18話 ある幼なじみたちの話 その2
「──その幼なじみたちは、とても仲がよかった」
湯気が立ち上る湯飲みを両手で握りながら、アルスは遠くを眺めていた。
遠くを眺めながら語るアルスの表情は、普段のおちゃらけた姿とはまるで違い、悲しみと怒り、そして深い後悔の色に染まっている。
複雑な表情を浮かべるアルスへと向かって、一陣の風が吹く。吹き抜ける風はアルスをそっと撫でつけて行くも、アルスは気にすることなく話を続けていく。
「女の子は勝ち気だが、とてもかわいい子でね。ふたりの男の子たちを従えるボスみたいな存在だった。引っ込み事案な男の子と自称天才はその女の子に引っ張られる形でその後を追いかけていた」
よくある幼なじみたちの関係だとタマモは思った。
男の子よりも女の子の方が精神的な成長は速いため、女の子が男の子たちを付き従えるという状況にはなりやすい。
が、すべての男女の幼なじみがそうというわけではなく、中には男の子が女の子を守るようにして形成される幼なじみの関係もあり、そちらもベタではあるものの、アルスの言う一組もありがちな関係となったのだろう。
「そんな3人はそれぞれが友人だった。全員が全員親友と言える間柄ではあったんだ。あくまでも幼い頃まではね」
「……もしかして、恋ですか?」
「うん。わりとベタなことではあったけれど、男の子ふたりが女の子に恋をしたのさ。いや、違うか。引っ込み思案な男の子は、女の子に最初から恋をしていたんだよ。初恋だったのさ」
アルスの表情が、いや、目が鋭く細められた。内容は微笑ましいものであるはずなのに、その目には怒りの色に染まっていた。
「そのまま引っ込み思案な男の子が、女の子にアタックするというのであれば、とても微笑ましいものだった。が、さっきも言ったけれど、自称天才も女の子に恋をしていたことが、状況を混沌とさせてしまった」
「でも、仕方がない部分もあるのでは? 恋はそれこそ競争と言われますし」
「……そうだね。たしかにその通りだ。だけど、問題だったのは、その自称天才の性根に問題があったってことだよ」
「どういう、ことですか?」
アルスは苦々しく顔を歪ませていく。それこそ許されざる罪を犯したと言うかのように。自身の罪を懺悔するようにアルスは語っていく。
「自称天才は、当時それなりにモテていてね。顔立ちは悪くなかったし、勉強やスポーツだってそれなりにできていたんだ。そして中学生という多感な時期ということが、そいつの性根を曲げてしまっていた」
「なにがあったんです?」
「……そいつは、引っ込み思案な男の子を、親友をたきつけながら、女の子に先に告白して付き合っていたんだよ」
「……え?」
アルスが言った言葉をタマモはすぐにはわからなかった。アルスは湯飲みに視線を落としていた。湯飲みを握るその手は強く握りしめられ、爪が白く変色していた。
「「あいつが好きなら、取られる前に告白しろよ」と言っておきながら、裏では「おまえにはあいつはもったいない」なんて最低なことを考えていたのさ」
「……それは」
「そのうえ、ね。そいつは、女の子にこう言っていたんだよ。「あいつは俺と君の仲を応援してくれるって言ってくれたんだ」ってね。嘘を吐いたんだよ。好きな女の子を相手にね」
アルスの口からか細い吐息が漏れていく。アルスの表情は変わらない。だが、その吐息はまるで泣いていると思うほどに弱々しいものだった。
「……どうしてそいつがそんなことをしたのかと言うとね。そいつは、笑い話にするつもりだったんだよ」
「笑い話ですか?」
「うん。親友が女の子に告白して、「ドッキリ成功」みたいな感じで笑い話にするつもりだったのさ。テレビ番組にあるようなドッキリを親友にやって、笑い話にして親友に祝ってもらおうと考えていたんだよ」
「そんなの、できるわけがないじゃないですか」
「あぁ。そうさ。できるわけがない。できるわけがないんだ。仮にできたとしても、親友がひどく傷つくことなんて誰が考えてもわかることだ。それこそ子供だってわかることだ。だけど、その誰にもわかることが、そいつにはわからなかった。わからなくなってしまっていたんだよ」
「どうして、ですか」
「……自称天才だったからだね。なんでもそつなくこなすことができた。女の子にもモテていた。それがそいつを歪めたのさ。あるわけもない万能間にそいつは酔いしれていたのさ。「天才な俺がやることは絶対に正しい」なんてバカなことを本気で考えていた。そしてその驕りが晒される日が訪れた」
「……もしかして」
「あぁ、女の子に誕生日に親友が告白をしたんだ。女の子は唖然としていた。親友に告白されるなんて思っていなかったからね。唖然としながら、天才と付き合っていると伝え、親友はその言葉に呆然となった。そこにそいつはネタばらしと称して脳天気に現れた。……ふたりが笑ってくれると考えてね。でも、結果はそうならなかった」
「……」
アルスが唇を噛み締める。悔恨に満ちた表情で幼なじみたちの話を続けていく。
「親友は呆然とした顔で泣いたよ。女の子もくしゃくしゃの顔で泣きじゃくってしまった。自称天才は想定外の光景に狼狽えたけれど、そいつが狼狽えたところでなんの意味もなかった。親友は泣きながら走り去り、女の子はその場で泣き崩れた。自称天才は、泣き崩れた女の子を、恋人である女の子をどうにか介抱して家まで送った。「こんなはずじゃなかったのに」と思いながら、ね」
アルスの目に涙が浮かぶが、その涙を拭いながらアルスは続けた。
「その後、そいつはどうにか女の子と親友を慰めようとしたよ。3人で何度も遊びに出かけた。でも、どんなところに行ってもふたりの顔に笑顔が浮かぶことはなかった。あんなにも仲が良かった3人の絆を自分が台無しにしたということを、ようやくそいつは理解したんだ。……あまりにも遅すぎる理解をね」
「……それでどうなったんですか?」
「……自暴自棄になったんだよ。悪い連中とつるむようになったが、それでも行き着くところまでにはならなかった。次第と親友とは疎遠となり、女の子とも付き合いながらも、関係は冷めていた。「どうしてこうなったんだ」と何度も何度も考えていた。そんな矢先だった。そいつに転機が訪れたんだ」
「転機?」
「……親友と女の子がそいつのいないときに、遊びに出かけているのを見かけたのさ。ちょうどふたりでクレープを食べていたのを見かけたんだ」
「それって」
「いや、寝取られとかじゃないよ? あとで聞いた話だとたまたま出かけ先であって、久しぶりに出かけようと話になって、一緒に遊んでいたらしい」
アルスは笑っているが、物はいいようだったが、実際にはどうなのかはわからないため、タマモはあえてそれ以上の言及は避けて、アルスの話に耳を傾けていく。
「その様子をそいつは遠目で見かけて思ったんだよ。「あぁ、そうだったんだ」って」
「そうだったって、なにがですか?」
「そいつが、女の子を、雫が好きだった理由だよ。そいつは雫の笑顔が好きだった。雫の明るい笑顔が大好きだった。でも、雫と付き合ってからは、その笑顔は見られなくなった。少なくとも、そいつの前では。だけど、親友と、剛と遊んでいるとき、雫は笑っていたんだ。そいつが好きだった、あの明るい笑顔を浮かべてくれていた」
「……」
「だから気付いたのさ。「あぁ、俺が好きだった雫の笑顔は、剛じゃないと浮かべられないんだ。いや、俺が好きだったのは剛の隣で笑顔を浮かべている雫だったんだ」ってね」
アルスは穏やかに笑った。あまりにも切なすぎる想い。悲しすぎる自覚だった。
「そこから先は、早かったよ。そいつは雫と別れることにしたんだ。それもただ別れるんじゃない。剛に奪われる形で別れる決心をしたのさ」
「どうして、そんな」
「……許せなかったからさ。そいつは、俺は俺を許せなかった。大切な親友と最愛の人を同時に傷付けた俺自身が許せなかった。だから、仲良く遊ぶふたりの元に向かって、剛と殴り合ったんだ」
「え?」
あまりにも急展開過ぎる話に、あ然となるタマモ。当のアルスは「そうなるよねぇ」と苦笑いしつつも真剣な様子で語り続けていく。
「昔から剛とは殴り合いの喧嘩をしていた。それまでは俺の全勝で、剛をよく泣かせていた。だけど、そのときは思いっきり負けた。初めて殴り合いの喧嘩で剛に負けたのさ」
「手を抜かれたんですか?」
「最初はね。でも、途中からは本気で殴り合っていた。剛にね、「そんなことをして笑えるわけがないだろう、バカじゃないの!?」って痛いところを突かれちゃってね。つい本気で殴りかかったんだけど、剛はそれで一度は倒れたけれど、すぐに起き上がって殴りかかってきた。あれはすごく痛かったなぁ」
頬を擦りながらアルスは苦笑いを浮かべる。でも、その顔にはもう苦々しさは残っていなかった。とても晴れやかな顔をしていた。
「最終的にはお互いの襟を掴みながらの殴り合いに発展してね。雫なんて泣きながら「もうやめて」って叫んでいたよ。周りにいる大人たちも止めに入ろうとするけれど、俺たちがあまりにも殺気立っていたから、止めに止められなかったみたいでね。お互いにボロボロになりながら殴り合って、最後はお互いに力を振り絞って頭突きをして、そこで俺が力尽きた。剛は俺が倒れてからやっぱり倒れたよ」
「……青春映画みたいですね」
アルスの話は、それこそ青春映画のようである。昭和や平成の初期によくあったような青春映画をなぞったような、それこそ「ありきたり」と言われかねない内容だったが、当の本人たちにとってはそうではない。
そう、当人たちにとっては「ありきたり」ではないはずなのだが、そうの当人であるアルスはタマモの言葉におかしそうに笑ったのだ。
「ははは、たしかにね。いま言われてみるとそうだったかもしれない。その後も青春映画みたいだったよ」
「と言うと?」
「……これを言うのは少し気恥ずかしいんだけど、まぁ、いいか。剛に言ったんだ。「おまえの方が強いから、おまえが雫を守って幸せにしろよ」ってね。「……俺じゃ雫を泣かせるだけだから」とも言ったね。剛は「当たり前だ。僕はおまえみたいに雫ちゃんを泣かせもしないし、傷つかせないぞ」ってそう言ってくれたんだ」
在りし日のことを思い出し、アルスは嬉しそうに笑っていた。……ほんのわずかな切なさを宿しながら。
「その後は、まぁ、順当通りに剛と雫は付き合い、無事に去年ゴールインしたんだ。しかもふたりとも俺と友人という形で付き合いながらね。……俺としては蛇蝎のように嫌われてもよかったんだけど、あいつらと来たら、俺がバカをやらかす前までみたいに、子供の頃と同じように親友として接してくれている。……タマモ殿も知っている通りにでありますよ」
アルスは視線をタマモに向けながら、いつものアルスの口調に戻って笑った。
「アルスさんは、それでよかったんですか?」
「ふむ。さきほども申しましたが、我が輩が好きだった雫、ティアナ殿の笑顔はゴードン、剛の隣で浮かべるものだったであります。その笑顔を我が輩はゴードンの次に近くで見られているのでありますよ。我が輩の最愛の女性の、大好きな笑顔を思う存分に。……これ以上我が輩が望むことなどなにもないのであります」
そう言ってアルスは手元の湯飲みを呷るが、その顔は少し顰めたものになった。
「う~む。さすがの美味しいお茶も冷めてしまっては、美味しさも半減でありますな。店員殿、お茶のおかわりをお願いするでありますよ~。あと団子のおかわりもお願いするであります」
いつもの調子に戻ってアルスが店員のNPCに声を掛ける。店員が「ただいま参ります」と返事をするのを聞きながら、アルスは冷めたお茶を一気に呷った。
アルスがお茶を飲み終えると同時に、店員が急須を手に訪れ、アルスの湯飲みにお茶を注いでいく。
「お客様はいかがなさいますか?」
アルスの湯飲みにお茶を注いだNPCがタマモにおかわりの有無を尋ねた。タマモは「お願いします」と伝えてすぐにお茶を呷る。
アルスの言うとおり、お茶はすっかりと冷めてしまい、一口目のようなまろやかさは薄れ、渋みが若干強くなってしまっていた。
そうして空にした湯飲みお茶を注ぐと、店員は「お団子は少々お待ちください」と言い、去って行く。
「ふむ。やはりお茶は熱いものに限りますな」
店員が去ってすぐにアルスは湯飲みに口を付けて、満足げな表情を浮かべている。少し前まであった深い後悔の色はもう見えない。
「……そうですね。お茶は熱いうちが美味しいです」
「ははは、その通りでありますな。お茶に限らず、何事も速さは尊ぶものでありますが、時には一度立ち止まることも必要でありますな。……立ち止まり、冷静になってみれば、驚くくらいに簡単に答えは出るものであります」
アルスはわずかに目を細めるも、すぐに笑った目を細めていたのはほんの一瞬で、まるで幻のようだったが、たしかにタマモはその瞬間を捉えていた。
捉えながらも、そのことを口にすることなく、タマモはおかわりのお茶を口にする。
渋みはなく、まろやかな味が口の中に広がっていく。その一方で不思議と胸に残るなにかを感じた。お茶のものなのか、それともアルスの話を聞いたからなのかはわからなかった。
わからないまま、タマモはアルスと隣り合って、満開の桜を見上げながら、胸の内に残るなにかと向かい合う。その様子をアルスが穏やかに見詰めていることに気付かないまま。




