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14話 応援と忠告

「──そんなん知らんわ」


 エリセ様が仰ったのは、短い言葉だった。


 拒絶としか思えない一言。……エリセ様を怒らせてしまったのだろうと思った。


 考えてみれば、私の吐露したものは、エリセ様にしてみれば、愉快なものじゃない。エリセ様の想い人であるあの人を否定するようなもの。


 そんな言葉を延々と聞かされ続ければ、いくらエリセ様といえど、不愉快になられるのは当然のこと。


 そんなことさえ私はわかっていなかった。


 いや、わかっていたとしても、自分の気持ちを、隠し続けてきた想いを吐露したせいで、言葉が止まらなかった。


 あぁ、そうだ。


 すべては私が至らないために起きたことだ。すべて私が悪い。私がいつまでもあの人のそばに居続けたがゆえの弊害だ。


 想っていないのであれば、さっさといなくなればよかった。


 世話役の任を解いて欲しいと頼み込めばよかったんだ。


 あの人だって、世話役が何人もいたら面倒だろうし、ご自身へと気持ちを向けていない女なんてそばにいても仕方がないだろうし。


 そう、考えれば考えるほど、自身の至らなさに呆れてしまいそうになる。


 いまの私はかつての私じゃない。そんなことは私自身が一番よくわかっている。


 だからこそ、離れるべきだった。


 そばにいるべきじゃない。


 わかっていたことだ。


 いずれはこうなってしまうことはわかりきっていたはずだった。


 そのわかりきっていたはずのことを、私はいまのいままで選択することができなかった。


 どうしてなのか。


 それも簡単なこと。私は、ただ自分が傷つくのが嫌だったんだ。


 あの人に面と向かって「あなたを愛していない」というのが怖かった。


 そんなことを言えば、あの人がどんな顔をするのかなんて考えるまでもない。


 私を蘇らせるために、どれほどの努力を積み重ねたのかは、エリセ様や氷結王様方が教えてくださった。


 そうして積み上げてきた、あの人の努力がなんの意味もなかったと突き付けるようなことなど言えるわけがなかった。


 仮に言ったところで、私に待っているのは罵倒や罵声の嵐だろう。


「あんなに頑張ってきたのに」


「どれだけ努力してきたのか、わからないの?」


「あなたは何気なく言ったつもりなのだろうけれど、その言葉はあの人を傷付けるんだよ?」


 別離を考えるたびに、いつも罵声が私の頭の中に響いた。


 その声は誰かのものじゃなかったけれど、いつも同じ声が私の中で私を罵倒していた。


 罵倒する声に対して、私はいつもなにも言い返せなかった。


 わかっているなんて、口が裂けても言えない。


 少し前まで私は眠り続けていた。醒めることのない眠りの中に私はいた。


 当然意識などあるわけがない。意識がないのだから、あの人の努力がどれほどのものだったのかなんてわかるわけがない。


 たとえどれほどのものであったのかを教えてもらったとしても、実感を抱くことなどできるわけがない。


 どれほどに傷付けるのかなんてことも、やっぱりわかるわけがない。


 だって、私にとってのあの人は、一か月前に出会ったばかりの人。


 あの人にとっての「私」がどれほどの比重を占める存在なのかはなんとなくわかるけれど、あの人が「私」に向ける想いと同じ想いをあの人に抱くことはできない。


 誰かを想った分だけ、同じ想いを向けなきゃいけないなんてことはない。


 あの人がどれほどに「私」を愛していたとしても、私が同じくらいにあの人を愛さなきゃいけないわけじゃないんだ。


 一月前に出会ったばかりの人を、どうしてそこまで愛せるというのか。


 愛情を抱くことに時間は関係ないと言うけれど、少なくともいまの私にはあの人を愛する気はない。いや、どう愛すればいいのかがわからなかった。


 お父様とお母様を喪ってから、お兄様と一緒に生活をしてきた。


 その日々の中で特定の相手を作ることはなかった。そもそもそんな余裕さえもなかった。


 ただありふれた日々を過ごすことで精一杯だった。


 だから、同じ年頃の子たちのように、恋だの愛だのに浮かれることはできなかったし、理解もできなかった。


 そんな私がどうしてあの人を愛せるというのか。

 あぁ、そうだ。


 私は誰も愛することなどできない。


 人を愛することなど私には理解もできないこと。


 そんな私があの人を「旦那様」と呼び慕うなどと、おかしすぎて嗤ってしまいそうだ。


 エリセ様が辛辣なお言葉を口にされたのだって、私の内面を理解されたから。


 あの人を拒絶し、そのときの顔を見るのが怖いから。


 どんな罵声や罵倒を浴びせられるのかがわからなかった。


 なら、私が我慢すればいい。


 我慢して表面上は受け入れたような振りをすれば──。


「ふざけたことを抜かすのんは、そろそろやめてくれへん?」


 ──パァンという乾いた音がした。


 頬がじんじんと痛む。目の前には右手を振り抜いた態勢で、目を大きく開いたエリセ様が、ひどく怖い顔をして私を睨み付けるエリセ様がおられた。


「エリセ、様」


「ねぇ、ふざけてるやんな? なに、我慢したええて? なに、それ? 喧嘩売ってるん?」


「……アンリの内面を読まれたの、ですか?」


 エリセ様のお言葉と目が開かれていることで、エリセ様が私の内面を読まれたということは明らかだった。


 エリセ様が「心眼」持ちであることはわかっているし、いまさら心を読まれたとしても問題はないのに、私が口にしたのは当たり前な確認だった。


「そうやけど、それがなんか?」


「なにか、って。不躾に人の心を読まれるのは、どうかと──っ!」


 エリセ様はあまりにもあっさりと私の心を読んだことを認められた。そのことに対して私は批難しようとしていた。


 どちらがより批難されるべきなのかなんて、明らかであるはずなのに、私はまるで私自身が被害者であるような口振りをしようとしていた。


 反吐が出そうになった。あまりにも自分勝手なことを思う自分自身に反吐が出そうになったとき、襟を強く掴まれてしまった。


 フブキちゃんの「奥様!」という慌てた声が聞こえるけれど、そのときにはエリセ様の顔はすぐそばにあり、そのお顔はいままで以上に怖いものだった。


「……ほんまに腹立つわぁ。こないにも腹立ったことは初めてやわぁ」


 淡々とエリセ様は告げられた。淡々としながらも、その目はどこまでも鋭くて、すごく怖かった。


「我慢ってなに? 嫌々で受け入れるってこと? あの人の気持ちなんていらへんってこと?」


「それは」


「ふざけなや、小娘」


 エリセ様の手に力が込められた。襟が絞まり、呼吸がしづらくなるけれど、エリセ様の怒りは収まっていないようで、襟を絞める力はどんどんと強くなっていく。


 フブキちゃんの「奥様」という叫び声が聞こえるけれど、エリセ様は止まる気はないみたいだった。


「ほんまに気分悪いなぁ。こないにも気分悪なったのは久しぶりや」


「……アンリの態度が、ですか?」


「そやで。あんたの態度がほんまに腹立つわぁ。なんでかわかる?」


「……煮えきらない態度だから、ですよね」


「ちゃうで。そんなんと違う」


「違う、のですか?」


 エリセ様が激高されているのは、私自身の態度が煮え切らないから。想ってもいないくせに、あの人のそばにいようとする姿勢が気に入らないのだろうと。


 でも、その言葉をエリセ様は否定された。否定し、エリセ様は続けられた。


「うちが腹立つのんはね。あんたがあんたの想いを否定することやわぁ」


「……アンリが?」


「うちはな、あの人を愛してる。心の底から愛してる。そやけど、その想いもあんたには敵わへん思うてんねん」


「……え?」


「いまのあんたちゃうくて、以前のあんただけどなぁ」


 そう言って、エリセ様は襟から手を離された。


「……うちはね、あんたを尊敬してんねん。うちのように特別な力はないどころか、誰よりも弱いのに、誰よりも強い心を持ったあんたを尊敬しとった」


「……強い心」


「あんたはなにがあっても俯かへんかった。なにがあっても、前を見据えとった。その姿勢がなによりも美しゅうて、強う思えた。……うちは力があっても、あんたのように俯かへんなんてできひん。俯かんとて、ひたむきに前を見据えられるあんたをすごい思うとった」


 エリセ様の独白。吐露されるエリセ様が私へと向けてくれた想いが告げられていく。その言葉を私は黙って聞き続けた。


「そないなあんたが、いまのあんたを否定することは、うちには我慢できひん。あんたがあんたを否定するちゅうことは、あんたを尊敬するうちはもちろん、いまのあんたを愛されようとしている旦那様を否定することやさかい」


「……旦那、様が?」


「……お互いに気付いてへんやら、どれだけなんよ」


 あの人がいまの私を愛そうとしている。その言葉に驚いていると、エリセ様はほとほと呆れたようなお顔でなにやら呟かれた。


 でも、その言葉はちゃんと聞こえなかった。なにを言ったのかを聞こうとするよりも速く、エリセ様は告げられた。


「そもそもね、いまさらなんやわぁ。ほんまにあの人を愛してへん思てるやったら、早々に立ち去るやろうに。それどころか、あの人を傷付けるやら考えへんどっしゃろ?」


「それ、は」


「あの人を傷付けるやら考える時点で、なんも想うてへんなんてありえへんどっしゃろ? まだそれがあんたの中で形になってへんだけで、気持ちは向いているってことやろう?」


「そう、なんですかね?」


「そうなんとちゃう? 知らんけど」


「知らないって」


 いままで散々諭すようなことを言われたというのに、最終的には知らないなんて、いきなり放り出されたような気分だった。


 でも、エリセ様は「当たり前やろう?」と呆れられた。呆れながら、私の頬を、叩かれた私のホを撫でられた。


 いまだに頬は痛む。エリセ様もわかっておられるだろうに、あえて私の頬を撫でられているようだった。


「うちが言うたのは、あくまでも第三者視点での話。ほんまのところはあんたが見つけるしかあらへん。そやさかい、さっきも言うたやろう? 「そんなん知らんわ」ってね」


 くすくすと笑いながら、エリセ様は私の頬を撫でられていく。痛みはある。あるけれど、その痛みが私の自覚を促していく。


 あぁ、きっとエリセ様がこうして頬を撫でられているのは、エリセ様なりの応援であり、忠告でもあるのかもしれない。


「さっきも言うたけど、「いまは待っとってあげる」わ。そやけど、いつまでもは待たへんで。ぼちぼち待っとってあげるほど、うちは優しないさかいな」


 この痛みを忘れるなと。忘れれば、それで終わりだとそう仰っておられるのだと思う。


 その終わりがどういう意味なのかは、考えるまでもない。


「……ありがとう、ございます」


「アンリちゃんがなにを言うてるかわからんわぁ。でも、あえて言うなら「気にせんといて」ってくらい?」


 くすくすと笑うエリセ様。その笑顔は妖しくあるけれど、それ以上に優しいと思えるものだった。


「口の中、切れた? 切れるほど、強うは叩いていないつもりなんやけど」


「……大丈夫です。頬が痛いくらいですから」


「そう。なら、ちょい冷やしたる。……旦那様に見つかったら、うちが怒られてまうさかいねぇ」


 エリセ様の掌が不意に冷たくなる。痛んでいた頬から熱が抜けていく。


「……ありがとうございます」


「気にせんといて。うちが怒られたないだけやさかい。そやさかい、このことはナイショ、な?」


 ちらりとエリセ様が私から視線を外し、周囲を見回された。


 そういえばと周囲を見渡すと、「旅人」さんたちが私たちを遠目から見詰めていたが、エリセ様の視線を浴びて、どなたも深々と頷いていた。


 ……若干怯えているように見えるのがなんとも言えないのだけど。


 そんな「旅人」さんたちの様子を見て、エリセ様は満足げに頷かれると、私の治療に専念されていく。


 エリセ様の掌は冷たいけれど、私を見詰める視線はとても温かった。


 温かなエリセ様と触れ合いながら、私は私の抱く想いを改めて向き合う。いまは実感なんてない。実感はなくても、向き合いたいと思った。


 その理由はまだ自分でもわからない。でも、わからないままで終わらせたくない。そんな想いに突き動かされながら、私は私の想いと向き合うことに決めた。

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