127話 花と空 その5
黒い刃が舞う。
その刃を繰るのは、褐色の長身の女性。女性の右手の肘から先を覆う手甲の先から、黒い刃は姿を見せている。
女性が刃を振るうと、その刀身からは黒々とした煙が溢れ出てくる。あからさまと言っていいほどに、その煙は毒々しい。
その煙めがけて、おたまとフライパンが煌いた。おたまとフライパンはその軌道のままで十字に煙を切り裂き、その先にいる女性へと牙を剥く。
調理器具で、剣を持つ相手に戦いを挑むなど、どう考えても自殺行為。
だが、その自殺行為をおたまとフライパンの持ち主の少女は躊躇いなく行っていた。
ほどなくして、少女が振り抜いたおたまとフライパンが女性に迫る。
女性は舌打ちとともに右腕を前に出す形で、腕を交差させた。
そこにおたまとフライパンが振り下ろされる。
おおよそ、調理器具と武器がぶつかり合ったとは思えない、とても硬質的な音が鳴り響く。
交錯する剣と調理器具。普通に考えれば、調理器具であるおたまとフライパンが弾かれて終わりになるはずだろうに、剣と調理器具は拮抗した。
いや、拮抗というには、いささか女性の交錯した両腕が女性に近付いており、拮抗というよりかは、わずかに押し込まれているという方が正しいか。
どう考えてもありえない光景だ。ありえない光景だが、当の本人たちはそのありえないものを受け入れている。……もっとも女性にしてみれば、「本当にでたらめね」と苦々しい表情を浮かべならがらではあるのだが。
とはいえ、女性もただ現状を甘んじて受け入れているわけではない。防御に回ったものの、いつまでも防御に徹するわけではない。
女性はわずかに見えた隙を、少女の右の脇にわずかに生じた隙を逃さなかった。
女性は自身の長い脚を動かし、左脚を下げると、そのまま軸にして右脚での回し蹴りを放ったのだ。
わずかに見えていた少女の右脇へと放たれる回し蹴り。両手の調理器具で攻撃した少女には、女性の蹴りを防ぐことは本来ならできなかった。
だが、女性の蹴りは少女の背中から突如現れた金色の美しい尻尾によって防がれてしまう。
それどころか、少女の尻尾は自身の自律行動をしているかのように、女性の脚に巻き付くと、女性を引っ張り、いや、引きずり込んでいく。
その後、どうなるのかは尻尾次第ではあったが、どう考えても持ち上げられて地面に叩きつけられるか、散々に振り回されて投げ飛ばされるかのどちらかだろう。
だが、そんなのはごめんだと言わんばかりに、女性は少女の尻尾に向かって、自身の黒い刃を振り抜いた。
すると、尻尾は刃に触れる寸前で女性の脚から離れた。
だが、そのときには女性はすでに空中にいた。
どうやら空中から地面にと叩きつけようという魂胆だったようだ。
女性の顔に冷たい汗が伝っていく。だが、迫っていた未来は回避できたと女性が思った、そのとき。
「隙だらけだけど?」
少女がおたまを自身の背中で隠すようにして構えていた。それはまるで小さな円を描くような動きであった。
その態勢から少女は凄まじい勢いでおたまによる上段突きを放つ。
空中にいる女性ではどうあっても避けられない一撃。
誰の目にも少女の突きが決まったという風に映った。
「あら? 誰が隙だらけですって?」
しかし、女性は慌てることなく微笑みを浮かべる。
自身に迫る上段突きを、女性はあろうことか、空中でくるりと横方向に回転することで、少女の上段突きを薄皮一枚の被害で避けきったのだ。
「今度は、そっちが隙だらけよ」
隙を突いたはずだったのに、まさかの回避に少女が唖然としていると、女性は再び空中でくるりと縦方向に回転し、その勢いを乗せた踵落としを少女に向けて放った。
すでに少女と女性の距離は、女性が空中に放り投げられたときよりも、はるかに縮まっていた。それこそ女性が腕を伸ばせば、少女の頬に届くほどの距離だ。
ゆえに、その一撃は届く。届くはずだった。
だが、その寸前で再び女性と少女の間に、少女の尻尾が阻んだ。
「っ、またその尻尾か」
自身の脚に触れるふさふさの金色の尻尾を見て、女性は忌々しそうに顔を歪める。
「ええ、この尻尾ですよ」
対照的に少女は笑っている。笑っているが、その目はひどく悲しげであった。まるで、こんなことをしたくないと言っているかのよう。
女性がわずかに口を開きかけ、すぐに口を閉ざす。まるで言いたいことを無理矢理呑み込んだようだ。
「ねぇ、まだやるの?」
「……当たり前よ」
「そう。……本当に頑固者なんだから」
「……あんたには言われたくないわね」
少女が女性を見つめる。しかし、女性は目を逸らしながら、少女の尻尾を足場代わりにして、空中を舞い、それからゆっくりと着地する。
女性と少女の交錯はほんの数分というところ。
だが、その数分はありえないほどに濃密なものだった。
そんな濃密なやり取りを交わし合ったふたり。女性の名はアッシリア。少女の名前はタマモ。幼なじみにして、親友同士のふたりは、奇しくもクラン部門エキスパートクラスの決勝戦にて、激しいぶつかり合いを行っていた。
「い、一進一退。まさに一進一退の攻防です。タマモ選手が攻めれば、アッシリア選手が凌ぎ、アッシリア選手が攻め込めば、タマモ選手が躱す。まさに「一進一退」という言葉がこれ以上似合う展開もないでしょう!」
実況が興奮しながら叫ぶ。その叫びに観客席からは一足遅れた歓声が飛び交っていく。
アッシリアはかつて「ザ・ジャスティス」のマスターにして、最高のPKKと謳われ、いつからか「褐色の聖女」と謳われたプレイヤー。
誰もが認めるトッププレイヤーであるアッシリアを相手に、リリース初期組であるタマモが食らいつくどころか、互角に競り合うという光景は、さしもの「フィオーレ」ファンでさえも、唖然とする光景だったのだろう。
それゆえに歓声も一足遅れとなってしまったようだ。
だが、当のタマモもそしてアッシリアも、すでに歓声どころか、実況の声さえも聞こえていない。
見えるのも、聞こえるのもお互いの姿と声のみ。
お互いの持つ得物──おたまとフライパン、ギミックブレードをお互いに構え合う。
「そろそろ素直になってよ、アッシリア」
「うるさいわね……あんたと話すことなんてなにもない!」
アッシリアはムキになったように、タマモとの距離を一瞬で詰めると、ギミックブレードである「アルタイル」で右薙ぎを放つ。
「こんの、分からず屋!」
アッシリアの右薙ぎをタマモはおたまを以て受け止める。
硬質的な高らかな音が鳴り響く中、ふたりは同時に口を開いた。
「どの口が言ってんのよ!」
「この口だってば!」
「この、なんちゃってロリのくせに!」
「うるさい、リアルぺったんこのくせに!」
「なによ、この見た目ロリ!」
「ぺったんこに言われたくないよ!」
「なによ!?」
「なにさ!?」
ふたりの声が飛び交うも、その内容は実に子供じみたものであった。
見た目だけで言えば年齢差がある。それこそ、見た目だけならば、タマモがアッシリアの娘であってもおかしくないほどの差はある。
だが、実際には年齢差などない。
同い年の幼なじみにして、長年の親友同士。お互いに来年に成人式を迎えるふたり。
しかし、その成人手前のふたりのぶつかり合いは、高度な戦闘でありつつも、まるで子供の喧嘩のような様相を示していく。
それこそ仲良く喧嘩しているようなものであった。
だが、仲良く喧嘩しつつも、ふたりの戦いは続いていく。
お互いの想いをぶつけ合いながら、タマモとアッシリアによる一進一退の攻防は続いていった。




