6話 交渉
深緑の天井から日の光が差し込んでいた。
巨大な大樹──天に届くほどの世界樹の枝葉という名の天井の隙間から日の光が農園一面に広がっていた。
物理的に考えれば、木漏れ日ではそこまで明るさはない。
むしろ、木漏れ日は薄暗いものだ。太陽から遠いほど、差し込む光を遮る木が大きいほど、自然と暗くなってしまう。
本来であれば、地底農園もその例から漏れることはなく、薄暗くなるはずなのだが、地底農園は常に明るかった。
差し込む光は木漏れ日だけのはずなのに、まるで地上のように、遮られることなく太陽の光が差し込んでいるように、常に明るい。
それこそ、ここが本当に地底にあるのかとさえ思えるほどだ。
とはいえ、地上とは違い、地底農園には限りがある。
その限りある土地は、非常に豊かな緑で覆われていた。
限りある土地に棲まうモンスターもいる。が、他者を糧にする肉食系のモンスターは、一匹の例外なく同胞たちを襲うことはない。
それどころか、侵略者たちから同胞を護るべく、警備の任に就いていた。
逆に草食系のモンスターたちは、農園の管理に勤しんでいる。
捕食者と被捕食者という絶対的な関係が、地底農園では通用しない。
言うなれば、モンスターたちにとっての楽園。それが地底農園だった。
そんな地底農園に、新本拠地建設のための協力の交渉に来たタマモ。
交渉相手は地底農園の主である土轟王ではなく、クーの妹であるトワだった。
かつてクーは自ら虫系モンスターズを率いて、現在の本拠地を建設してくれた。
そのクーはもうおらず、配下だった虫系モンスターズもだいぶ少なくなってしまった。
残った虫系モンスターズはいまもタマモたちにいろいろと協力してくれるものの、経験者である彼らを以てしても、さすがに新本拠地建設を建てようとしたらどれほど時間が掛かるのかはわかったものではない。
当然タマモたちも建設には関わるが、建設のための頭数は以前の比ではない。いまの人数では、人手不足になることは間違いない。
かといって、近隣のファーマーやカーペンターに要請するのも問題ではある。
現実では、まだ四月。新生活が始まった者も多い時期であり、それぞれの生活が安定していない時期でもある。
そんな時期に、どうあっても掛かりきりになるような作業をお願いするのは憚れたのだ。
それに一般プレイヤーには時間というどうしようもない制限がある。
制限ギリギリまで作業して貰えたとしても、それが毎日となると、現実はもちろん、この世界でもいろいろと支障をきたす可能性は十分にあった。
協力を要請するのは確定であるものの、それを誰にするのか。
タマモが予め考えていた相手こそが、トワだった。
繰り返しになるが、トワはクーの妹であり、クーはかつていまの本拠地を多数の虫系モンスターズを引き連れて建設してくれた。
トワもクーと同じく、配下の虫系モンスターズがおり、その配下たちはクーの配下たちより進化した種族たちだし、クーの配下たちよりも数は多い。
新本拠地建設に関して、これ以上とない人手となることは間違いなかった。
そのための交渉をトワとするべく、タマモは地底農園に訪れたのだが、そのトワからまさかの条件を出されることになったのだ。
その条件とは──。
「──ボクが建築の責任者、ですか?」
タマモが建築の責任者になるということであった。
『ええ、その通りです。タマモ様に責任者、いえ、この場合は作業監督になっていただきたいのです』
タマモの問いかけの返答にトワは条件を改めて突き付けていた。
その条件はタマモが想定していなかったものであった。
「なぜボクに?」
『ずいぶんと異なことを仰られるものですね? タマモ様方の本拠地というのであれば、当然タマモ様方も建築に携わられるのでしょう?』
「それは、そうですけど」
『であれば、です。私が赴いて指示を出すよりも、本拠地の主である、タマモ様こそが作業監督の任を就くのは当然のことでは?』
「それは」
トワが口にした内容は、なんとも否定しづらいことだった。
タマモたちも新本拠地建設に携わるつもりではある。
なにせ、タマモたちが住む場所なのだから、見ているだけというつもりはない。
となれば、作業監督もタマモたちから出すのは、ある意味道理と言えば道理である。
だが、常に携われるわけではない。
タマモたちとて、この世界における生活がある。
その生活のために新本拠地を建設するのだが、新本拠地の建設のために生活を脅かすことになってしまっては本末転倒もいいところだ。
タマモが近隣のファーマーやカーペンターに協力を要請せず、トワに協力を頼んでいるのもトワ配下の虫系モンスターズであれば、昼夜問わず建設をお願いできるからである。……普通に考えれば、とんだブラック環境であった。
が、モンスターには人権なんて存在しない。人権がないのであれば、賃金も存在しない。
労働の対価も前回のように収穫物を分け与えればいいだけなので、タマモたちの懐が痛むことはないのだ。
言うなれば、トワに協力の要請をするのは、なにかとタマモたちに都合がいいのだ。
だからこそ、まさかの条件を突き付けられてしまった。
それもタマモに全責任が及ぶ形でである。
タマモとしては、トワに協力を要請するのは下請け会社に依頼を出すという形にしたかったのだが、当のトワが「そうは問屋は卸さない」とばかりに高見の見物は許さないという姿勢を崩さなかったのだ。
……地底農園というモンスターの楽園において、激しい交渉が、それも企業間もかくやの交渉が行われることになった瞬間であった。
「一応、ボクらも建築には参加しますけど、こちらにも生活というものがありますので、常時参加できるというわけではないので」
『あら? つまり、こちらにすべて丸投げするということで? それはあまりにも都合が良すぎるというものでは?』
「丸投げにするつもりはないです。あくまでも都合が合わないときは、そちらにお任せするというだけであり、こちらも都合が合うときは全力で参加致します」
『その都合が合うときが、どのくらいの頻度になるかという問題がありますわね? そもそも、都合を合わせると仰られますけど、本当に都合を合わせてくださるのですか?』
「できる限りは合わせる予定ですよ。ただ、やはり生活という基盤がある以上は、常時というのは難しいですが」
『タマモ様は、先ほどから生活があると仰られますけど、私の配下たちにも生活があるということをご理解されておいでで? それともモンスター風情にはそんなものあるわけがないだろうとお考えですの?』
「そんなことは」
『あるでしょう? 先ほどからタマモ様はご自分方の生活については言及されておられますが、私どもの生活においてはなにも言われておりませんもの』
「そ、それは」
タマモとトワの交渉は、トワが優勢になりつつあった。
トワがタマモにとって痛い部分を突き始めたのだ。
その言葉にタマモは徐々に攻め込まれていった。
『加えて、タマモ様は私の配下たちにどのような対価をご用意してくださるおつもりなので? まさか、労働に対する報酬もないわけではありませんわよね?』
「……収穫物でどうかと思っているのですが」
『は? 収穫物ですって? まさか、本拠地建設という大仕事への対価が収穫物? 本気ですの?』
「え、だって、その、クーはそれでいいって」
『それは姉様が気遣ってくださったからですよ? まぁ、姉様の配下の子たちもそれでいいと思う程度の規模だったということでしょうけどね。ちなみに、今回の本拠地はどの程度の規模なので?』
「えっと、ここに図面が」
『拝見しますわね』
トワは攻めの手を緩めることなく続けていく。その攻めの手にタマモはタジタジとなりつつも、今回の図面をトワに手渡す。
手渡された図面をトワは触覚等を器用に使いながら広げると──。
『……この規模で収穫物だけはさすがにありえませんわね。この規模ですと、他にも対価を要求させていただかないと割りが合わないですわね』
──タマモの提案を鼻で笑い飛ばしたのだ。タマモはぐうの音も出ず、黙り込んでしまった。
『とはいえ、依頼自体はお受けしますわ。タマモ様には報酬の増加と作業監督をお願いします。くれぐれも私の配下だけが作業するという状況にはさせないでくださいまし』
「……」
『お返事は?』
「……ワカリマシタ」
『よろしい』
タマモとトワの交渉は、トワの勝利という形で終わりを告げた。
それもタマモたちの懐と、時間を割くというおまけ付きで。
要請する相手を間違えただろうかと思うタマモだったが、「まぁ、依頼を受けてもらえただけで御の字か」と思うことにした。
こうして以前の本拠地建設よりも、タマモたちの苦労は増えることになったのだった。




