11話 空元気の中で
「──お嬢様、申し訳ありませんでした」
おやっさんが経営する「もつ煮込み屋」における騒動、おやっさんとにゃん公望の喧嘩は七海の一言で終わりを告げた。
だが、喧嘩自体は終わりを告げたものの、騒動はまだ終わっていなかった。
「あの、柚香さん。別に気にしていないんですが」
「そう申されますが、あれに巻きこまれてしまったことが問題なのです」
「とはいえ、もう終わっていますから」
「いいえ、終わっておりません。少なくとも私の中ではです」
騒動が終わらない理由。それは「さすらいの狩人」こと「タメトモ」改め「柚香」によるものだ。
というのも、にゃん公望とおやっさんの喧嘩が終わった後、タマモたちが「もつ煮込み屋」で料理の注文を行った後、騒動を知った柚香が飛んできたのだ。
まぁ、飛んできたというには、少々時間が経っていたのだが、柚香の表情を、タマモたちのところに来た、鬼気迫った表情を見れば、知ってすぐに急行してきたということはわかった。
急行してきたことはわかったものの、なぜそこまで鬼気迫る状況に陥っているのかまでは理解できなかったタマモ。そこに追い打ちを掛けるかのごとく、次の瞬間──。
「申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁぁぁ! 私がおりながら、止めることができず、お嬢様にご迷惑をおかけするなど、この柚香最大の失敗をやらかしてしまいましたぁぁぁぁぁっぁぁーっ!」
──柚香の渾身の土下座と咆哮が響き渡ったのだ。
なお、柚香の土下座はジャンピング土下座となり、「ゴスッ!」という盛大な音を立てて会場内に響いたが、その音以上の声量のおかげであまり目立つことはなかった。
が、ジャンピング土下座という奇行をやらかしたこと自体が大いに目立ち、視線があちらこちらから集中することになった。
いくら、タマモたちがいる第36サーバーがタマモたちの知人ないし友人たちの集まりになっているとはいえ、それでも柚香の奇行は悪目立ちするのには十分すぎるものだった。
当のタマモは「あ、あははは」と柚香の奇行を笑っていることしかできなかった。
笑いながら、柚香の奇行、いや、その前段階の鬼気迫る表情の理由をタマモははっきりと理解した。
というのも、その行動はある意味春の風物詩っであるからだ。
そう、タマモの生家である玉森家の春の風物詩、メイド隊の新人教育。すなわち玉森家当主一家への忠誠を誓う儀式であった。
なお、その儀式とやらは非公認である。あくまでも当主一家、少なくともタマモの父は認知さえしていない儀式。
タマモが知っているのは、母であるまりなから「メイド隊の子たちが、代々行うしきたりなのよねぇ。やってほしいとは言ったことないんだけど」と若干困り顔で教えられたからである。
その言葉の通り、メイド隊の新人たちは春になると、玉森家当主一家に対して、妙なことをし始めるのだ。
たとえば、いまの柚香のように、別に柚香のせいではないことに対しても全力の謝罪を行ったり、もしくは、通路ですれ違う際、なぜか立て膝をして当主一家が通り過ぎるのを待ったりなど。
玉森家メイド隊の新人が毎年行う奇行は、枚挙に暇がないほどだ。
その中で最も多いのが、柚香が行った全力土下座であった。
その様子を見て、タマモは「あぁ、いつものアレか」と納得するも、他の面々は動揺していた。
そんな中で柚香は土下座を敢行し、後にやり取りしたのが冒頭の会話であった。
「まぁまぁ、そんなカリカリすんな、狩人」
「そうにゃよ、短気は損気にゃー。人生はハッピーに。それが人生を楽しむ秘訣なのにゃ~」
生真面目な返答をする柚香に対して、まるで蚊帳の外のように呑気なことを言うおやっさんとにゃん公望。
「おまえらが言うことじゃねえよ」と誰もが思ったことであろう。実際、七海がその場にいた全員の気持ちを代弁するように「おふたりが言うことじゃないっすよ?」と言った。
その言葉に「え?」とにゃん公望たちが首を傾げる。「無自覚怖えっすね」と七海は呆れ、その言葉に柚香を含めた全員が納得するも、当のふたりは「えぇ~?」と理解できない顔をしていた。
「……まぁ、とにかく。ボクは気にしていないので、柚香さんも気にしないでくださいね?」
「あぁ、お嬢様のお優しさに、この凡愚は打ちひしがれてしまいます」
「いや、凡愚って」
「お嬢様に、いえ、比較すること自体がおこがましいことですが、お嬢様と比較させていただくと、私など凡愚も凡愚。もはや塵に等しい存在です!」
柚香はそう言って熱弁を振るう。柚香のあまりの熱にタマモは開いた口が塞がらなくなってしまった。
ふたりの様子を見て、レンとヒナギクは「タマちゃんの家ってどうなってんの?」と疑問を呈することになった。
もっとも疑問を抱いたのは、レンたちだけではなく、その場にいたほぼ全員の共通した認識であったのも言うまでもないことだろう。
「……あー、まぁ、その、さっきも言いましたが、ボクは気にしていませんから、柚香さんも気にしないでくださいね?」
「はい、この柚香、お嬢様のご意志を尊重することをこの場に誓います!」
土下座から一転、柚香はその場で立て膝をした。その様子を見て、ふたりが主従関係にあることを誰もが理解したことであろう。
……当のタマモにとっては、周知の事実ならぬ羞恥の事実となっているのが、なんとも皮肉めいたことではあるのだが。
「もつ焼きセット6人前上がったよ」
「こっちもブロッサムサーモンのカルパッチョ6人前できたにゃよ~」
タマモがなんとも言えない状況に陥る中、おやっさんとにゃん公望が専用の容器に入れたテイクアウトメニューを袋に入れて差し出してくれた。
なお、本来の「もつ煮込み屋」において、「ブロッサムサーモンのカルパッチョ」というメニューはない。
このメニューはにゃん公望が手伝いに来たとき限定、それもブロッサムサーモンを差し入れしたときだけの幻の限定メニューだ。
ちなみにブロッサムサーモンとは、にゃん公望が年明けに釣り上げた魚であり、その体は淡い桜色という非常に鮮やかな魚種である。
レア度は現在魚の中で最高の25であり、その味わいもまた最高級のものだ。
名前の由来は実在するサクラマスから取られていることは明らかだが、現実のサクラマスは、一説では桜の季節に水揚げされるためにサクラマスと名付けられているということで、桜色の魚体をしているというわけではない。
そんなブロッサムサーモンをふんだんに使ったカルパッチョ。味わいもさることながら、お値段もなかなかに張り、一人前で1500シルである。
そこに1本150シルのもつ焼きを3種お任せのもつ焼きセットが400シル。カルパッチョともつ焼きセットを6人前でタマモたちの会計は11400シルであった。
「じゃあ、これで」
「ちょうどだな。毎度あり」
「またのご利用をお待ちするにゃ~」
「ありがとうございました、タマモさん」
会計を済ませたタマモたちを、おやっさん、にゃん公望、七海はお見送りをしてくれた。
なお、今回のイベントでは、「もつ煮込み屋」はテイクアウト専用の屋台ということになっているため、カウンターや座席での飲み食いはできない。
が、その分回転が速くなるため、それなりの列が生じていた。
「次はもうちょっと話をしようぜ、狐ちゃん」
「今日はこの調子だから、ごめんにゃよ~」
「またの機会にお願いします、タマモさん」
列を捌くことに手一杯なはずなのに、3人はタマモたちに手を振りながら見送ってくれた。
「あとで手伝いに行きますね」
「おう、そうして貰えると助かるぜ!」
おやっさんの豪快な笑い声を聞きながら、タマモたちはその場を後にした。なお、柚香は柚香でおやっさんたちの手伝いのために「もつ煮込み屋」に来ていたため、その場で別れることになっった。
「さて、他にいろいろと買いましょうか」
「そうだねぇ」
「なにがいいかな?」
タマモたちはテイクアウトの袋を片手に、周囲にある屋台を眺めながら、なにを買うべきかを考えていた。
「まぁ、適当に6人分ずつ買いましょう、場所取りをお任せしている以上、いろいろと楽しんでもらいたいですし」
のんびりとタマモたちが買い物をしているのも、エリセたちに先に場所取りをお願いしてあるためである。
今回の「お花見祭り」は、NPCも参加可能のお祭であり、軒を連なる屋台の中にはNPCの屋台も含まれている。
おかげでエリセたちと一緒にお花見ができるのだが、6人全員で行動するよりかは、場所取り班と買い出し班で別れた方が効率的であるため、タマモたちプレイヤー組が買い出しに回り、エリセたちNPC組が場所取りに回っているのだ。
なお、NPC組の内訳はエリセとアンリ、それにフブキの3名である。
3名ともきれいどころであるため、別行動をするのは正直気が引けるし、きれいにプレイヤーとNPCで分けるのはどうかともタマモは思うが、いまはまだ気持ちの整理が付けられていない。
なので、いまはこうしてきっちりと分かれるしかなかったのだ。
「さぁて、次はどこにしましょうか」
タマモはあからさまな空元気に振る舞いながら、屋台街を散策する。その後をヒナギクとレンはなんとも言えない顔で追っていく。
「いろんな人の話を聞きなさい」という九尾からのアドバイスをいつ実践するかとぼんやりと考えつつ、タマモは屋台を覗いていくのだった。




