33話 ある男の話 その3
「──クレープ屋さん?」
おやっさんの娘さんという女性プレイヤーを待っていると、タマモたちの前に現れたのは、想定外の人物であった。
おやっさんの娘さんとタマモが想像していたのは、べらんめえ口調な男勝りなプレイヤーだった。
現代社会でそんな女性が存在するかどうかはさておき。おやっさんの娘さんというのであれば、そういう女性を想像してしまっていたタマモにとって、その女性は想定外であった。
なぜなら、タマモたちの前に現れたのは、アルスとともに寄ったクレープの屋台を営んでいた女性プレイヤーだったのだ。
文学少女という言葉を絵にしたような、黒髪おさげに、眼鏡という出で立ちの女性。
加えて、タマモの勝手なイメージとして文学少女は胸部が立派であるべきというイメージ通りの立派な胸部の持ち主であった。
そのクレープ屋の女性店主が、なぜかおやっさんの屋台へとふらりと姿を現したのだ。その声を聞いただけでおやっさんが明かな反応を示したというおまけ付きで。
そもそも、タマモたちがおやっさんの屋台にいたのは、客の波を捌き終えたということと、この屋台前で待ち合わせをしていたからである。
そうして待ちわびていると、おやっさんの屋台前にクレープ屋の女性店主が現れた。
おやっさんは女性店主の声を聞いてから、挙動不審となっているし、目をあちらこちらへと泳がせてさえいた。
あまりにも普段のおやっさんらしからぬ姿である。
その様子とここまでの情報を照らし合わせれば、おやっさんと女性店主の関係なんて考えるまでもなくて──。
「……あの、クレープ屋さんは」
「あ、そうでしたね。名乗っていませんでした。私はマリーと申します。以後よろしくお願い致します」
「あ、はい。よろしくお願い致します。それでマリーさんは、その」
「……この屋台の前で待ち合わせをしていたので、閉店されたのを確認して参りました」
「ということは」
「やっぱり」
タマモはにゃん公望とともにおやっさんを見やる。
おやっさんは相変わらず目をあちらこちらへと泳がせ、やけに落ち着きのない挙動不審を続けていた。
マリーは挙動不審なおやっさんをじっと見つめていた。透き通った瞳でおやっさんを見つめていたマリーだったが、不意に表情を和らげて笑った。
「……最後に会ったときと、全然違うね。あのときは怯えていなかったのに」
「……そりゃ、そうだろうよ。いまさら、どんな面して会えばいいのかわからんかったし」
マリーが笑いながらおやっさんに声を掛けると、おやっさんは後頭部を掻きむしりながら顔を赤くしていた。
「おっさんの赤面面とか、なんの罰ゲームにゃ」とにゃん公望が余計なことを抜かすが、タマモが無言でにゃん公望の尻尾を踏み抜くとにゃん公望は「ぎにゃー!」と悲鳴をあげてその場で蹲った。
おやっさんとマリーが同時にタマモとにゃん公望を見やるも、タマモは「どうぞ、お話を進めてください」と笑いかける。
おやっさんは頬を引きつらせ、マリーは目をまん丸としていたが、すぐにふたりはタマモたちから視線を外し、お互いに見つめ合った。
「……大きくなったな」
「それ、どこ見て言っているの?」
「ば、バカ野郎。邪推すんな」
「ふふふ、ごめんね。でも、不思議だね。あの頃は「バカ野郎」って言われたらすごく嫌だったのに、いまはなぜか嬉しい」
「……俺はどうにも不器用すぎて、なかなか自分の気持ちをおまえたちに伝えられなかった。言うべきはずの言葉を言わず、言わなくてもいいことばかりを言っていた」
「……もういいよ。あの頃、その言葉を言って欲しかったけれど、いまならなんとなく気持ちがわかるんだ」
「もしかして、結婚したのか?」
「ううん、そうじゃないよ。そもそも、私みたいな地味子を好きになってくれる人なんていないって。胸ばっかり大きくなって、スタイル悪いし」
おやっさんとマリーの会話の最中に出た、マリーの自虐を聞いてタマモは「なに言ってんの、この人?」と思わずにはいられなかった。
それは現在進行形でタマモに尻尾を踏みつけられているにゃん公望も同じなのだろうか、「じ、自覚なしにゃ」と悶えていた。
たしかに黒髪おさげに眼鏡というのは、そう目立つものではない。地味に見えてしまうというのも間違いではない。
が、そこにマリーの整った顔立ちと穏やかな物腰が加わると、お淑やかな清楚美人という存在へとマリーを押し上げている。
そして、マリーが自虐する胸ばっかり大きいというのも、マリーの魅力を後押ししていた。
マリー自身は自覚していないものの、マリーを見た大抵のプレイヤーは「……二次元の方ですか?」という感想を誰しも抱いていた。
ぶっちゃけると、マリーの要素を書き出すと二次元のヒロインの特徴になる。
だが、その二次元ヒロインが現実にいると言われても、すぐには誰も信じないだろう。いや、マリーを実際に見ても脳が理解を拒むことになる。それがマリーという人物なのであった。
「……ま、まぁ、おまえがそういうならそういうことにしておこう、かな」
おやっさんは言葉を詰まらせながら頷いた。内心「んなわけねえだろう」と言いたいであろうことは明らかだが、あえてぐっと気持ちを抑え込んでいるようだ。
気持ちを抑え込みながら、おやっさんはにゃん公望を睨み付けた。「手ぇ出したらわかってんなだろうな?」とその目は雄弁に物語っていた。
いや、にゃん公望だけではなく、にゃん公望の悲鳴を聞いて徐々に集まりつつあったオーディエンスと化しているプレイヤーたちにもその視線は及んでいる。
鬼気迫るおやっさんの眼光にこの場にいた男性プレイヤーたちはみな一斉に頷いていた。
「私お店出したでしょう。自分のお店を持って気持ちわかったんだ。修行していたときは、自分のタスクで手一杯だったけれど、そこに経営のことも加わると、家族のことまで気に掛けていられないっていうのがわかったの」
「……だが、それでも、おまえたちへの俺の態度は褒められたもんじゃなかった。そうするのが当たり前って態度だった。手伝ってもらっている感謝を忘れ、「家族のため」って自分に言い訳をしていた。そのことをおまえたちがいなくなってようやく理解できた。……遅すぎた自覚だったよ」
おやっさんの鬼気は収まり、申し訳なさそうな顔でマリーを見つめていた。
「うん。そのことはちゃんと反省してね。私まだそのことは許していないから」
「……そう、だよな。店を持って気持ちをわかって貰えたとはいえ、俺のしたことは最低だったしな」
「うん、だから、一言でいい。その一言で私はあなたを許します。……なにを言えばいいか、わかる?」
マリーは試すようなことを告げた。その言葉におやっさんは考えていたようだが、すぐに頭を振った。
「……いろいろと思い当たることはあったんだが、どんな言葉よりも先に言うべきことがあったことを忘れていたよ」
「うん、なに?」
「……すまなかった。おまえたちのことを考えているようで、なにも考えていなかった。本当にごめんな。こんなダメな親父を許してくれるか、真理」
「うん、わかった。許してあげるね、父さん」
おやっさんは涙ながらに頭を下げた。マリーはおやっさんを正面から抱きしめながら「父さん」と言った。
それまでの会話でふたりが親子であることはわかっていた。
決定的な言葉をどちらも口にしていなかった。唯一が「家族」という言葉くらい。
だが、いまマリーがはっきりと口火を切ったのだ。
マリーの言葉におやっさんは泣きじゃくりながらマリーを抱きしめた。
「……ごめん。ごめんなぁ。なにもしてあげられなくて、本当にごめんなぁ」
「……もういいよ。父さんの気持ちはわかっている。だから、もう謝らないでいいの」
「真理。あぁ、真理、真理」
「……もう、いつからこんなに泣き虫になったの? 本当に仕方がないなぁ、父さんは」
マリーにしがみつくおやっさんに、マリーはくすくすと笑っていた。笑いながら、その頬を濡らしていた。
十数年ぶりの親子の再会。その光景にこの場に集まったプレイヤーたちからは嗚咽の声が上がっていく。
「にゃふぅ。こんにゃの、反則にゃよ~」
にゃん公望は目の前の光景を見て、涙ぐんでいる。
タマモも、にゃん公望の言葉に頷きながら、「そうですね」と涙ぐんでいた。
誰もが涙を流す中、その中心でおやっさんとマリーはふたりだけの会話を行っていた。その会話まではさすがにタマモとにゃん公望でも聞こえなかった。
それでもおやっさんとマリーには十分すぎるほどの声量だった。
そんなふたりをタマモとにゃん公望を始めとした周囲からは、温かな視線が注がれる。
お互いにしか聞こえない会話を交わす親子を、誰もが穏やかな気持ちを抱きながら見守っていたのだった。




