34話 ある男の話 その4
おやっさんとマリーの再会は無事に終わった。
ふたりはお互いを抱きしめながら涙を流していた。
タマモとにゃん公望、そして周囲にいたプレイヤーたちはもらい泣きしていた。
おやっさんやマリー曰く、十数年ぶりの再会。たとえ現実ではなくても、十数年ぶりの親子の再会に涙を流さないものはいない。
その余韻に誰もが浸っていたが、周囲の様子に気付いたおやっさんが顔を真っ赤にして「散れ」と怒号を上げたことでプレイヤーたちは散り散りに去っていた。
立ち去りながら、「今後は仲良くしなよ」とか「現実でも会ってやんなよ」や「今度娘さんを貰いに行きます」などという言葉がふたりに向けて告げられた。
おやっさんとマリーはそれぞれに頷いていたが、最後の言葉を聞いておやっさんが「あぁん!?」と凄んだごとでその言葉を吐いたプレイヤーが一目散に逃げ去ったことは言うまでもないだろう。
そうして周囲にいた多くのプレイヤーが立ち去り、タマモたちだけになった頃、おっさんとマリーはもちろん、タマモとにゃん公望の涙も収まっていた。
「あー、その、なんだ」
その頃になると、さすがにおやっさんもマリーもお互いに距離を取っていた。
いくら親子同士とはいえ、ハグをし合うのが恥ずかしいというのは、思春期以降であれば当然のことである。
ふたりが離ればなれになったのは、おやっさんとおやっさんの妻であり、マリーの母が離婚したから。その原因もおやっさんが家庭を顧みずに仕事に没頭したがゆえという、よくある離婚の理由である。
離婚の理由自体はよくあることであっても、当人たちにとってはよくあることで済ませられることではない。
わだかまりは解けたとしても、十数年も会っていなかった親子の溝を埋めるには足りない。
ふたりが距離を取ったのも、一足飛びで昔のような関係に戻ることができなかったがゆえ。
もっとも、一足飛びで昔の関係に戻ることは、どんな親子であってもそう簡単にできることではないため、ふたりの反応は当然でもあった。
これからは時間を掛けて関係を修復していけばいい。タマモもにゃん公望も同じことを考えていた。……叶わぬ願いであるなんて思いもせずに。
「……ねぇ、父さん」
タマモたちの考えが否定される切っ掛けとなったのは、マリーの一言からだった。
「なんだ?」
「いまは病院?」
「……いや、まだ家にいるよ」
「そっか。……病院行くときは言ってね。付き添いするから」
「……ありがたいが、仕事はどうするんだ?」
「突発になっちゃうけれど、お休みにさせて貰うつもりだよ。さすがに入院してからは、毎日お見舞いは難しいけど、定期的に行くから」
「……すまんな。無理をさせる」
「いいよ。……いままで頑張ってくれていたんだし」
「……すまん」
「いいってば。気にしないで」
おやっさんとマリーの会話に、タマモとにゃん公望は怪訝そうに顔を歪めていく。ふたりの会話はあまりにも不穏すぎるものだったのだ。
だが、どれほど不穏であっても、あくまでこの世界内での友人ないし知人にしかすぎないふたりにとって、プライベートに首を突っ込むのはどうかというストッパーにより、ふたりは口を噤んでいた。
が、そのストッパーも「入院」という言葉によって、制止しきれなくなってしまった。
「な、なぁ。ソウルブラザー? 「入院」ってなんのことにゃ?」
にゃん公望の声が震えていた。その顔はひどく不安そうなものになっていた。
にゃん公望としては、その不安が見当外れであることを祈っていたいのだろう。
だが、その願いは通じなかった。
「……父さん。にゃん公望さんには伝えていないの?」
「……あぁ。狐ちゃんにもだ。いや、おまえ以外には誰にも伝えていないよ」
「さすがにそれはどうかと思うよ?」
「……わかっているんだが、どう言えばいいかわからなくてな」
「そう、だね。私も話を母さんから聞いて言葉を失ったもの」
「……母さんは、なんて?」
「できる限り一緒にいてあげてって。母さんもできる限り一緒にいるって」
「……そうか。すまんって伝えていてくれ」
「それくらい、自分で伝えなよ。私に言えたんだから、母さんにも言えるでしょう?」
「……そう、だな。さすがによりを戻す時間はないけれど、わだかまりを解くだけの時間はあるしな」
「……うん」
おやっさんとマリーは再び不穏な会話を行った。
その内容を聞いて、にゃん公望は細目を大きく見開いて、「……もしかしてにゃんだけど」と信じられないものを見るようにおやっさんを見つめながら告げた。
「ソウルブラザー、体悪いのかにゃ?」
「……あぁ」
「さっき言っていた、しばらくログインできなくなるって、入院するからってことなのかにゃ?」
「……そうだ」
「そ、そっか。で、でも、治るんにゃよね? 体を治して戻ってくるよにゃ?」
にゃん公望は縋るような視線を向けながら、おやっさんに問いかけた。その問いかけにおやっさんはすぐには頷かなかった。
「……なんで黙っているのにゃ?」
にゃん公望は沈黙に耐えられなかったのか、急かすように問いかける。
が、おやっさんはその問いかけにも沈黙で返した。……まるでそれが答えだと言っているかのように。
にゃん公望は頭を振った。頭によぎったであろう言葉を見ないようにするために。その表情は泣きそうなものへと変化していた。
「父さん。言いづらいなら私が」
「……いいや、俺から言うよ」
「いいの?」
「あぁ。それにおまえに言わせたら、おまえに辛い目に遭わせることになるからな」
「……気にしなくていいんだよ」
「気にするさ。いままでなにもしてこなかったけれど、これでも俺は親父なんだ。最後の最期までカッコくらいはつけさせてくれ」
「……うん。わかった」
マリーはそう言って引き下がった。引き下がるが、空いていた距離を詰めて、おやっさんのそばに、寄り添うようにしておやっさんの隣に立った。
おやっさんは「……すまない」とだけ言って、にゃん公望とタマモをじっと見つめながら、ゆっくりと重たい口を開いていく。
「これから言うことは全部事実だってことをわかっていてほしい」
おやっさんの口調は淡々としていた。淡々とした口調でおやっさんが口にしたのは、にゃん公望とタマモにとっては最悪の答えであった。
「ステージ4らしい」
「……ステージ4」
「うそ、にゃろ?」
おやっさんが口にした単語を聞いて、タマモは呆然と立ち尽くし、にゃん公望は両膝を地面に突いた。
ステージ4。他の臓器にがん細胞が転移した状態をさすもので、余命宣告を受けるレベルの末期症状のがんを意味する単語であった。
「……最初はただの胃腸炎だと思って、放っておいたんだ。だけど、実際は膵臓の方からだったみたいでな。あまりにも痛みがひどすぎたから、通院したら複数の臓器に転移しているって言われたよ」
「……助かるにゃよね?」
「……半年って言われた」
「なんの期間、にゃ? 治る期間かにゃ?」
にゃははは、とにゃん公望が力なく笑っていた。その笑い声はひどく空虚だった。にゃん公望も、自身の言葉が現実的ではないことを理解しているのだろうが、それでも奇跡を願ってにゃん公望は笑っていた。
しかし、おやっさんはその願いを否定した。
「あと半年生きれればいい方だとよ。もう手の施しようがないそうだ。余命宣告って奴だよ、ソウルブラザー」
おやっさんは笑った。とても透き通った笑みを浮かべながら、にゃん公望の言葉を否定したのだ。
「うそ、にゃろう?」
「……嘘じゃねえよ」
「信じにゃいぞ。信じられるわけがないにゃ。絶対、絶対俺は信じにゃい!」
おやっさんの言葉を今度はにゃん公望が否定するも、おやっさんは申し訳なさそうな顔をするだけで、にゃん公望の言葉を頷くことはなかった。
「嘘だって、言えにゃ。嘘だって言ってくれよ。嘘だって言ってくれぇぇぇぇぇ!」
ロールプレイを忘れて、にゃん公望は叫んだ。雄叫びのような声で、腹の底から声を出しての慟哭を上げる。
が、おやっさんはなにも言わない。マリーもやはりなにも言わない。
ふたりはただ申し訳なさそうな顔をして、にゃん公望を見つめていた。ふたりの視線を浴びながら、にゃん公望は言葉にならない叫び声を上げながら泣き続けた。人目も憚ることなく嗚咽を上げ続けたのだった。




