく。


 柔らかく耕された農地の中を、できる限りの力を振り絞って駆け抜ける。


 どこまで駆ければいいのかなんてわからない。


 でも、いまはここにいたくなかった。


 いや、いていいはずがなかった。


 だから、駆ける。


 風のようにとは言えないが、それでもできる限りの力を振り絞って駆け抜けていく。


 普段であれば、まだ乱れることのない呼吸が荒くなっていく。


 目の前がチカチカと明滅する。


 それでも足を止めない。


 心臓が張り裂けてもいい。


 いや、張り裂けて欲しい。


 このまま心臓が裂けて、倒れればいい。


 そうすれば、もうなにも考えなくて済む。


 答えなど知らないで済むのだから。


 どうしてだ。


 どうして溢れてしまったのだろうか。


 あいつとふたりっきりのときにどうして溢れてしまったんだろうか。


 クッキーは自身にそう問い掛ける


 だが、答えなど返ってくるわけがない。


 ペーパーテストの解答とは違い、正解が自分の中からは出てくることはなかった。


 わからない。


 浮かびあがってくるものは、それだけ。それ以外はなにもない。


「……あぁ、本当に、最悪だ」


 疾走しながら、こぼれ落ちた言葉は、まるで呪いのようだった。


 自身のこれからへの呪い。


 積み上げてきた関係を、みずから壊してしまったこと。


 もう二度と四人一緒にいることはできない。


 できるわけがなかった。


 全員が友人同士だった。


 低学年の頃よりかは疎遠になってしまったけれど、それでも昔からの友人同士だった。


 なのに、その絆を壊してしまった。


 わずかに自分を抑えきれなかった。


 たったそれだけで、すべてを台無しにしてしまった。


 涙がこぼれ落ちる。


 こぼれ落ちる涙を拭うことはできなかったし、しようとも思わなかった。


 ただ、駆け抜けていく。


 風と言うにはほど遠い速度で駆け抜けていく。


 でも、どれほどに駆け抜けても心臓は張り裂けてくれない。


 とっとと張り裂けてしまえばいいのに。


 どうして張り裂けてくれないのか。


 わからない。


 どうしてまだ足は動くのだろう。


 どうして呼吸が止まってくれないのだろう。


 どうして涙はこぼれ落ち続けるのだろう。


 なにもかもがわからなくなっていく。


 それでも前に、前に進んでいく。


 いや、本当に前に進んでいるのだろうか。


 本当は前になんて進んでいなくて、後退しつづけているだけなんじゃないか。


 それとも後退さえもしていないのか?


 あらぬ方向へと向かっているだけじゃないのか?


 問いかけの答えはない。


 答えなんて最初からわかっている。


 返ってくるものがないなんて、とうにわかりきっているのだから。


 恨めしい。


 自分自身が恨めしかった。


 どうして、我慢できなかった?


 どうして、耐えきれなかった?


 いままで、ずっと秘め続けてきたのに。


 どうして、あのときだけ、それを続けられなかったのか。


 涙が溢れさせながら、クッキーは自問自答を続けていく。


「──っ!」


 不意に、声のようなものが聞こえた。


 聞き間違いだと思い、徐々に重たくなってきた足を無理矢理動かす。


 全力疾走をこんなにも続けたことはなかった。


 低学年の頃からメタボ解消のためにと父親とともにボクシングジムに通い、体はだいぶ強くなった。


 ロードワークは日課として続けているけれど、それでも全力疾走をここまで続けたことはなかった。


 ロードワークは持久力を着けるためのもので、全力疾走を続けるためのものじゃない。


 そもそもの話、人はいつまでも全力疾走を続けられない。


 ある程度で限界が訪れる。


 それは科学的にも証明されている。


 だが、クッキーは自分自身が全力疾走をありえないほどに続けているということに気付いていた。


 もし、このまま続けてしまったらどうなるのか?


 その先の答えはわからなかった。


 でも、もし。そう、もしもクッキーの願い通りになるのであれば──。


「──ってばぁ!」


「っ!?」


 今度ははっきりと声が聞こえてきた。


 いま、一番聞きたくない声がはっきりと聞こえてしまった。


 振り返ると、はるか後方にマドレーヌがいた。


 マドレーヌが必死の形相で追いかけてきていた。


 マドレーヌを見てすぐ、クッキーはがむしゃらに駆け出した。


「あ、こらぁ!」


 マドレーヌが叫ぶ。


 だが、頭を振り乱して、なにも聞きたくないとばかりに駆けていく。


 そんなクッキーにマドレーヌは「待っててばぁ!」と叫ぶ。


 クッキーはなにも言わずに駆ける。


 マドレーヌは叫びながら駆けてくる。


 どちらがより先に音を上げるのかなんて目に見えている。


 ただ走っているだけのクッキーと走りながら叫ぶマドレーヌ。


 より無駄が生じているのはマドレーヌだ。


 どう考えても先に音を上げるのはマドレーヌであり、このまま駆けていれば追いつかれることはほぼありえない。そうクッキーは思っていた。


 だが──。


「ぐぬぬぬぬ!」


 ──妙な声とともに、マドレーヌが迫ってきていた。


 はるか後方だったのに、徐々にマドレーヌは距離を縮めてきて、もう十メートルも距離はなくなってしまっている。


 なんで、と思ったが、すぐに答えはわかった。


 全力疾走を続けすぎた。


 クッキーとしては、全力疾走を続けているつもりだが、もう全速力とは言い切れないほどの速度になってしまっていたのだ。


 スタミナもとっくに切れており、ただ走っている体を続けているだけなのだ。


 それではマドレーヌから逃れることなどできるわけもない。


「あと、ちょっとぉぉぉ!」


 マドレーヌが叫ぶ。振り返ると、あと一メートルも距離はないほどに追い込まれていた。


 追いつかれたら、どうなるのか。


 なにを言われるのか。


 そう考えた瞬間、クッキーの頭は真っ白になった。


 動かなくなっていた体を無理矢理動かして、再び駆け出す。心臓がいままでになく高鳴り、吐き気が込み上がるが、それでも足を踏みだす。


「ちょ!? なに、無理して──危ない!」


 マドレーヌがいままでになく慌てていた。


 なんだろうと思ったときには、踏み締めるはずの大地はなかった。


「……え?」

 

 足元を見やれば、地面がなかった。


 見えるのは、真っ黒になった湖。底が見えないほどに薄暗い水面だけ。


「ぁ」


 もう体は地面から投げ出されていた。虚空の中を足を動かしていた。


 だが、どれだけ足を動かしても、空回りするだけだった。


「っ! 清香ぁ!」


 マドレーヌの声。頭上から聞こえていた。


 顔をあげると、マドレーヌも身を投げ出していた。


「なん、で」


 どうして追いかけてくるの?


 そう思った矢先、不意にかつてのことが、低学年の頃のことが脳裏に蘇った。


『きよちゃんって、あーしとおそろいの漢字なんだぁ』


 かつてのマドレーヌの笑顔が浮かびあがる。……初めて憧れた人の笑顔が色鮮やかに浮かびあがった。


「円、香……」


 涙が宙を舞う。宙を舞った涙がマドレーヌの頬を濡らしていく。


「……ごめん、ね」


 クッキーは必死の形相を続けるマドレーヌに泣きながら謝った。


「ごめんね、まどちゃん」


 ──好きになってしまって、本当にごめんね。


 続く言葉を飲み込みながら、クッキーは自身の胸を押さえた。


 それからすぐにドボンという音とともにクッキーは水の中に沈んだ。


 水の中に沈みながら、クッキーが最後に見たのは、水中を変わらぬ顔で、必死の形相で水中まで追いかけてくる憧れ続ける人の、マドレーヌの顔だった。

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