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32話 ある男の話 その2

 波が生じていた。


 数え切れないほどの人の波が、一斉に押し寄せてきている。タマモは目の前の状況をそう断じながら、忙しなく行動していた。


「狐ちゃん! そっちはどうだい!?」


「問題なしです! もうじきあがります!」


「よっしゃ! ソウルブラザー、そっちはどうなっている!?」


「こっちも問題なしにゃー! さすがにブロッサムサーモンの在庫はもうないけれど、通常のサーモンならいくらでも放出できるにゃ!」


「おっし! ってわけで、お客様方、ブロッサムサーモンのカルパッチョはもう品切れでさぁ! ここからは通常のサーモンのカルパッチョを、そうさな、600シルで提供しやすぜ!」


 おやっさんの怒号混じりの宣告に、人の波から大きな歓声が上がっていく。


 この人の波は、おやっさんの屋台である「もつ煮込み屋」に殺到するものである。


 最初は、生産板の仲間内で消費する分だけの調理だったのだが、おやっさんとタマモ、にゃん公望が調理を始めたところを見て、屋台村にいたプレイヤーたちが瞬く間に集まってしまったのだ。


 最初は「売り物じゃない」とおやっさんは申し訳なく断っていたのだが、プレイヤーたちが必死に懇願するため、おやっさんはやむをえずに折れたのだ。


 そうして折れてから早数十分経った現在、タマモたちはいまも調理に集中させられることになっていた。


 どれほど捌いても、人の波は止まらず、次々に押し寄せてくるのだ。


 その波の圧力は当初の予定していた秘蔵のモツ煮込みを瞬く間に完売させ、まだもう少しだけ残っていたブロッサムサーモンの在庫さえも尽きさせるほど。


 現在は通常のモツ煮込み、通常のサーモン、そしてタマモ手製のキャベベ炒めを始めとしたジャンク系フードを主力にしてどうにかプレイヤーを捌いていく。


 もうすでに秘蔵のモツもブロッサムサーモンも完売したというのにも関わらず、プレイヤーという名の波は次々に押し寄せてくる。


 戦場とはまさにこのことか、とタマモは思いながら必死にフライパンを振っていた。


「タマモのごはんやさん」も昼時になると、だいぶ忙しいことになるが、「もつ煮込み屋」の忙しさは「タマモのごはんやさん」の比ではない。


 その大行列をおやっさんは次々に捌きつつ、タマモとにゃん公望の進捗を把握していた。


 専門ではないとはいえ、同じ店主という立場において、おやっさんとではその手腕には埋めようのないほどの大きな差があるとタマモは痛感していた。


 とはいえ、それを嘆いている暇などいまのタマモには存在するわけもなく、次々に入る注文をどうにか捌いていった。


 そうして気付けば、一時間が過ぎた頃、おやっさんの大音声が響いた。


「お並びの方々に申し上げやす! 材料が完全に尽きましたので、これ以上の提供は不可能となりました。申し訳ありませんが、お引き取りをお願い致しやす!」


 タマモが所蔵していたキャベベの最後の一玉さえも使い切ったことを報告すると、おやっさんはここで閉店であることをプレイヤーたちに伝えたのだ。


 おやっさんの宣言に並んでいたプレイヤーたちは、みながくりと肩を落としてしまった。


 文句を言い出すクレーマー的なプレイヤーは幸いなことにおらず、買えなかったプレイヤーも「次の開店を楽しみにしています」と言い残して去って行く。


 買えたプレイヤーは「今日も美味しかったです。ごちそうさまでした」と笑顔で去って行った。


 誰もが文句ひとつも言わずに、それぞれの笑顔を浮かべながら立ち去っていく様を見て、「こんな風なお店を構えたいなぁ」とタマモが思っていると──。


「ふぃ~、疲れたにゃ~」


 ──魚系統の調理を担当していたにゃん公望が舌を出しながら尻餅を突いたのだ。だらしがないと思うが、にゃん公望がそうなってしまうほどの人の波だったのだ。その反応も無理からぬことだともタマモは思った。


「おう、お疲れさん。なんだか、悪いことしちまったなぁ」


 おやっさんは苦笑いしながら、タマモとにゃん公望を労っていた。おやっさんの労いを受けて、タマモは「気にしないでください」と告げるが、にゃん公望は「なんで俺までこんな目に遭うのにゃよ~」とため息を吐いていた。


「俺、料理人じゃにゃいんだけどにゃ~」


「そういうな、ソウルブラザー。なかなかの調理っぷりだったぜ? 本格的に料理人になってもいいんじゃねえか?」


「あくまでも俺の調理は、自分で楽しむ程度で、不特定多数向けの調理じゃないのにゃよ。だから料理人は無理にゃよ」


「もったいねえが、まぁ、おまえさんがそういうのであればしゃーねえわな」


 喉の奥を鳴らすようにしておやっさんは笑っているが、その顔は本当に残念そうなものであった。


 どうやら本当ににゃん公望のヘッドハンティングを狙っていたようである。


「その点、狐ちゃんも見事だったぜ? さすがは一国一城の主。その手腕はなかなかだ」


「無理に褒めなくていいですよ」


「無理にじゃねえさ。本気だぜ?」


「おやっさんに比べたら、ボクなんてまだまだです。それが今回はっきりとわかりましたよ」


「そうかい? まぁ、年期の違いもあるからなぁ」


「おやっさんの域に到達できても、果たしてどれほど時間が掛かることやらと思いましたよ」


「狐ちゃんなら、そう時間は掛かんねえんじゃねえか?」


「さすがにそれは」


「さて、どうだろうなぁ?」


 おやっさんは笑っていた。今日はやけに笑うなぁとタマモはその笑みを見て思った。


 普段おやっさんはどちらかと言えば、寡黙な人物であるのだが、今日はやけによく笑っていた。「違和感の正体はそれかな」とおやっさんに抱く違和感の正体をなんとなくだが、タマモが勘付いたとき。


「さて、そろそろ時間、かな?」


 おやっさんがふと時間と口にしたのだ。なんのことだろうとタマモが思っていると、にゃん公望も同じことを思ったようで、「にゃんのことにゃ?」と首を傾げた。


「ん~? まぁ、そうさなぁ。人と会う予定があってよぉ。このゲーム内でな」


「そうにゃのか?」


「あぁ。……そうだ。どうせなら付き合ってくんねえか?」


「「は?」」


 おやっさんの要望は想定外のものだった。人と会う予定があるというのに、その人と会うのにタマモとにゃん公望を帯同させようとする。


 普通に考えれば、ありえないことだ。だが、そのありえないことをおやっさんはなぜか頼んできたのだ。


 なにかしらの事情があるのだろうとタマモは感じ、「わかりました」とほぼ即答していた。


 にゃん公望はタマモの答えに一瞬たじろんだが、「まぁ、ソウルブラザーの頼みなら仕方ないにゃ~」と頷いた。


「悪いな。恩に着るぜ」


 タマモとにゃん公望が頷いたことで、おやっさんはほっと一息を吐いていた。どうやらこれから会う人物は相当にひとりでは会いづらい人物のようである。


「いったい誰と会うのにゃ? 恋人かにゃ? それとも奥さんかにゃ?」


 にゃははは、と人の悪そうな笑みを浮かべるにゃん公望に、タマモは「にゃん公望さん、失礼ですよ」と釘を刺す。が、当のタマモもおやっさんがひとりでは会いたくない相手がどんな人物なのかは気になっていた。


 しかし、にゃん公望のようにあけすけではなく、あくまでも気になる程度で留めている。実際のところはにゃん公望と大差ない程度に興味津々であった。


 そんなふたりの様子におやっさんは後頭部を掻きむしりながら、とても言いづらそうに告げた。


「……娘だ」


「娘?」


「……あぁ、俺の娘、だよ」


「娘さん、おられたんですか?」


「初耳だにゃ~」


「……まぁ、な。別れた女房が連れて行った娘なんでな。もうかれこれ十何年も会ってねえ娘でな。その娘が最近になって連絡をくれてな。どんな場所でもいいから会いたいって言ってくれたんだ。それで選んだのが」


「このゲーム内にゃと」


「……そういうこった」


「……普通、ゲーム内じゃなく、現実で会うもんにゃない?」


「……言うな」


「現実では会いづらいから、ってことですか?」


「……まぁ、な」


「……ヘタレにゃ」


「だから、言うなって」


 大きくため息を吐くおやっさん。その様子を見て、相当に会いづらかったのだろうと察することはできた。


 察することはできるが、なぜ「ゲーム内なら会う」という返答になったのかはまるで理解できないことである。


 まぁ、おやっさんにもおやっさんなりの事情があるのだろうとタマモは思うことにした。


 にゃん公望もヘタレと罵りはしたが、「まぁ、ソウルブラザーなりに勇気を振り絞った結果にゃろうからね、いいけどねぇ」と笑っていた。


「それで、どこで待ち合わせなんですか?」


「……ここだ」


「え?」


「「もつ煮込み屋」って屋台を経営しているからって話はしてある。時間もそろそろだ」


「……もしかして、閉店したのって」


「本当に在庫がなくなったってのもある。が、否定はしねえ」


 おやっさんはなんとも答えづらいことを口にしてくれた。


「面倒くせえ親父にゃねぇ」とにゃん公望が呆れ、「うるせえなあ!」とおやっさんが顔を真っ赤にして叫んだのと同時だった。


「……あれ? タマモさん?」


 女性の声が聞こえてきたのだ。それもどこかで聞き覚えのある声だった。


 その声におやっさんはあからさまな反応を見せ、にゃん公望が呆れ顔になるも、タマモは聞こえた声の主を見てあ然となった。


「あなたは、クレープ屋さん?」


 目の前に現れたのは、アルスに奢ってもらったクレープ屋の店員の、文学少女を絵に描いたような人にして、タマモの大ファンと言っていたの女性プレイヤーだった。

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