38話 ある師弟の話 その終わり
七海の元へとにゃん公望は戻ってきた。
戻ってきたのはいいし、七海と面と向かって話をしようとしたのも、にゃん公望的には頑張ったと思うことだった。
ただ、それ以上のことがなかなかできなかったのだ。
というか、それ以上のことをどうすればいいのかがにゃん公望にはわからなかった。
そもそもの話、にゃん公望自身、なんでここまで来たのかがまったく理解できていない。
おやっさんに背中を押される形で、衝動的に戻ってきたのはいいものの、その衝動は七海を見つけ、こうして面を合わせた時点で雲散霧消した。
「おまえ、もうちょっと根性見せろよにゃー」とにゃん公望も思うものの、実際に消えてしまった以上、どうしようもない。
となれば、あとはにゃん公望自身の頑張りとなるのだが、いざなにを言えばいいのかがこれまたさっぱりとわからない。
あくまでも、七海と話をしたいがためにこうしてやってきたのはいいものの、肝心の話の内容をどうすればいいのかまでは考えていなかったのだ。
衝動に動かされるがあまり肝心の内容に関しては、この状況になるまで一切ノータッチだった。
これが事前に、それこそ昨夜の夜、いや、一週間くらい前から決めていたことであれば、いくらでも対応策は考えられたものの、この土壇場でいきなりどうするべきかを考えるなんて器用なまねはにゃん公望にはできなかった。
背中を押してくれたおやっさんも、いまはこの場にはいないし、いまもおそらくは見守ってくれているだろうタマモもやはりいない。
現状において、にゃん公望自身の力のみでこの窮地を脱する必要があった。
そんな現状を理解したにゃん公望は、心の底から思った。
「ダレカタスケテ」と。
猫顔の獣人であるからこそわかりづらいものの、現在のにゃん公望は全身汗だくである。無論、走ってきたからではない。冷や汗が全身を覆っていた。
いまも現在進行形で冷や汗は滴り落ちており、もしおやっさんないしデントがこの場にいたら、正確ににゃん公望の現状を把握し、助け船を出してくれた可能性がある。
いや、ふたりだけではない。生産板の仲間たちが全員素面かつ無事であれば、誰かが助け船を出してくれたことであろう。
が、その仲間たちは全員シートの上でノックアウトされている。
木蓮もミナモトもストネもみんな顔を真っ青にして唸っているのだ。
そんな唸り声を上げる仲間たちの介抱を柚香は行い、その柚香を尻目に女傑としか思えない連中がいまも酒盛りを行っていた。
その中心にはアイナがいるが、アイナは一瞬顔をこちらに向けただけでもう関心を失ったようだった。
「これって四面楚歌じゃね?」とにゃん公望は冷や汗を流しながら思った。かつての覇王様もこんな絶望的な状況に追い込まれていたのだろうかと、紀元前前の英傑の最後を心の底から偲ぶにゃん公望。だが、どれほど偲んだところで彼の覇王様が助けててくれるわけもない。
むしろ、逸話等を踏まえる限り、現状のにゃん公望を見た覇王様は、こう仰られるだろう。
「自分でなんとかしろ、ヘタレ」と。
現状の自身が完全にヘタレであることは、にゃん公望自身よく理解していた。理解しているが、理解したところで現状の打破をすることはできるわけではない。
にゃん公望は汗をだくだくと流しながら、「ここからどうすればいいのにゃー!?」と心の中で叫んでいた。
が、いくら心の中で叫んだところで、助け船を出してくれる存在は皆無である。
あまりに孤立したためか、にゃん公望は「うにゃぅ」と自分でもよくわからない唸り声を上げながら目を回していた。
すると、七海が痺れを切らしたのか、「なんすか?」と尋ねてきたのだ。
にゃん公望は、自分でも情けないと思うほどに狼狽え、しどろもどろになりながら、「にゃう」と唸る。そこに鋭く「いや、にゃうじゃなくて」と七海に突っ込まれてしまう。
突っ込まれて、後がなくなったにゃん公望だが、「どうすればいいんだろう」という根本的な問題は解決していない。
七海に会いたいと思ったものの、なにを話せばいいのかさえ、にゃん公望はわかっていなかった。
なにを話せばいいのか。なにをすればいいのか。
にゃん公望にはわからなかった。
わかることがあるとすれば、まだ答えを出すのは早すぎるということくらい。
七海はじっとにゃん公望を見つめている。その七海を見ていると、なんとも言えない気持ちになるものの、それがどういう感情に由来するものなのかがにゃん公望はわからなかった。
おそらく「これだろう」と思うことはあるものの、本当にそうなのかがわからないのだ。
わからないことを棚上げにして、仮定だけで事を進めるのはどうにも性に合わない。
ヘタレすぎると誹られたとしても、もし強引に事を進めて七海が傷つくようなことになったとしたら、それこそ目も当てられないのだ。
ならば、行動はひとつ。たとえ「ヘタレ」と誹られたとしても、自分の気持ちと真っ正面に向き合いたいのだ。ゆえににゃん公望はそれを口にした。
「あのにゃ。いろいろと考えたのだけど」
「はい?」
「……待ってくれると嬉しいにゃ~って」
「……は?」
「いや、あの、七海がそういう反応をするのはわかるのにゃ。でも、その、俺はまだ全然わからないのにゃ。こういうことは初めてで、どうにもわかんなくて」
「……えっと、なんの話を」
「……気持ちの話、にゃよ」
「っ、し、師匠。もしかして」
「……かわいい弟子のことにゃからねぇ。なんとなくわかっていたにゃよ。……正直、なんで俺なんかにゃ~と思っていたけど」
「わ、わかっていたんすか」
「……にゃう。だから、ちょっと待っていてほしいのにゃ。さっきも言ったけど、俺はこういう経験が皆無にゃのよ。だから、どうすればいいのか、どう応えればいいのかもわからないのにゃ。それどころか、少し前までは俺よりもいい人を見つけて欲しいと思っていたにゃよ」
「……そんなの」
「うん、七海にとってはひどいことだと思うにゃよ。それくらい俺は自信なんてものがないのにゃよ。だからこそ、七海にはもっと相応しい人を見つけて欲しいと思っていたにゃ。かわいい弟子だからこそ、幸せになってほしいと思うのにゃ」
「……なら、なんで」
「ソウルブラザーに背中を押されちゃってにゃ~。実を言うと、ここに来たのも衝動的でね。なぁんも考えずに七海に話がしたいと思ったのにゃよ。だけど、実際に七海と面を合わせたら、なにを言えばいいか全然わかんにゃくて」
「……だから、時間がほしい、と?」
「うん。決して後ろ向きな気持ちじゃないのにゃ。前向きな意味で待ってほしいと思っているのにゃよ。その間に七海が別の人を見つけられたら、そこですっぱりと諦めるにゃよ。でも、もし、ちゃんと俺が自分の気持ちと向き合え、そのときにまだ七海が俺のことを少しでも想ってくれるのであれば」
「あれば?」
「……そういうことになるのかにゃって」
「……そこでぼかさないでくださいよ、師匠」
「し、仕方がにゃいだろう。こんなこと一度もなかったんだから」
最後の最後でぼかしてしまったことに、「ヘタレ」とみずから内心で罵りながら、いまできる精一杯の思いを伝えきったにゃん公望。
そんなにゃん公望に若干呆れつつも、七海は笑ってくれていた。その笑顔を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなっていく。
この気持ちがなんであるのかはまだわからない。
わからないけど、そのわからない気持ちとこれからは向き合おうとにゃん公望は決めたし、それを七海に伝えた。
七海は苦笑いしつつ、「仕方がないっすねぇ」と頷いてくれた。
「できるだけ早めにお願いするっすよ? 自分がおばあちゃんになる前には」
「……そのときには、俺はたぶん死んでいそうな気がするにゃよ」
「ははは、そうっすね。でも、それくらいなら待ちますから、ゆっくりと考えてくださいっすね、師匠」
「……にゃう、ありがとうにゃ」
後頭部を搔きながら、素直に頭を下げるにゃん公望。対峙しながら七海は穏やかに笑っていた。
そんなふたりの光景を、柚香やアイナたちも穏やかに見守っていたが、その視線にふたりが気づくことはなかった。
後にこの事は「にゃん公望のヘタレ告白事件」と生産板の中で末永く語られることになるのだが、このときのにゃん公望と七海がそのことを知る由もなく、ふたりはなんとも言えない空気をかもち出しながら、お互いを見つめていたのだった。




