EX-45 盟約と約束
真っ暗な部屋だった。
灯りのない部屋の中で、健やかな寝息だけが聞こえていた。
天蓋付きの大きなベッドの真ん中で、丸くなって眠る小さな少女がいる。
いや、少女という年齢はもうとっくに過ぎて、もうじき成人になる。
その見目は、ゲーム内のアバターそっくりだ。
そう、ゲーム内のアバターである「タマモ」そっくりだった。
いまのタマモと違うのは、尻尾や頭上の立ち耳の有無、髪の長さくらい。
でも、元々は「タマモ」の姿は、いまの彼女の姿を読み取って作り上げられたもの。
いわば、「タマモ」のオリジナルこそが、目の前にいる彼女──玉森まりもだった。
そのまりもはぐっすりと眠っていた。
とても楽しそうにまりもは眠っている。少し前まででは考えられない姿だった。
「……ようやく、解放されたんだね」
眠るまりもの姿を見て、藍那はそっとまりもの頬を撫でる。
まりもはくすぐったそうにしているが、嫌がっている素振りはなかった。
「おやすみなさい、まりも。いつでもあなたのことを見守っているからね? 忘れてなんかいないんだから」
藍那は眠るまりもを見つめながら、自身の想いを吐露する。
今年に入ってからまりもの笑顔は消えたのだ。
その理由は藍那は知っていた。
ゲーム内では有名なことだった。
曰く、お嫁さんだったNPCのひとりを、目の前で惨殺されてしまったからだ。
NPCなどデータだけの存在。
どれほど人間に近い思考や言動を取ろうとも、生身の存在ではない。
その生身ではない存在が、いくら目の前で惨殺されたとしても、引きずることなど普通はしない。
だが、その普通はしないことを、まりもはした。
一部の掲示板では、まりもを嘲笑う心ない言葉を書かれてもいた。
もっとも、それらはすぐに駆逐されたが。
駆逐したのは、藍那たちメイド隊の面々ではない。
本来ならまりもとはなんら関わり合いのない人々の手によるもの。
まりもではなく、「タマモ」と知り合い、親交のあった面々の手によってだ。
彼らないし彼女らの手によって、まりもを貶める心ない投稿者たちはすべて駆逐されていった。
その様子は、本来なら真っ先にそうするべきであろう藍那を含めたメイド隊から見ても、徹底としていた。
メイド隊の隊長である早苗は、「あいつらやってくれるなぁ」と笑っていた。それも早苗らしい獰猛な笑みを浮かべてだ。
メイド隊の面々は有り様は様々だが、誰もが共通してまりもに心酔している。
新入りの柚香はその心酔っぷりが凄い。いや、あれは心酔を通り越してもはや崇拝レベルまで達している。
そんな柚香を以てしても、早苗にはまだ及ばない。
早苗のまりもへの心酔は、もはや崇拝ではない。
早苗は、まりもの敬虔な信者であるからだ。
神を讃えるように崇拝する者と言えど、本物の神に仕える信者には敵わない。柚香の熱量が早苗の熱量に至らないのはそういうことだ。
(……それも時間の問題な気がするけど)
いまはまだまりもを崇拝するだけの柚香だが、早苗のような信者になるのは時間の問題である。
……それがまりもにとって、本当にいいことであるのかどうかはわからないが。
(……それを言うのであれば、私も同じなのだけど)
ため息をひとつ吐きながら、藍那はそっとまりもから手を離した。
すると──。
「んぅ」
まりもが藍那の袖を掴んだのだ。
藍那は「ぁ」と小さく声を漏らすも、すぐに口元を緩めると、そっとまりもの手に反対の手を重ねた。
それだけで、まりもの手は藍那の袖から離れた。
「……本当にその子のその癖は変わらないわね」
不意に、背後から声が聞こえた。
慌てて振り返ると、ニコニコと笑うまりなが、まりもの母が立っていた。仕事着である巫女服姿でだ。
「奥様、いつから」
「ん~。ちょっと待ってちょうだい」
まりなは頬杖を突きながら、なにやら思案していた。が、頬杖を解くと左手をおもむろに振るった。
たったそれだけで、まりもの部屋の中の様子は変わった。
それまでは部屋の外の音や、まりも自身の寝息が聞こえていたのに、それらの音がなにも聞こえなくなった。
まるでまりなと藍那だけが別の空間に遮断されているかのようだった。
「はい、これでいいわよ。これでどんな話をしても問題なし」
ニコニコと笑うまりな。その背中には九本の尾がいつのまにか生じていた。そして頭上にもやはり尾と同じ色の立ち耳があった。
「……奥様、本来のお姿になられておいでですよ?」
「あら?」
まりなはおかしいなと言わんばかりに、自身の頭上を触ると、「あら?」と首を傾げた。
「ちょっと張り切り過ぎちゃったかしらね」
「う~ん」と頭を悩ませつつも、「まぁ、いいか」とあっけらんかんにまりなは笑いながら、まりもの部屋に備え付けられている椅子に腰掛けた。
「さて、ちょっとお話しよっか、藍那ちゃん」
ニコニコと笑うまりな。そんなまりなに藍那はふぅとため息を吐いた。
「お話と言っても、なにを話されるのですか、主様」
「ふふふ、別に奥様でもいいのに」
「……あなた様がいまのお姿になられたら、本来の主従関係に戻る。それが私の一族があなた様方と交わした盟約ですから」
あっさりと藍那は言い切ると、その場で立て膝を突く。そんな藍那をまりなはふぅとため息を吐くと「藍那ちゃんってば、頭が固いんだから~」と唇を尖らせた。
「藍那ちゃん、まりもはエルドさんのところでどう?」
「……以前にご報告したとおりです」
「あら? でも、最近にはなかった笑顔を浮かべるようになったみたいだけど?」
そう言って、まりなはまりもを見やる。已然としてまりもは楽しそうに笑っている。その笑顔にまりなの口元には穏やかな笑みが浮かんでいく。
「愛する人をようやく取り戻せたからでしょう」
「あぁ、そうなのね。たしか、アンリちゃんだったかしら?」
「ええ。私もまだ会ったことはありませんが、なかなかに器量よしな子のようです」
「そう。もうひとりの子は?」
「エリセという強い霊力の持ち主です。まりも様のお好きなタイプの女性ですね」
「あらあら、というと私みたいな包容力があるってことね」
「……ソウデスネ」
「もう、言葉に感情が乗っていないぞ~」
「おバカなことを仰られるからですよ、主様」
藍那はしれっとした様子で呆れていた。
そんな藍那にまりなは頬を膨らませた。
「もう、藍那ちゃんの意地悪! そんなことを言う子にはぁ、まりもの側からより離しちゃうわよ? たとえばぁ~、あの子のお付きをあなたから、あの狂犬信者ちゃんに変えたときみたいに、ね?」
それまでの笑みから一転し、まりなは妖しく笑う。その笑みに合わせて背中の九つの尾が妖しく揺れ動いていく。
藍那はその様子を見ても微動だにしない。それどころか、まりなを強い意志の篭もった瞳で見返すだけだった。
「……たとえ、お側にいられずとも、私の想いが変わることはありませぬ」
「……そう。そうね。あの狂犬信者ちゃんをあの子のお付きにしても、あなたはあの子のことを常に考えていたものね。これ以上離したとしても、あなたの有り様は変わらない、か」
藍那の言葉にまりなは笑っていた。それまでは邪悪な笑みを浮かべていたのに、いまはとても穏やかな笑みを浮かべている。
この人らしいなと藍那は思いながら、藍那は頭を改めて垂れた。
「そうね。やはり、あの子の側にはあなたこそが相応しいわ。私の元での修行も終えたことだし、そろそろお付きに戻ってみる? あの狂犬信者ちゃんだと、もうあの子の側にいることは難しい頃合いだし」
「それは」
「事実よ? だって、あの子は「七星」に至った。狂犬信者ちゃんでは、せいぜい「白金」までが限界。「七星」以降は、修行を終えたあなた以外では、あの子の側にいることはできないでしょうし」
「……お姉様はなんと?」
「それとなく伝えました。悔しそうに憤慨していたけれど、自身の力不足であることを認めてもいたわね。まぁ、どこの馬の骨とも知れぬごろつき風情がここまで至れただけでも十分すぎる。血のにじむ努力で至れるのはここが限界。ここから先は才能か連綿と受け継がれた血筋によるものが必須な世界。あれもそれを理解しているでしょうね」
ふふふ、とまりなは笑う。
その笑みは酷薄としたものだった。
まりもや藍那へと浮かべる笑みとはまるで違っていた。
「発言の許可を願いたく」
「いいでしょう、許可します」
「では、僭越ながら。……主様はお姉様を過小評価されておられるかと」
「あら? その心は?」
「私がどこの馬の骨とも知れぬごろつき風情ごときに、「お姉様」と敬意を表している。それが理由となりませぬか?」
じっとまりなを見つめる藍那。その視線にまりなは目をわずかに見開くも、すぐに破顔した。いつのまにか手にしていた狐の装飾が施された扇子で口元を隠しながら。
「これは一本取られました。そうね。あなたがあれに敬意を表しているうえに、あれをみずからの上に置いている。その事実を失念していたわ。たしかにそういう意味では私はあれを過小評価していたのでしょうね」
「……」
「ですが、事実は事実。これ以上先に踏み込むことは、彼女にとって不幸となるだけ。叶わぬ願いを、分不相応な願いを抱き続けたところでその願いが叶うことなどないのです」
「それでも、私はお姉様ならばと思うのです」
「……わからないわね、藍那ちゃん。あなたは彼女のどこをそんなにも買っているのかしら?」
「異な事を仰られますね」
「え?」
「主様が仰られたことではございませんか。お姉様は血のにじむ努力を重ねられていると。それが私があの人を買う理由です。才能も血筋もない。それでも、不断の努力を重ね続けるあの背中。その背中はまるでエルド様のところで才を開花させるまりも様のお背中と重なるものがあります」
「……つまり、まりもの背中に似ていると?」
「正確には、お姉様の有り様がまりも様に影響を与えられていると言うべきですね」
「……あれが、まりもに?」
「ええ。私にはそう見えます。だからこそ、まだ答えを出すのは早すぎるかと思います。もう少し。あと少しだけでもお姉様を見守られてください」
藍那はじっとまりなを見上げる。藍那の視線を浴びたまりなは、なにか考える素振りを見せると、大きくため息を吐いた。
「はいはい、わかりました。でも、いずれあなたには、あの子のお付きに戻って貰うことは確定よ? こればかりは私の意思ひとつではどうしようもないの。エルドさんとの約束でもあるからね。あの人の娘さんの暴走を止めることは、私たちの世界における命題でもあるのだから」
「……承知しております。この力はそのときのために磨き続けてきたのですから」
「ええ、期待しているわ。我が眷属の当代の長よ。どうか、我が次代を、私のかわいい愛娘を導いてあげてね」
まりなは笑いながら、再び腕を振るう。それだけ音が戻り、まりなも普段の姿へと戻っていた。
「さて、これで秘密のお話はおしまい。私もまりもの寝顔ウォッチングしよーっと」
ふふふと笑いながら、まりなはベッドに張り付いた。
楽しげにニコニコと笑うまりな。その姿はついいましがたの超越者としての姿とはあまりにかけ離れていた。
だが、超越者の姿も、いまの親バカ過ぎる姿も、どちらもまりなであることには変わりない。
自分たち一族が仕え続ける超越者の当代であることには変わらないのだ。
「あまり見つめすぎていると起きますよ?」
「それまで観察するの~。あー、本当にかわいいなぁ~、ふふふ」
まりなは楽しそうに笑う。
その姿に藍那は何度目かのため息を吐きながら、眠るまりもを見て、わずかに口元を緩めるのだった。
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