30話 ある師弟の話 その5
『狐ちゃんはいいとこのお嬢様だからわからないかもしれないんだけど、この世界にはどうしようもない屑ってのがどうしても存在してしまうものにゃのよ。……俺みたいににゃ~』
屑だと自分ではっきりと言い切ってしまうにゃん公望。
自身を卑下してしまうことは、どんな人でも生きているうちには何度かあるものだろう。
アルスやティアナがそうであったように、にゃん公望も自身を卑下している。タマモから見れば、卑下するのも当然のような人物という風には、にゃん公望は見えない。
まぁ、セクハラ発言が多いというのは、なかなかに考え物ではあるものの、それもにゃん公望という人物の個性であるし、にゃん公望のそれはあくまでも発言止まりだ。
実際に行動に出てしまい、痴漢扱いされてはいない。……おやっさんや木蓮に「そのうちやると思っていました」とか言われかねない人物であることは間違いないが、本当に行動に出るとは思えない。
困った発言はするものの、犯罪行為までは起こさない。それがタマモにとってのにゃん公望という人物である。
『そこまで卑下されなくてもいいかと思いますが』
『んーん。これは卑下じゃなくて事実にゃのよ……実際、両親からはそう言われたからね~』
『え?』
にゃん公望の一言は、あまりにも想定外なものだった。
両親から「屑」と言われた。いったいどういう家庭環境だろうか。
エリート一家の子供が落第生で、というのはよく聞く話ではあるが、にゃん公望もその口なのだろうか。
恐る恐るとにゃん公望を見上げると、にゃん公望は「にゃははは」と笑ってから小さくため息を吐いた。
『たぶん、狐ちゃんの考えている通りにゃよ。うちの家は実に厳しい家でにゃ~。父親は官僚で、母親はいいとこ出のお嬢様だったにゃ~。兄弟は父親と同じ官僚の兄貴と、有名な国立大に合格した出来のいい妹がいてね。みんな優秀なのに、俺だけは落ちこぼれでね~』
しみじみと語るにゃん公望。エリート一家の真ん中、優秀な兄と妹に挟まれている。まさに絵に描いたような状況だった。
だが、それだけで屑呼ばわりはさすがにひどすぎる。エリート特有の感覚ゆえなのだろうかと思ったタマモだったが、続くにゃん公望の一言で、彼の両親がどんな想いで言い放ったのかもわかってしまった。
『だからというわけじゃにゃいんだけどねぇ~。俺グレていたのよ。いろんな悪いことをしたにゃ~。喧嘩はするわ、未成年で酒も煙草も嗜んでいた、盗みもしたことがあるにゃねえ。まぁ、さすがに女の子に酷いことはしなかったし、クスリまではやっていなかったけど、それ以外のことであれば、大概やったにゃねぇ』
『それは』
『「屑」って呼ばれても仕方ないにゃいでしょう? 両親も本当は言いたくなかったんだろうけれど……留置場の面会で泣きながら言われちゃってねぇ~。「どうして屑になってしまったんだ」ってねぇ。あれは一番堪えたにゃねぇ~』
しみじみと頷くにゃん公望。タマモはなんと言えばいいかわからず、沈黙することしかできなかった。そんなタマモににゃん公望は「にゃははは」と笑っていた。空虚な顔と言葉で笑っていた。
『両親の名誉のためにも言うけどね。うちの両親は決して俺を見捨てていなかったにゃ。兄貴や妹だってそうだったにゃ。落ちこぼれで悪いことばかりする屑の俺を愛してくれていたにゃ。……その愛情に俺は応えてあげられなかったのにゃ』
細目をより細くしながら、にゃん公望は拳を強く握った。慚愧の念はあるようだが、過去の行いがそれでなくなったわけではない。そのことをにゃん公望は誰よりも痛感しているようだった。
『なにが原因だったんですか?』
『……なにが原因、か。ん~。わかんにゃいなぁ。気付いたら屑になっていたのにゃ。巡り合わせだったのか。それとも家族からの愛情を重たく感じていたのか。どちらにしろ、理由も原因もわからにゃいけど、昔の俺がどうしようもない屑だったことはたしかなことにゃのよ』
にゃん公望にも、昔の自分がどうしてそうなったのかはわからないでいるようだ。
とはいえ、こればかりは誰にもわかることではない。
話を聞く限りは、にゃん公望の周囲には問題があるようには見えない。
劣等感はあっただろう。だが、劣等感はあっても、両親からも兄と妹からも愛されていた。それでもにゃん公望は堕ちてしまっていた。
理由と原因をあえて考えるとすれば、にゃん公望の言う通り巡り合わせだったとしか言いようがない。
『でも、いまはきれいさっぱり、悪いことはしていないにゃよ。……信じてもらえるかはわからにゃいけど、両親に泣かれてからは足を洗ったし、親友どもにこっぴどくぶちのめされたし』
『親友さんたち、ですか?』
『うん。ツヨとシンって連中なのにゃ~。ツヨは見た目チーマーだけど、一本気な奴だし、シンはのんびりとした優しい奴なのにゃよ。……俺が留置場から出たとき、本気で怒ったあいつらを初めて見たにゃよ』
にゃん公望は頬を擦りながら、遠くを眺めていた。その顔はとても嬉しそうに、そしてひどく悲しそうに笑っていた。
『ガキの頃からツヨの爺さんである師匠の元で、一緒に汗を流してきたけれど、本気で怒ったあいつらを見たのはあのときが初めてだったにゃ~』
『そのツヨさんは道場を経営しているお家の方だったんですか?』
『そうにゃね。ちなみにシンは寺の息子で、どっちもとてもいい奴らにゃ。そんなあいつらが泣きながら本気で怒っていたにゃよ。……両親の涙もキツかったけど、同じくらいにあいつらの涙もキツかったにゃ~。そのふたつが俺が真っ当になろうとした理由にゃねぇ』
『いまもそのおふたりとは』
『付き合いあるにゃよ。というか、俺の就職先ツヨん家だからね。ツヨん家は清掃系の会社もやっているんにゃよ。そこで拾ってもらって、いまは真面目に仕事しているにゃ』
『それはよかった、ですね』
『うん。でも、だからこそ思うにゃよ。両親を泣かせ、親友どもを怒らせた俺は屑だったってね。そんな俺が七海の気持ちを受け入れるわけにはいかにゃいってね。だって、いまはまともだったとしても、いつまた屑になってしまうかわからにゃいしねぇ。あんないい子を傷付けるわけにはいかにゃいのよ』
にゃん公望はそう言って笑っていた。諦観と自身への不信感をない交ぜにして笑っている。
その笑みと言葉にタマモはなにも言い返すことができず、黙っていることしかできなかった。そうして沈黙するタマモに、にゃん公望はさらに続けた。
「大切だから幸せになってほしいと思うにゃよ。だからこそ、俺のことはさっさと見切りを付けてほしいと思うのにゃ~』
それまで通りの笑みでにゃん公望は口を閉ざした。タマモはやはりなにも言い返すことができないまま、その言葉をただ受け入れることしかできなかった。




