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2話 あれから

 あの日、武闘大会を終えてすぐに、氷結王の御山へと移動した日から数えて、一か月が経っていた。


 もともと、武闘大会自体が現実世界で一か月近く行われていたため、すでに現実世界でも年度末も、三月も終わろうとしている。


 表面上ゲーム内世界とされている「ヴェルド」でも変わらず、各地域の木々の枝先に開く花も一月前とは移り変わっている。


 紅白の花を咲かせた梅らしき花から、薄いピンク色の桜のような花がいまは隆盛を誇っている。


 もっとも隆盛を誇ると言っても、だいたいはまだ五分咲きというところ。満開に至っているものどころか、八分咲きさえも多くはない。


 それでも気の早い者は「花見」と称して、各々で用意した食事と酒を手にして絶好のポイントで思い思いに騒いでいる。


 運営から「プチイベントでお花見を開催します」という知らせも届いているし、その詳細も記されていた。


 これと言ったバトル要素も収集要素もなく、専用の「お花見」フィールドで各々が好き勝手に花見を堪能してもよいというもの。


 そのうえ、食糧や酒類はすべて運営からの持ち出しという大盤振る舞いである。


 が、なにもかもが無料というわけではなく、参加料としてひとり500シルが必要となる。


 500シルはゲームスタート時の手持ちの半分ではあるが、どんな初心者でも「南の平原」で「角ウサギ」を相手に数回戦っていれば、貯められる程度のものだ。


 そんな端金で大盤振る舞いの宴会に参加できるのだ。


 ほとんどのプレイヤーは参加する気満々だった。そんなお楽しみイベントがあるとわかっていても、一部のプレイヤーはせっかくの桜を前にして、我慢できず、自分たちで花見を満喫している。


 無論、運営主催の花見にも参加するが、花見の前に身内だけの無礼講としゃれ込むものもそれなりにいた。


 その余波を受けてか、アルトの時計前広場にある料理店はいまやちょっとした繁忙期になっていた。


 それは「タマモのごはんやさん」も変わらず、イートインはもちろんだが、テイクアウト待ちの列ができるほどである。


 テイクアウトのメニューは、普段のキャベベ炒めとフライドポテテなどの定番の他、テイクアウト専用メニューとして新しく導入したモツ煮込みがあった。


 特にフライドポテテとモツ煮込みは人気で、次から次へと注文が飛ぶように入るのだ。


 フライドポテテはともかく、モツ煮込みは使い捨てタイプのプラスティック容器での提供をしているのだが、連日新しく容器を用意するほどに大人気となっている。


 というのも、そのモツ煮込みは、「モツ煮込みや」のおやっさん直伝であった。


 掲示板で「通りすがりの流れ板」を称するおやっさんは、その名の通り屋台での営業を基本としているため、決まった場所での営業は行っていない。


 つまり、おやっさんのモツ煮込みを食べたくなったとしても、いつも違う場所で営業しているため、必ず食べられるとは限らない。


 ゆえに一部の成人プレイヤーにとっては、「モツ煮込みや」のモツ煮込みは幻の逸品という扱いになっている。


 そのおやっさん直伝のモツ煮込みが、テイクアウト限定とはいえ、常に食べられるのだ。大人気になるのも当然である。


 もっとも、おやっさん直伝とはいえ、「タマモのごはんやさん」のモツ煮込みはまだ「モツ煮込みや」のそれには遠くおよばない。


 それでも同じ味を味わえると「モツ煮込みや」フリークのプレイヤーはこぞって求めている。その中にはガルドたちさえもいるほどだ。


 なお、「タマモのごはんやさん」のモツ煮込みを時折おやっさんが偵察と称して、テイクアウトに訪れ、アドバイスをしてくれる。


 まるで独り立ちした弟子を見守る師匠のようにだ。


 そのアドバイスのおかげで、日に日に「タマモのごはんやさん」のモツ煮込みは美味しくなっている。

 

 その反面、タマモからは笑顔が消えていた。


 おやっさんが足繁く「タマモのごはんやさん」に訪れるのも、いまのタマモを気遣ってこそ。それは今回釣りに誘ってくれたにゃん公望と七海も同じである。


 いや、ふたりだけではなく、タマモを知るほとんどの者が、タマモを気遣っていた。


 その理由が蘇ったアンリである。


 アンリはアオイの凶刃によって斃れたが、武闘大会の優勝目録である「回生の青果」によって息を吹き返したのだ。


 そこまでであれば、タマモたちのいままでの奮闘が報われたと言えた。


 しかし、現実はタマモには厳しかった。


 蘇ったアンリは、タマモのことだけを忘れていたのだ。


 タマモ以外の全員のことを憶えているし、その関わりも憶えているというのに、タマモのことだけはすべて忘れてしまっていた。


 どうしてタマモのことだけを忘れてしまったのか。


 その理由を氷結王と聖風王は語った。曰く、「回生の青果」の副作用ということだった。


「「回生の青果」はたしかに死者を蘇らせる力がある。だが、完全な蘇生を行える「回生の果実」とは違い、熟していない果実であるゆえか、副作用があるのだ」


「その副作用は、概ね3つ。生きた屍として蘇生すること、自我を完全になくし、赤子同然となること、そして記憶を部分的になくして蘇生することの3つじゃ。そちらの女子の場合は、3つ目の副作用が出てしまったようじゃな」 


「とはいえ、中には副作用がなく、「果実」と同様の完全な蘇生を果たすこともある。あるが、その可能性は非常に低い。100人に行ってひとりが完全蘇生できればましというところか」


「その副作用を治療する方法はない。たとえ熟した「果実」を用いたところで、死者ではないからその効果は発揮されることはない。そして「回生の果実」ないし「青果」を用いた者を再び蘇らせることはできない。……ゆえに、婿殿、惨いようだが、その娘がそなたのことを思い出すことはありえぬ」


 氷結王と聖風王の言葉を受けて、タマモがその場で崩れ落ちたのは言うまでもない。


 言葉をなくしてタマモは涙を流すも、その涙を見てアンリは困惑するだけ。困惑しながら、エリセからタマモのことを伝えられていた。


 それでも、アンリは以前のアンリとは違っていた。


 タマモの世話役であることを知り、タマモを「旦那様」と呼んでくれるが、そこに以前までの想いはない。


 あるのは眷属としてのタマモへの敬意だけ。愛情は欠片さえも感じられなかった。


 だが、それでも、アンリはアンリだった。


 ふとしたときに見せる仕草、少しドジなところ、料理の味付けや趣味嗜好、そして明るい笑顔も。すべてがタマモの知るアンリだった。


 なのに、アンリの中にタマモはいない。


 タマモの中にはエリセとともにアンリがいるのに、アンリの中にはタマモがいないのだ。


 たったそれだけの違い。


 その「それだけ」が途方もない差であるように、タマモには感じられていた。


 アンリはアンリであるはずなのに、いまのアンリを受け入れることがタマモはできなかった。


 無論、アンリがタマモを想っていないからという理由ではない。


 そもそも、いまのタマモは自己評価が高くない。

 こんな自分を好いてくれる方が異常だと思っている。


 ゆえに、かつてのアンリがタマモに愛想を尽かしたとしても、それで邪険にするつもりはなかった。


 言うなれば、来るべきとが来てしまったというところだとタマモは思っていた。


 だが、どれほど思い込もうとしても、かつてのアンリの姿が、アンリとの思い出が鮮やかに蘇ってしまうのだ。


 いまのアンリを見ていると、その思い出が色褪せてしまうように感じられて、どうしてもいまのアンリを受け入れることができなくなってしまっていた。


 あんなにも切望していたのに。その望みが叶ったというのに。胸が痛かった。


 アンリを視界に捉えるだけで、タマモの胸は張り裂けそうになる。


 そのうえ、タマモの態度が態度だからなのか、アンリの対応は若干塩対応なのだ。


 傍から見れば夫婦喧嘩をしているように見えるだろうが、実際のところは想いは通じ合っていない。一方的にタマモが想いを募らせるだけで、アンリからはタマモへと向く想いはなにもない。


 それがよりタマモを絶望へと落としてしまう。その結果、タマモの顔から笑顔は消えたのだ。


 笑顔を浮かべても、その笑みはまるで能面のような、作り物のような笑顔だった。


 タマモの友人や知人たちは、そんなタマモをどうにか励まそうとするも、以前のような笑顔をタマモが浮かべることはなかった。


 タマモとしては申し訳ないと思う反面、放っておいて欲しいとも思うようになっていた。


 それがどんなに失礼なことなのかもわかっている。わかっているが、それでもその心に宿る絶望を理解できるわけがないとも思ってしまっていた。


 気付けば、あれから一か月が経っていた。


 依然としてタマモに笑顔はなく、アンリとの関係も冷め切った同然のまま。


 その反動だろうか、タマモは深夜にログインすると、エリセを度々求めるようになった。


 たとえエリセが眠っていようと関係なく、タマモはエリセを求めた。泣きじゃくりながら、エリセを求めた。


 当のエリセは慈しむように、タマモをぎゅっと抱きしめながらタマモに求めれるままに、その身を預ける。


 それは健全とは言えないやりとりだが、それでも、いまのタマモはそうする以外に、絶望とともに沸き起こる哀しみを発散する方法を知らなかった。


 今回のにゃん公望と釣りをするのも、エリセを求める以外での発散の方法を模索するためだ。


(……少しでも気晴らしになれば)


 タマモは湖面に浮かぶ浮きをぼんやりと眺めながら、これが少しでも気晴らしになればいい。そう願いながら、タマモはにゃん公望の言う「自然との対話」である釣りに没頭する。


 その様子を見て、にゃん公望と七海が気遣うような視線を投げ掛けていることに気づけないまま、タマモは湖面で揺れ動く浮きを見て、「ボクみたいだ」と小さく呟くのだった。

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