59話 穏やかな時の中で
サブタイ変更しました。
なんか既視感あるなぁ、と思っていたら、すでに付けていました←汗
夜桜が舞っていた。
プレイヤーが誰もいないサーバー内で、夜桜が風に煽られ、静かに舞い散っていく。
その様子をタマモはぼんやりと眺めていた。
両隣にはエリセとアンリが座り、ふたりもまた同じように桜を眺めている。
「きれいですね」
アンリが湯飲みを両手で握りながら言う。湯飲みの中のお茶は温くなっているのか、湯気が立ち上ることもない。
まだ暑さが目立たない時期だが、あと一か月もすれば、徐々に暑さが目立ち始めることとなる。
その頃になれば、温くなったお茶は適温になる。
そんなことをアンリとともに温くなった湯飲みを握りながら、タマモは考えていた。考えながらふと気になることがあった。
「そういえば、こちらでは梅雨はあるの?」
「ツユ、ですか?」
アンリがこてんと小首を傾げる。発音が少々異なることから、この世界には梅雨という概念はないようだ。
同様にエリセも不思議そうに首を傾げているため、どうやら梅雨は本当にこの世界にはないと考えていいのだろう。
「うん。ボクらの世界、というか、出身の国では、春と夏の境目にある時期のことでね。一か月くらいよく雨が降る時期のことなんだ」
「一か月もですか」
「そないに雨降られたら面倒どすなぁ」
アンリもエリセも、タマモの話に驚いているようだった。
が、その口振りに驚くのはタマモも同じである。
「……もしかして、この世界には雨期はないの?」
「ウキ?」
「なんのことですか?」
「よく雨が降る時期のことだよ。ボクの世界では、世界中のどの国にも雨期があるのだけど、この世界にはないの?」
「アンリちゃん、知ってる?」
「いえ、アンリも知らないです」
アンリとエリセが互いに見やりながら、首を振り合う。
その様子からして本当に雨期のことを知らないようだ。
雨期は国によっては農作物の生育に重要な時期であるのだが、この世界では雨期と農作物にはあまり関連性はないようだ。
そもそも、アンリもエリセも百年以上生きている妖狐であり、そのふたりが雨期の存在を知らない以上、この世界の農業にとって雨期は必要のない存在ということなのだろう。
「ウキというのは、そこまで重要なものなのですか?」
「そうだね。国によっては、農業用水として降った雨を使うこともあるらしい。ボクの国でも昔はそうだったらしい」
「昔はということは、いまは違うのですか?」
「やはり、人の手が及ばない大自然相手だと、確実性がないからね。人の手で管理がきっちりとできる形にシフトしていったみたいだよ」
「へぇ。まぁ、たしかに人の手で管理したら、確実性はあるんやさかいな」
タマモの話に頷きながら、エリセがお茶を啜る。
先日、大いにやらかしたため、本日は飲酒を禁止されているのだ。
禁止された際のエリセは、この世の終わりと言わんばかりに、普段は閉じている目を大きく見開いていた。
が、どんなどんな反応をされようとも、タマモもアンリもエリセの飲酒の許可を出すことはしなかったわけだが。
「……やっぱり、お茶やと、みずくさいわぁ」
はぁ、とため息を吐きながら、肩を落とすエリセ。
飲酒できないことがよほど残念であるようだが、気持ちはわからなくもない。
風に舞う夜桜は、とても美しい。
その美しいものを肴にしたい、という気持ちはタマモもよくわかる。
わかるのだが、リアル年齢で19歳のタマモは、飲酒がまだ解禁されていないため、飲酒のなにがいいのかがまだわかっていなかった。
「お酒ってそんなにいいものですか?」
タマモは疑問をエリセにぶつける。エリセはタマモの疑問に大きく反応を見せた。
「そらもう格別どすえ。お酒を飲むのんは楽しおすし。普段のあれこれ忘れられる唯一の時間どすさかいね」
閉ざされているまぶたを大きく開き、エリセは饒舌に語っていく。
その内容にタマモもアンリもなんとも言えない表情を浮かべていた。
特に「普段のあれこれを忘れられる唯一の時間」の下りを聞いてである。
「……あの、純粋な疑問なのですが、エリセ様はたしかご実家だと離れで住まわれていたのですよね?」
「そやで。東屋よりもマシって程度のボロボロの物置同然やったけども」
「……たしか、その離れにはまともに物を持ち込めなかったとか」
「そうそう。嗜好品の類いはなにひとつもね。なにせお茶さえも、どくだみを育てて作っとったさかいねぇ」
ニコニコと笑いながら、コメントしづらい内容をカミングアウトしていくエリセ。その内容にアンリが「うぐぅ」と胸を押さえていく。
アンリの反応にエリセは「アンリちゃん?」と不思議そうに首を傾げている。
タマモは「アンリ、無理しないで」とアンリを気遣う。気遣いながらも、タマモはタマモで唇の端から血を流しているのだが。
タマモもアンリもエリセの過去を知っている。
形骸化同然とはいえ、名家出身であるというのに、親族からの扱いはほぼ奴隷並みという悲惨さを知っている。
これが産まれも育ちも奴隷であるというのなら、まだましだった。
だが、もはや過去の栄光に縋るだけの、かつてあった権威を翳すことしかできないとはいえ、名家出身であるからこそ、親族からの扱いがあまりにも悲惨なのだ。
なによりもそれを本人が気にしていないところが、悲惨さを加速させてくれる。
タマモとアンリの反応は当然であった。
「えっと、あのね、エリセ。お茶さえも自作していたのに、どうやってお酒が好きになれるのかなってアンリも思っているみたいなんだよね」
「あぁ、そのこっとすか。答えは簡単どすえ。どぶろくを自分で作って楽しどったんどすえ。見つかったら没収されるさかい、密かに作って楽しむ程度どすけども」
ニコニコと笑いながら、とんでもないことを告げるエリセ。
自分で楽しむ程度でも、地球で言えば酒税法違反だ。
営利目的でないから、多少のお目こぼしは期待できるかもしれないが、それでも違法は違法である。
この世界で酒税法があるかどうかはわからないが、タマモの感覚では余裕でアウトの言動であった。
「……今後は気をつけて、ね?」
「え? あ、はい、承知した?」
意味がわからないとばかりに、エリセは首を傾げる。もっともこれに限ってはアンリもなにが悪いのかわかっていないようであった。
やっぱり、この世界には酒税法なんてものは存在しないのかと愕然としつつも、タマモは咳払いをした。
「エリセがお酒を好きになった背景はよくわかったよ。でも、今日は昨日の失敗があるから、お酒はダメって言ったよね?」
「……わかってます。そやけど、ちょっとくらいやったら~って、ちら」
咳払いをしてから、タマモはエリセに今日は呑ませないとはっきりと告げる。
エリセは残念そうにしながら、タマモにもたれ掛かると、自身の胸元を緩ませた。角度的にタマモには深い谷間がばっちりと見えていた。
いや、谷間どころか、その途中に色の異なる円形部分もかすかに見え隠れてしている。そんな絶景にタマモの目は自然と吸い込まれて──。
「……旦那様?」
──吸い込まれていきそうになったところで、アンリの声が、底冷えするようなアンリの声がタマモの耳朶を打つ。
びくんと背筋を震わせながら、タマモは恐る恐るとアンリの方を見やる。そこには瞳孔を縦に割かせたアンリがいた。
「ダメですよ?」
アンリの言葉は少ない。だが、その少ない言葉がかえってタマモに恐怖を植え付けていく。
「ひゃい」と返事をしつつ、タマモは目の前の絶景を断腸の想いで振り切った。
「と、とにかく、ダメなものはダメだから」
タマモは絶景に目が行きそうになるのを必死に堪えながら、エリセに言い聞かせるべく、その両肩を掴む。
が、それがかえってよくなかったようで、エリセの胸元が弾んだのである。
両肩を掴んでいたからこそ、至近距離で弾むそれにタマモの視線はロックオンされていた。
が、今度はタマモの肩が後ろから掴まれた。それが誰の仕業なのかは考えるまでもない。
憶えのある肩への痛みに「あぁ、懐かしい」と思いながら、タマモは「ゴメンナサイ」と肩を掴む主にと謝罪する。
「なにを以て謝られているのかがアンリにはわかりません。どうして謝られているのですか?」
アンリの声が響く。
その言葉にどう答えればいいのか、タマモはすぐにわからなかった。
「もう、器まで小さいなんて。ほな、いつまで経っても大きならへんよ?」
「……エリセ様? 器までとはどういう意味でしょうか?」
が、エリセの一言により、アンリの視線はタマモからエリセへとそれた。
それでも、当のエリセは気にした素振りを見せることはない。
それどころか、緩ませた胸元をより緩ませ、ほぼ半裸と言ってもいい状態になると、「アンリちゃんが、怖おす、旦那様ぁ」とタマモに抱きつlくエリセ。
エリセの言動にアンリが「エリセ様ぁぁぁぁぁ」と爆発する。
いままで静かだったのに、一気に賑やかになっていく。
だが、その賑やかさをタマモは悪くないと思った。
いや、悪くないどころか、「やっと戻ってきた」と思っていた。
ほんの数ヶ月。
だが、失われ、もう二度と得ることのなかった日々。
その日々が戻ってきたことをタマモは心の祖から喜びながら、ふたりのやり取りを心地よさそうに聞いていく。
人数は少なくとも、昼間と遜色ない賑やかなお花見。その賑やかな中でも、風は吹き、静かな桜吹雪が舞っていった。
次回から特別編となります。
https://kakuyomu.jp/works/16818093080456940494
カクヨムで連載中です。こちらもよろしくお願いします。




