49話 七つ星
「──ここ、は?」
以前までの日々が戻ってきた。
アンリとエリセに囲まれる日々。騒がしくも楽しい日々が戻ってきた。
タマモがいまという日々を受け入れたとき、不意に視界が白に染まったのだ。
アンリとエリセの声は聞こえていたが、少しずつ遠ざかっていった。
遠ざかる声を聞いているうちに、タマモは気付いたら真っ白な部屋の中にいた。
見覚えのある部屋。
その部屋の中でタマモはひとり佇んでいた。
「……おられますよね? お祖母様」
ひとり佇みながら、タマモは声を出す。その声に応えるように、足音が聞こえてきた。振りかえるとそこには九つの尾を持った女性が立っていた。
「数日ぶりだな、我が裔」
「……ええ。数日ぶりです、お祖母様」
佇む女性こと、はるか昔の先祖である九尾にとタマモは静かに頭を下げる。
九尾は笑いながら、タマモへと近寄り、そっとタマモを抱きしめた。
突然の抱擁に、少しだけ驚きながらもタマモは九尾の抱擁をただ受け入れた。
「……まさか、こんなにも早く解放を行うことになるとは思っておらなんだ」
「やっぱり、ですか」
「うむ。そなたは本当に才に溢れておるわ。いや、才という言葉だけでは済ませられぬな。神々の寵愛を受けているとしか思えぬよ」
「……恐縮です」
タマモはなんと言えばいいのかわからなかったが、とりあえず「恐縮」と答えた。
それ以上は本当にどう答えればいいのかがわからなかった。
昔からよく「才能がある」と言われてはいたが、タマモ自身はその才能を実感したことはない。
タマモにしてみれば、できることをできるとおりにしているだけ。いわば当たり前を行っているだけであり、その行いを才能だとは思わなかった。
それにいままでの成果もすべて相応の努力も重ねたからこそであり、決して才能だけで達したわけではない。
だから天才とか言われても、正直な話、どう反応すればいいのかがわからないのだ。
「なにやら困ったような反応をしておるな?」
「あー、その、ボクはただできることを、当たり前のようにしているだけなので」
「ふふふ、そうか。できることを、のぅ」
九尾はタマモの返答に苦笑いしていた。苦笑いされる理由がわからず、タマモは再び反応に窮してしまう。
「まったく、本当にそなたらしいのぅ。周囲の者にしてみれば堪ったものではないだろうが」
「え?」
「その無自覚さゆえに、狂う者もいるかもしれぬなと言っておるのじゃよ。とはいえ、すぐに直るものでもあるまい。今後は気をつけるといい」
「は、はぁ?」
九尾の言葉に頷きながら、どうにも要領を得ないタマモ。その様子を見て九尾は再び苦笑いを浮かべた。
「まぁ、そなたの無自覚さについては、置いておこうか」
そう言って、物を置くような仕草をする九尾。「はぁ」と頷くタマモに、「困った子じゃわい」とため息を吐きつつ、九尾はタマモから離れた。
「さて、では、本題と行こう。我が裔、タマモよ。これよりその者たちの封印をもうひとつ解く」
「この子たちの、ですね」
いつのまにか手の中にあったおたまとフライパンを握るタマモ。九尾は「うむ」と頷きながら、「そして」と続けた。
「以前も言うたが、段階をひとつあげると同時に、そなたは新しい姿を得ることになる。いまは「白金の狐」じゃが、その上の段階へとそなたは至ることになる」
「上の段階、ですか」
「うむ。通常の妖狐族は至れても五尾まで。だが、そなたはその上の段階へと至れる。そして妖狐は尾が増えるほど力を増す。つまりは現在生存する妖狐たちの中で最強の存在へとそなたは至ることとなる」
「ボクが、最強」
「そうじゃ。上の段階へと至ることで、そなたは現時点における最強の妖狐へと至ることとなる」
九尾の言葉を反芻するも現実感がなかった。
現実感のない「最強」という言葉が、どうにも違和感があった。
「不満か?」
「え?」
「なにやら、「最強」という言葉をうまく飲み込めずにいるようだからのぅ。不満でもあるのかなと思うてな」
九尾は笑っていた。その言葉を受けて、タマモは返す言葉に迷ってしまう。迷いながらもタマモはどうにか返事をした。
「……お祖母様が仰られている「最強」という言葉が、どうにも肌に合わないというか、違和感しかないんです」
「そうか。まぁ、そうであろうな。「金毛の妖狐」のときは最弱であったからな。その期間が長ければ長いほど、「最強」という言葉はなじめなくなるものよ。……我もそうであった」
「お祖母様も、ですか?」
「うむ。「金毛の妖狐」は、我のかつての姿である。あくまでも産まれたばかりの頃であるがな。その頃の我は本当に弱かった。それこそ、そこいらにいる角ウサギにさえ負けてしまうほどにな」
九尾は笑いながら、かつてのことを話してくれた。
その内容はなんとも身に覚えがあるものだった。
タマモもかつて角ウサギと対峙したとき、死を覚悟したものであった。
おそらくほとんどのプレイヤーに話しても、理解はされないことだろう。
だが、その理解されないはずのことを、まさか先祖である九尾から得られるとは思っていなかった。
その九尾は苦笑いしながら、当時のことを振りかえっているようだった。
「だからこそ、そなたの気持ちはよくわかる。最強になれると言われても、「なに言ってんだ、こいつ」としか思えんだろうし。実際、我もそう思っていた」
「お祖母様もですか?」
「うむ。散々最弱と呼ばれて、それをどうにか脱却できた頃に、「最強になれる」と言われても、詐欺かなにかとしか思えんかったわ」
「……あー」
九尾の言葉は実に理解できる内容であった。「だから、実感なんてなくて当然である」と九尾は続けた。
「だが、実際、次の段階に至れば、そなたは否応なく自覚することとなる。もはや自分に並び立てる者などいないということをな」
「それほど、ですか」
「うむ。それほどの存在にそなたは至るのじゃ。そのまた先に至れるかどうかは、そなた次第だがな」
九尾がゆっくりとタマモの頭を手を乗せた。手を乗せながら、九尾は告げた。
「よいか、我が裔。決して驕るな」
「お祖母様?」
「そなたは最強へと至る。だが、最強というのは存外つまらぬものよ。並び立つ者がいないという日々は、そなたの心を傲慢に染めていくことであろう。だからこそ、傲慢になるな」
九尾はまっすぐにタマモを見つめていた。タマモは視線を逸らすことなく、九尾を見つめ返した。
「とはいえ、謙虚になれとも言わぬよ。いまのままでいい。「自分にできることを当たり前のようにする」といういまのそなたのままでいい」
「でも、先ほどは」
「あぁ。だからこそ、ひとつ変わってほしいことがある」
「ひとつだけ、ですか?」
「うむ。他者との違いをきっちりと理解せよ。理解し、尊重せよ。さすれば、なんの問題もなくなるであろうさ。……我にはできなかったことだが、そなたならできると信じているよ、我が裔タマモ」
九尾はタマモの頭を撫でながら笑いかけた。少しだけ寂しそうにだ。
「……お祖母様」
「そんな顔をするな、我が裔。我はかつての残滓にしかすぎぬ。残滓であるが、そなたを導くまねごとくらいはできる。だからこその忠告だよ」
「……ご忠告、承りました」
「うむ。それでよい。さて、始めるとしようか」
九尾が撫でていた手を止め、大きく深呼吸をした。
タマモは九尾にされるがままに、その場でじっと動きを止めた。
「我が主に奉る。我が愛おしき裔の幸福のため、勾玉と鏡のさらなる解放を求める」
やがて、九尾が告げた。その言葉に反応するように、タマモの手にあったおたまとフライパンが強い輝きを放ち始める。目も眩むような強い光。
でも、どこか優しく穏やかな光。その光をぼんやりと眺めていると、九尾が再び口を開く。
「重ねて奉る! 我が裔の笑顔を守るために、七つ星の光を我が裔へ! この子を幸福へと導く力を、決して驕ることなきこの子にさらなる力を授けられることを求める!」
九尾が叫んだ。とても真剣な表情で叫んでいる。
その叫びにどこからともなく声が聞こえた。
「……いいだろう。その子であれば、たしかに驕ることはなかろう。さぁ、受け取りなさい、タマモ。空に輝く七つ星の力をその身で」
聞き覚えのある声だった。その声に返事をするよりも早く、タマモ自身が強い輝きを放ちはじめた。
「これ、は」
「より上の段階へと至った証拠よ。受け入れよ、そなたならできるよ、我が裔」
九尾はタマモを優しげに見つめていた。「お祖母様」と声を掛けながら、タマモは意識が遠ざかるのを感じた。
まだもう少し話がしていたいと思うも、意識を保つことができなかった。
「またね、タマちゃん。また会える日ぃ、待ってんで」
意識を手放す瞬間、九尾は口調を崩しながら手を振ってくれた。手を振り返そうとするよりも早く、タマモの意識は闇に呑まれた──。
「「旦那様!」」
「……え?」
──ところで、アンリとエリセに体を揺さぶられた。
九尾とともにいた白い部屋ではなく、お祭り会場にタマモは立っていた。
新しい姿となった相棒たちを握りながら。
白金のおたま
白金のフライパン
「鑑定」を行うと名称ははっきりと表示されていた。
その名の通り、おたまとフライパンは以前よりも眩い輝きを放っていた。それこそタマモの髪と同じくらいに美しい輝きを放っているのだ。
だが、変化は相棒たちだけではない。
「旦那様、どうなさったんですか?」
「え?」
「いきなり眩しゅう光られた思たら、いまのお姿になってましたわぁ」
そう言って、エリセは空中に水の塊を生成した。その水の塊はまるで鏡のように、タマモの姿を映し出していた。
水鏡に映る自身の姿を見て、タマモは「これがボクですか」と目を見ひらいた。
水鏡に映るタマモは、髪が腰に届くほどの長さとなっていた。髪の色は変わらない。相変わらずのプラチナブロンドだった。いや、より純度が高くなったのか、以前よりも煌めいていた。
だが、一番の違いは尻尾にあった。
いままで五本だった尻尾が、いまや七つに増えており、そのうえひとつひとつの尾の先端に七色星形の印のようなものが刻み込まれていた。
タマモはメニューを開き、ステータス画面を覗き込んだ。
「「七星の狐」ですか」
種族名は「白金の狐」から「七星の狐」と変化していた。
「七つ星の光」と九尾が言っていたが、その名の通りの種族へと進化したようだった。
「これが新しいボク、か。なんだかむず痒いですね」
なんとも言えない名称だし、若干派手ではあるが、悪くはないとタマモは思いながら、心配そうに自身を見つめるアンリとエリセに「心配しないで」と告げる。
が、それだけで安心できるわけもなく、それからふたりにいろいろと問い詰められることになるタマモであった。
こうしてタマモは瞬く間にEKを第4段階かつ、2回目のクラスチェンジを果たすことになったのだった。




