119話 テンゼンとオルタ その3
SSRランクのEKの持ち主同士の決戦。
個人部門ビギナークラスでも同じ構図にはなっていた。
だが、今回はビギナークラスよりも上位のエキスパートクラス。
達人同士の決戦。
その決戦において、高ランク帯のEKがぶつかり合う。
まさにこれぞエキスパートクラスの決勝戦と言うほかにない状況だった。
ざわめきと声援が飛び交っていた観客席はいつのまにか静かになっていた。
テンゼンとオルタがそれぞれの奥の手を取り出してから、少しずつ観客席からの声は小さくなっていた。
だが、それは白けたとか、飽きたということではない。
舞台上のふたりの姿に言葉を忘れてしまったがゆえだ。
テンゼンは「ムラクモ」を剣道で言う正眼に構えていた。
対してオルタは右半身を前に出して両手で「沼矛」を握っている。
構えを取ってから、ふたりは一切の動きを止めている。
せいぜい、呼吸の度に体が動く程度。
それ以外の動きをふたりは見せない。
ただまっすぐにお互いだけを見つめていた。
5分、10分と時間がゆっくりと過ぎ去っていく。
だが、時間はゆっくりと過ぎ去るものの、ふたりの纏う雰囲気は穏やかとは言いがたいものだった。
相手を打倒せんという意思が、それぞれの目に宿っていた。
相手を打倒するという意思を込めて、互いに見つめ合うふたり。
そんなふたりの姿に釣られたのか、自然と観客たちの口数は減っていた。
自然と「闘技場」内は重苦しい雰囲気に包まれ、口数どころか、呼吸さえも忘れてしまう者もいた。
それゆえに時折観客席側から激しい呼吸音が聞こえてくる。
だが、その呼吸音もすぐに聞こえなくなる。
達人同士の決戦。
その決着に余計な音は無粋でしかなかった。
誰かが口にしたわけではない。
気付けば、誰もが同じように呼吸を整えては呼吸を止めて、ふたりを見やるという行為を繰り返し行っていた。
その時間はまるで永遠のように感じられるほどに長いものだった。
だが、その永遠と思われた時間も終わりの時が訪れる。
それは一陣の風が切っ掛けだった。
不意に吹き荒れた風。
その風によって、観客のひとりが持っていた帽子が空を舞ったのだ。
帽子は空高く舞い上がるも、徐々に降下していく。
帽子の影が舞台上に差し込み、その影がふたりの中間地点へと至ったとき。
ふたりは同時に動いていた。
「ちぇぁぁぁぁぁぁぁ!」
それまでの無言が嘘だったかのように、オルタの絶叫が響く。
地面を蹴り、全力でテンゼンへと肉薄するオルタ。
遮二無二の特攻という風に誰もが思ったであろう。
なにせ、オルタの持つ「沼矛」は優に5メートルはある長大の得物だった。
そんな得物を手にして、テンゼンへと肉薄するなど自殺行為以外の何物でもない。
その長大すぎるリーチを活かすべきであり、わざわざテンゼンの間合いに飛び込む理由はない。
誰がどう考えてもオルタのそれは遮二無二の特攻という風にしか見えなかっただろう。
しかし、それは遮二無二の特攻ではなかった。
それこそがオルタのもうひとつの奥の手だった。
かつて、オルタが「ザ・ジャスティス」内で「神槍」の字で呼ばれるようになった由来。
ベータテスト時に同じ「ザ・ジャスティス」のメンバーが呪いの装備を身につけ、暴走した際にオルタの一撃がその暴走を食い止めた。それはまさに神業のような一撃であり、それがオルタの「神槍」の字の由来である。
そしてその際に用いた一撃こそが、オルタがいまから放とうとする一撃である。
当時はまだ「沼矛」を手にしていなかったオルタだったが、それでもその一撃はたしかに暴走する仲間を救う一撃に、神業へと成ったのだ。
そしてその神業は「沼矛」を手にしたことで、大きく変化することとなった。
当時はただ単純に精密な一撃だった。
だが、現在その一撃は曲芸じみた動きへと昇華されていた。
そう、こんな風に──。
「オルタ選手、まさかの突進! 勝負を諦めてしまったの──え?」
実況が困惑の声をあげていたが、その声は途中で止まってしまう。
なぜならば、オルタの持つ「沼矛」の穂先が地面に突き刺さったからだ。
傍から見れば、自爆以外の何物でもない光景。
観客席からは「凡ミス」や「なにやってんだよ」という声が散見していた。
だが、その声も次の瞬間一気に失われた。
穂先が地面に突き刺さったというのにも関わらず、オルタは駆けるのをやめなかったからだ。
穂先が地面に突き刺さっているというのにも関わらず、なぜそんなことをと思った瞬間、オルタの体が不意に宙を舞ったのだ。
どこまでも高く、オルタの体は舞った。
まるで陸上競技の棒高跳びを彷彿させる光景であった。
高く飛び上がったオルタの手には地面から離れた「沼矛」が握られている。
その「沼矛」を上空で大きく掲げながら、オルタはその一撃を放つ。
地上にいるテンゼンから見れば、ちょうどオルタが太陽を背にするという態勢。逆光を利用して、テンゼンからはオルタを見えづらくしていた。
地上から見えづらくし、そのうえ地上からは攻撃しづらい上空からの精密無比な一撃。それがオルタの奥の手。その名も──。
「「神槍・空式」!」
──「神槍・空式」であった。
オルタ自身の字を冠する一撃。
「神槍」の名を冠する一撃の中で、強襲を目的とした精密無比な突き。
その一撃がテンゼンに迫る。
だが、当のテンゼンは静かに息を吐きながら、オルタを見据えていた。
テンゼンの動きは正眼から下段に「ムラクモ」を構え直しているだけ。
まるで「当ててください」と言わんばかりの、オルタの「神槍・空式」に対応する気がないとしか思えない態勢になったテンゼン。
テンゼンが勝負を捨てたのかとほとんどの者が思ったことであろう。
しかし、その構えを見て唯一控え室のモニターで見守っていたレンだけは、テンゼンの狙いに気付いていた。正確にはテンゼンがなにをしようとしているのかに気付いたのだ。
そしてレンはぽつりと呟いた。
「オルタさんの負けだ」と。
その言葉に、レンの隣にいたマドレーヌが「え?」と声を漏らしたとき。
テンゼンの姿は地上から消えていた。
オルタが上空へと舞い上がったように、テンゼンもまた上空へと飛び上がったのだ。
そのままオルタとテンゼンは上空で交錯した。
肉を切り裂く生々しい音を響かせながら。
それからすぐにふたりは地上へと背を向け合うようにして降り立った。
テンゼンは「ムラクモ」を水平に構えるようにして屈み込んでいた。
対するオルタは突きを放つ態勢のままで地上へと降り立った。
勝負の行方がどうなったのかとざわめきが起きたとき。
オルタの手から「沼矛」がこぼれ落ちたのだ。
地面の上を「沼矛」が転がる音が鳴り響く。
同時にオルタの体が崩れ落ち、膝を付いたのだ。
オルタは胸を押さえつけながら、激しい呼吸を繰り返す。
そんなオルタとは対照的にテンゼンは立ち上がり、ぽつりと呟いた。
「……神威流「天昇閃」──僕の十八番だよ」
テンゼンが放った一撃。
それは神威流宗家における唯一の対空剣技にして、テンゼンの十八番「天昇閃」であった。
元来対空技というものは概念がない武術において、神威流の中でも宗家のみに伝わる一撃。その一撃がいま炸裂した。
その一撃によりオルタは戦闘続行は不可能なところまでおいやられていた。
「さて、どうする?」
テンゼンは「ムラクモ」を肩に担ぎながら尋ねる。
そのテンゼンの問いかけにオルタは──。
「……た」
「うん? すまない、なんて言ったんだい?」
──ぽつりとなにかを呟いた。
呟いたのだが、テンゼンにも聞こえない声量だったようで、テンゼンはもう一度尋ねた。するとオルタは体を震わせながら立ち上がると、腹の底から絶叫をあげた。
「惚れたって言ったんだ! テンゼンちゃん!」
空気をびりびりと振動させるほどにオルタは大きく絶叫した。
その絶叫にテンゼンは。
「……はい?」
わけがわからんとばかりに首を傾げたのだった。
なかなか難産だったけど、想定通りにできました←




