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36話 ある男の話 その6

 景色が流れていた。


 顔を真っ赤にしながら、酒を飲むプレイヤーたち。


 酒を飲みつつも、誰もが満開の桜並木を眺めていた。


 至る所に人はいて、その人波を掻き分けるようにして進んでいく。


「危ねえだろうが」とか「なにするんだよ」とか、そういう非難の声が上がっていた。


 それでもにゃん公望は「ごめんにゃー!」と叫んで駆け抜けていった。


 どうして駆けるのか。


 どうして急いでいるのか。


 にゃん公望自身わかっていなかった。


 ただ、衝動に突き動かされて進んでいく。


「ソウルブラザー」と互いに呼び、親しみ合っているおやっさんの言葉が原因なのは、誰が見ても明らかだ。


 にゃん公望自身、「なんで俺は走っているんだろう」と思ってはいる。


 思いながらも、にゃん公望の脳裏に浮かぶのはふたつ。


 おやっさんのまっすぐな目と、かわいい弟子の姿のふたつ。


 おやっさんに言われたのは、「選択しない後悔をするな」ということ。


 正直なことを言えば、おやっさんの言うことは的外れである。


 にゃん公望自身は、すでに選択はしている。だから、「選択しない後悔」なんてものはにゃん公望には関係ないことだ。


 そう、関係ないはずなのに、にゃん公望は走っていた。


 おやっさんの言葉に背を押されて走っていた。


 本当になにをしているんだと思いながらも、息を切らせて走って行く。


 目的地がどこなのかは、はっきりとわかっていた。


 でも、目的地は明らかでも、そこでなにをするべきかはまだわかっていない。


 おやっさんに散々尻を叩かれはしたが、それだけでなにをするべきなのかはわかっていない。


 だというのに、脳裏に浮かぶのは、かわいい愛弟子の姿だ。


 こんな自分なんかを師匠と呼び慕ってくれるかわいい弟子。その弟子になんの間違いか恋心を抱かれてしまっている。


「どうして俺なんかを」と思ったことは、それこそ両手の指で数えられないくらいに思ってきた。


 そしてそのたびに「吊り合わないなぁ」と思ったものだ。


 にゃん公望は、いわゆるエリート系の家の出だ。両親も兄も妹もエリートと言われる存在。なのに、にゃん公望だけは落ちこぼれていた。


 そんなにゃん公望を家族は、腫れ物扱いはしなかった。むしろ、応援してくれていたのだ。


 頑張ればできる、と。頑張ってできないことはないのだ、と。そう言って励ましてくれた。


 ……それがどれほどの重荷であったのかを理解せずに。


 にゃん公望は家族を嫌ってはいない。だが、好きというわけでもない。


 タマモに話をしたときは、はぐらかしたものの、にゃん公望が道を違えた理由は、家族からの信頼と応援があまりにも重すぎたからだ。


 にゃん公望は実家では落ちこぼれだけど、一般的に見れば、それなりに優秀であった。学問やスポーツだって、そこそこの努力でそれなりにこなせていた。


 天才とまでは言えないけれど、秀才とは言えるくらいに能力はあったのだ。


 ただ、産まれた家が「それなりに優秀」では「落ちこぼれ」になってしまうほどのエリートだったということ。


 秀才ではダメだったのだ。


 天才でなければならなかったのに、秀才にしかなれないにゃん公望は落ちこぼれとなったのだ。


 留置場に来た両親の涙と言われた一言は、確かににゃん公望を真っ当にさせる切っ掛けではあった。


 だが、涙はともかく、言われた一言はいまでもにゃん公望の胸に突き刺さっていた。


「あなたたちが認めてくれなかったから。それなりでは認めてくれなかったからだよ」


 両親に向かって、理由を教えることはできた。


 でも、それが両親をより傷付けるだけなのはわかっていたし、たとえ両親や兄妹が理由であっても、道を違えてしまったのはにゃん公望の選択であった。


 にゃん公望は家族を嫌ってもいないが、好きでもない。けれど、こんな自分を見捨てずにいてくれた家族を愛している。


 愛しているからこそ、傷付ける一言を口にすることはできなかった。


 だからこそ、にゃん公望はなにも言わず、両親の言葉をただ受け止めた。


 親友の家が経営している清掃会社に拾われ、親元を離れた。両親はもちろん、兄妹とも定期的に連絡は交わしているし、時折実家に顔を出している。


 両親も兄妹も顔を合わせると、いつも喜んでくれた。


 官僚ではなく、一般職に就いたというのに、家族は「立派になった」と褒めてくれる。揶揄しているわけではなく、本心からいまのにゃん公望を認めてくれている。


 もしかしたら、親友たちが家族になにかを言ったのかもしれない。親友たちに聞いても教えてはくれないが、家族の変化を考えれば、たぶんなにかを言ったということはわかった。


 余計なお世話だとは思うけれど、その働きかけっがあったから、家族とは落ちぶれる前のような、いや、物心が着く前以前の穏やかな関係へと戻ることができた。


 でも、胸の奥に刺さった両親の言葉はいまだに抜けてくれない。


 もし、あの日、あのとき、両親に理由を告げていたら、なにか変わっていただろうか?


 その問いかけに対する答えは失われた。


 いまよりもよいよい未来があったかもしれない。もしくはより悪化した未来になったのかもしれない。


 そればかりは神様にしかわからないが、少なくとも家族とのいまの関係は悪いものじゃない。そういう意味では、選択しなかったことは正解だったと思える。……胸に突き刺さった言葉が抜けてくれないことを除いては。


 だが、七海とのことに関しては、もうにゃん公望は選択している。


 選択しているが、それが決して前向きの選択肢ではない。


 なにせ、「こんな俺が誰かを幸せになんてできるわけがない」という前提ありきの選択なのだから。


 元から七海の気持ちにきちんと向き合うつもりはないと言っているような選択なのだ。


 心苦しくはある。


 でも、誰かを幸せにできる自信がにゃん公望にはないのだ。


 誰かを幸せにできるのは、立派な人だけだとにゃん公望は思っていた。


 たとえば、父のような立派な人だけが家族を幸せにできるのだとそう思っていた。


 その立派な人はこのゲームをプレイして増えていく。


 生産板の仲間たちはみんな立派だし、タマモやその仲間たちもまた立派な子たちだ。


 きっとこれからいろんな人を幸せにしていけるのだろうと思っていた。


 だが、その前提は崩れてしまった。


 タマモは目の前で大切な人を喪った。おやっさんはかつての行いゆえに、家族を失った。


 タマモだけでも十分なほどに驚天動地と言えることだったのに、今日はそこにおやっさんも加わってしまったのだ。


 にゃん公望の価値観は音を立てて崩れ去った。


 そもそも、考えてみれば、父は立派だったが、家族をみんな幸せにできたわけじゃなかった。その時点で「誰かを幸せにできるのは立派な人だけ」という考えは崩壊していた。


 だが、そうであるのならば、どうすれば人を幸せにできるのだろうか?


 どういう人であれば、人を、大切な人を幸せにできるのか。


 答えはまだわからない。


 わからないのに、にゃん公望は走り出した。


 選択しない後悔。


 おやっさんの後押しとなる言葉を胸に走り出している。


 走りながら、にゃん公望は自身に問いかける。


「俺は立派な人なのかな」と。


 答えはすぐに出た。


「そんなわけねえだろう」と。


 一度道を違えた俺のどこに立派なところがあるってんだ、と自分を否定する答え。


 だが、その答えと同時に再び問いかけが浮かびあがる。


「なら、なんで俺は走っているんだ」と。


 立派でもなければ、答えもわかっていないのに、なんで俺は走るんだろう、と。


 その問いかけへの答えは浮かびあがらない。


 だというのに、にゃん公望の足は止まらない。止まらずに走り続けていた。


 わからないのに走る。


 走っているのにわからない。


 本当になにをしているんだろうと思うも、まっすぐに走り続けていく。


 どうするのかも、どうしたいのかもわからない。


 それでもわかるのは、いまはただ七海と話をしたいということだけ。


 話してどうするのか、なにを伝えるのかもわからない。


 なにもかもがわからなくて。


 それでも前に進み続ける。


 足は止まらなかった。


 止まらないまま、走り続けて、そして──。


「あ、師匠」


 ──件の人物を、七海を見つけたのだった。


 にゃん公望は「七海」と叫びながら、七海の元と向かい、その両肩をがしりと掴んだ。


「は? え、ちょ、ちょっと師匠?」


 七海は状況が理解できないのか、困惑した様子を見せている。


 そんな七海ににゃん公望は──。


「は、話があるにゃ!」


 ──と告げたのだった。

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