EX-50 メイドたち その4
「──さぁ、着いたよ~」
「す、すみません。黒子お姉様」
「気にしないでいいよ~」
黒子に肩を貸してもらいながら、白亜の廊下を進んでいた柚香。
昨日まで序列二十位だった呉羽たちからの暴行を受けたのだ。
その際に負った怪我の手当のために、柚香は黒子に肩を貸して貰って、第二応接室へと訪れていた。
「なんで、第二応接室なんだろう」と思う柚香ではあるが、序列四席の黒子が「第二応接室で処置する」と言った以上、反論などできるわけもない。
「あの、黒子お姉様、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なぁに?」
使い慣れない「お姉様」という呼び名に、拭いきれない違和感を抱きながら、柚香は黒子に質問の許可を尋ねると、黒子はすんなりと頷いてくれた。
「ありがとうございます」とお礼を言ってから、柚香は目の前の扉を、第二応接室という名の広いだけで、まともに使われることのない部屋についてを尋ねた。
「第二応接室が、あまり使用されない理由はあるのでしょうか?」
「あー。柚香ちゃんたちから見れば、そういう風に見えるよねぇ~」
柚香の当然の質問に黒子は、無理もないとばかりに頷いていた。
ただ、その際の言い方が少し引っかかった。
柚香たちと黒子は言った。
柚香個人ではなく、柚香だけではなく、他の面々も含まれる「たち」と言ったのだ。
その言い方だと、柚香を含む複数の面々にとっては、第二応接室は広いだけのなんの意味もない部屋という認識なのは無理もないと言っているようなものだ。
「……もうひとつよろしいでしょうか?」
「どうぞ~」
「「たち」と仰られましたが、それは私を含めた複数の面々にとってはということですが、逆に言えば、それ以外の方々は第二応接室の用途をご存知ということですか?」
「その通りだよ~。いやぁ、柚香ちゃん、頭いいねぇ~、お利口さんだ~」
ふふふと黒子は笑いながら、右腕をすっと伸ばし、第二応接室の扉を押す。
玉森家の屋敷の一室では、珍しい両開きの扉は、やけに重厚感のある音を立てながら、ゆっくりと開いていく。
「こんなに重厚感のある音したかな?」と、以前との違いに首を傾げる柚香。
「どうしたの、柚香ちゃん?」
「いえ、このような音がしたかなと思いまして」
「あぁ~、オリエンテーションで入ったことあるんだっけ?」
「ええ。そのときは広いだけの部屋という印象しかありませんでした。が、なによりもですね。まりもお嬢様と、神との邂逅をさせていただいた衝撃が凄まじすぎました」
「あははは、柚香ちゃんは相変わらずお嬢様信者さんだねぇ~」
「信者なんて、私程度では不十分にもほどがあります!」
「……いや、その気迫は十分すぎる熱量だよ?」
「いえ、いいえ! この程度でまりもお嬢様の信者など恥ずかしくて口にすらできません!」
「……わぁお~。すごいなぁ~」
若干黒子が引き気味になっているが、柚香は気にすることなく、現人神との邂逅へと想いを馳せていく。
あれは今年に入ってすぐのことだ。
営業職としてTFCの採用試験に望んでいた柚香だったが、結果は惜しくも不採用となった。
だが、どういうわけか、玉森家での使用人枠を薦められたのだ。
他に受ける企業もまだ選定していなかったこともあり、柚香は記念として使用人の採用試験を受け、まさかの内定を貰うことになったのだ。
そこからはとんとん拍子で話が進み、柚香は玉森家のお屋敷内の使用人寮で住むことになった。
そのときはまだ大学を卒業してはいなかったが、すでに卒業論文は提出してあり、単位も必要数よりも余剰分を取得していたため、すでにフリーの立場であった。
それに元々大学でも学生寮に住んでいたこともあり、「早めに出るか」と決めて、使用人寮に越してきたのだ。
加えて、学生寮と使用人寮では、大学からの距離はさほど変わらなかったというのも決め手である。
春から使用人寮で生活するのであれば、もう引っ越しをしても問題はないだろうと判断し、柚香は使用人寮に越してきたのだ。
そうして使用人寮に越してきた柚香は、その翌日からオリエンテーションとして玉森家の屋敷内の案内をしてもらうことになった。
その際に、後に「現人神」として崇拝することになるまりもお嬢様との対面が叶うことになった。
そのときの衝撃を柚香は憶えている。
ゲーム内とほぼ変わらぬ見た目であることもそうだったが、その精神性もゲーム内とほとんど変わらなかった。
それどころか、かつての自身の愚かすぎる言動さえも笑って許してくれたどころか、「これからもよろしくお願いしますね」と穏やかに笑いかけてくださったのだ。
その笑顔に柚香は跪いた。
正確には膝から崩れ落ちてしまい、結果的に跪くような態勢になってしまっただけなのだが、そのときのやり取りに柚香は涙したのだ。
「あぁ、このような素晴らしきお方が本当に実在するなんて」や「「現人神」というのはまさにこのお方を示す言葉なんだ」と柚香は衝撃を受けたのだ。
そして誓ったのだ。
「私の生涯は、「現人神」たるまりもお嬢様のために使い尽くすことである。全身全霊を以て崇敬し、このお方のために身を粉にしよう」と。
なお、その際のまりもお嬢様はわりと引きつった笑顔だったのだが、柚香にとっては穏やかに微笑まれたという認識である。
それから数ヶ月経ったが、柚香のまりもお嬢様への崇敬は変わらない。むしろ、日に日に募っていく。
当のまりもお嬢様からは「ちょっぴり残念な人」という風に思われているのだが、柚香にとってはその評価でさえも光栄の極まりである。
そんな狂信者一歩手前にまで至っている柚香の様子に、黒子は苦笑いしながら第二応接室の扉を開ききった。
「まぁ、それくらいお嬢様への忠誠心が高いのであれば、ちょっと早いけれど引き込んでいいか」
扉を開いたと同時に、黒子はぼそりと呟いた。
その呟きは柚香の耳に届いており、「黒子お姉様?」と首を傾げるが、飛びこんできた光景に柚香はあ然としてしまう。
「……なに、これ?」
柚香が目にしたのは、以前に見た第二応接室とはまるで違う空間だった。
二十、三十畳なんて単位では収まらないほどに広々とした奥行きと、東京のランドマークタワーさえもすっぽりと入ってしまいそうなほどにはるかに高い天井。
どう考えても屋内というには広大すぎた。
広大すぎる部屋の中を見て、柚香の思考は停止する。その間にバタンという音とともに扉は閉ざされてしまう。
だが、そのことに柚香の意識が行くよりも早く、柚香の視線を捉えるものがあった。
「これで終わりですか、お姉様?」
「……っるせえ。まだここからだ」
それは広大すぎる部屋の中央で行われていた。
メイド服に重厚なガントレットを身につけたメイド隊の隊長である早苗と普段のメイド服ではなく、和装メイドとも言うべき姿で長刀を持った副長である藍那が対峙していた。
もっとも対峙というには、早苗は膝を突き、対する藍那は涼しい顔で長刀を肩に担いでおり、どちが優勢なのかは一目瞭然である。
「あらら~。お姉様たちが模擬戦しているねぇ~」
黒子はおっとりとした口調で、「どうしようか」と言わんばかりの反応だが、柚香にとっては理解できない状況だった。
「い、いったいどういうことですか、黒子お姉様? なぜ、隊長と副長が。いや、それ以前にこの部屋はどうなっているんですか? どう考えても屋内とは思えません!」
キャパシティーを超過し、完全にパニック状態になった柚香に黒子は「ん~」と考えた素振りをした後、「見たままかな」とだけ告げた。
「見たままって」
黒子の言葉に絶句する柚香。黒子は「そうとしか言いようがないし~」と告げた。
「……それだと柚香が困惑するだけでしょう、黒子」
黒子の言葉に絶句した柚香とそれでもマイペースな黒子がやり取りをしていると、再び第二応接室の扉が開き、ひとりのメイドが入室する。
早苗と同じ重厚なガントレットを装着した、メイド隊三席である紫苑だった。
「し、紫苑お姉様。ご機嫌麗しく」
「あぁ、気にしないでちょうだい、柚香。そう固くならないで、ね? まぁ、こんな状況じゃ無理もないでしょうけど」
ふふふ、と穏やかに笑う紫苑。紫苑の言葉に「は、はぁ」と頷きながら、柚香は状況をまだ飲み込めていなかった。
「……昨日の今日で連れ込むとか、なにを考えているのよ、黒子」
紫苑は柚香の様子を見て、黒子を睨み付ける。が、当の黒子は「だって~」と続けた。
「柚香ちゃんが暴行を受けていたから、その手当てをしようかなぁと思って~」
「……あぁ、呉羽あたりがしたのね? まったくあの子たちは」
やれやれとため息を吐く紫苑と「だから手当てが必要だったんです」と胸を張る黒子。
ふたりのやり取りを聞きながらも、柚香はただ呆然と聞いていることしかできなかった。
が、そこで突然の炸裂音が響き、柚香たちの元へと仰向けの態勢で早苗が飛びこんでくる。
「た、隊長!?」
いきなりの展開に柚香は慌てるが、紫苑と黒子は動じることはなかった。
黒子は「ごめんねぇ」と言って、柚香を姫抱きし、サイドステップで回避した。
「大丈夫ですか、早苗お姉様?」
紫苑は飛んできた早苗を正面から受け止める。
「……紫苑、か。すまねえな」
紫苑に受け止められた早苗は息も絶え絶えとなりながらも、紫苑への礼を口にする。
紫苑は頬をほんのりと染めながら、「いえ」と首を振る。
「紫苑と黒子。それに柚香もね。……ずいぶんと早く招き入れたわね、黒子?」
長刀を持ったまま藍那が柚香たちの元へと訪れた。
「あくまでも手当てのためですよぉ~」
「手当て? あぁ、呉羽あたりの仕業か。本当にどうしようもない子ね」
頭を痛そうに押さえながら藍那はため息を吐くと、じっと柚香を見つめた。
「な、なにか?」
「いえ、ずいぶんと手ひどくされたものねと思ったのよ。地位を奪われたのがよっぽど腹立しかったのかしら。「位」なんていつでも切り捨てられる地位でしかないというのにね」
「ど、どういうことですか?」
「……そうね、ちょうどいいから話をするとしましょうか」
「話、ですか?」
「ええ。あなたの手当てとお姉様の治療を併行しながらだけど」
ちらりと藍那は紫苑の腕の中で肩を上気させる早苗を見やる。その口元には妖しい笑みが浮かんでいた。
その笑みにぞくりと背筋が震え出す柚香。だが、すでに時遅しだ。
「この部屋の本来の用途と、「席」と「位」の違い。いえ、「玉森家のメイド」の本来の姿を教えてあげるわ、柚香」
ふふふと意味深に笑う藍那に、柚香はごくりと生唾を飲むのだった。
その後、柚香は藍那が口にした通り、「玉森家のメイド」の本来の姿を伝えられることになったのだった。




