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98話 真なる深奥

 日がゆっくりと昇っていく。


 その様子をタマモはじっと眺めていた。


 氷結王の御山で昨日はログアウトをしたため、いまは氷結王の御山の中で、シュトロームたちが過ごす御山の北側の一角にある崖だった。


 ログアウトは本来モンスターが出現するエリアでするものではない。


 が、氷結王の御山に棲むモンスターたちは、みな知り合いであるため、こうしてログアウトしても、襲われることはない。かえって空から襲ってくるモンスターから守ってくれるほどだった。


 現にいままでは、シュトローム配下のスライム系モンスターの一団が守ってくれていた。


 その一団も、タマモがログインしたのを確認すると、「それでは、我らはこれにて」と言い残して立ち去っていった。


 その名残として、一部の鳥系のモンスターの死骸が、さきほどまではそこらに転がっていた。ログインして早々に見ることになった光景に、スライムって本当にヤバいなぁと思わずにはいられなかった。


 その死骸たちもスライムたちが持ち帰ったため、現在タマモの周りにはなにもない。


 せいぜいが、襲来した際にできた戦闘痕らしき、地面や木々の幹が大きく抉れているくらいだ。


 それ以外にはモンスターの痕跡はなく、現在タマモは平和な朝の時間を過ごすことができていた。


 そんなタマモのそばにはいつものようにエリセがいる。普段は巫女服を着崩して眠っているが、いまは静かにタマモの肩に頭を乗せて眠っていた。


 朝の光に照らされるエリセは、普段よりも美しく見えるとタマモは思った。


「む、なんじゃ。もう起きておるのか、婿殿よ」


 エリセの髪を撫でようと、エリセの肩を抱くようにして腕を回そうとしたところで、聖風王がふらりと現れた。


 いきなりの登場に若干固まってしまうタマモ。聖風王は交互にタマモとエリセを見やり一言告げた。


「なんじゃ、今日はまぐわっておらんかったのか。てっきり今日もまぐわっていると思っていたのじゃがなぁ」


 ひどくつまらなさそうに聖風王は唇を尖らせた。「このジジイ」とタマモはイラッとしたものの、どうにか自分を抑え込んだ。


「そんな毎日盛るようなことはしません。今日も試合なのですから」


「そう言って、一昨日は盛っておったじゃろうに」


「……」


 ぐうの音も出ない一言だった。


 タマモは目を逸らしながら、咳払いを行った。だが、整風王は目を逸らした方へといつものかに移動して、にやにやと口元を歪めて笑っていた。「本当にいい性格をしているな、このジジイは」としみじみと思うタマモ。


「まぁ、よい。それで、なぜこのような時間にログインしておるのじゃ? そなたにはすでにログイン限界なんてものは存在せぬから、別に構わんと言えば構わぬのだが。あまりこの世界に居座りすぎても、いろいろと問題があるのではないかの?」


「……それは」


 またぐうの音も出ない一言だった。


 聖風王の言う通り、現実世界ではかなり支障が出ている。


 なにせ、今年は受験していないのだ。


 本来なら、今年こそ合格を勝ち取るつもりだったのだが、今年に入ってからいろいろと問題が立て続けに起きてしまい、受験どころじゃなくなってしまったのだ。


 結果、受験はしなかった。


 去年は時間を間違えて実力を発揮できず、今年はそもそも受験さえもしなかった。


 同じ受験失敗でも、今年と去年とではまるで意味合いが異なっている。


 両親も今回のことについてはなにも言っていない。ただ、内心呆れているであろうことは間違いない。


 両親との関係を考えれば、頭が痛いことではあった。


 だが、それでも。たとえ現実の、「玉森まりも」の人生に支障を及ぼすことであったとしても、いまは「タマモ」としてやるべきことがあった。


 両親には、本当に申し訳ないとは思っている。実生活ではポンコツそのものな自分を、大事に大事に育ててくれた。その恩は決して忘れていないし、いつか必ずその恩に報いるべきだと思っている。


 だが、それでも、それでもいまだけは「玉森まりも」ではなく、「タマモ」であることを優先させてほしかった。


「……ふむ。どうやらすでに支障は出ているようであるな?」


「……ええ。両親には申し訳ないと思っています」


「それでも、かの?」


「ええ。それでもボクは、「私」はいまを優先したいのです。こんなポンコツ同然の「私」などを愛してくれている人のため、信じてくれる友人のため、そして取り戻したい日々のために、「私」はいまを優先したいのです。先のことはその後に全身全霊で取り組みます。いままでの遅れはそれでどうにかカバーいたします」


 タマモは普段の「ボク」ではなく、「私」と口にした。それは「玉森まりも」が本気になったときだけに使うもの。


 ゆえに、この世界に入り浸るのはいまだけである。


 今後は、現実を、「玉森まりも」の人生を優先する。


 こんな自分なんかを育ててくれた両親のために、そして現実で親友に問いただすために。


 だが、それはいまではない。


 いま優先すべきは、この世界の日々。


 ありふれた、あの日々を取り戻すために、いまは、いまだけは「玉森まりも」ではなく、「タマモ」として過ごす。


 それが「玉森まりも」が出した答え。


 そのためにも、優勝を目指さなければならない。


 優勝して、喪った人を取り戻す。


 すべてはそこから。


 そうしなければ、きっとまともに前に進むことはできない。


「玉森まりも」として、前に進むためには勝つ。それ以外は許されていない。


 なぜならば、「玉森まりも」とは──。


「──「私」は常に勝つ。「私」には勝利以外にないのです。勝利すること。それが「私」が「私」であるために、必要なことです。ゆえに「私」は勝ちます。勝って次に進む。そう決めましたので」


 ──常に勝つ者であるからだ。


 ゆえに「玉森まりも」と口にした時点で、「タマモ」は負けるわけにはいかなくなった。勝つためにするべきことをすべて行う。


 そのために、いまこうして朝早くからログインをしていた。


 すべては勝つための布石である。


「……そうか。常勝であること。それがそなたがそなたであるために必要なことか」


「……驕っていると自分でも思います。ですが、常勝こそが誰もが「私」に望むことです。「私」はその期待に応えてきましたし、それはこれからも変わりません。変わってはならぬのです。ゆえに「私」は」


「つまらぬのぅ」


「……え?」


「玉森まりも」としての言葉をタマモが口にすると、聖風王は「つまらない」と切り捨てた。

 いきなりのことで、タマモは呆然となった。


 しかし、聖風王はまるで気にしていないと言わんばかりに続けた。


「常勝こそが、自身のすべてと言うのはつまらぬよ、婿殿」


「ですが」


「ですが、ではない。常に勝利する。それはたしかにそなたという存在を構築してくれるであろう。常に勝ち続けられる者などほぼいない。ゆえに、勝利こそが存在理由となるのもわからぬわけではない。しかし、そればかりに縛られるのはつまらぬ」


「縛られている?」


「うむ。我にはそう見えるのぅ。そなたは勝利という言葉に縛られすぎておる。勝利は得がたい美酒ではある。しかし、負けの味も知らぬ者にとっては、その魅力も半減となる。ゆえに」


「……敗北なら知っております」


「む?」


「この世界に来て、敗北というものを初めて知りました。勝利から得られるものは少なかった。ですが、敗北から得られたものは多くありました。敗北したからこそ、得られた関係もありました。此度の戦いは、それを取り戻すためのもの。ゆえに、「私」は勝つのです。敗北を無駄にしないために、「私」は最後の最後まで勝つのです」


 タマモは聖風王を見やる。


 聖風王は目を見開いて驚いていたが、すぐに高笑いした。


「かっかっか! これは我の目が曇っておったのぅ! 敗北を無駄にせぬための勝利か。であれば、その勝利をより確実にしてやろうかの」


「と言いますと?」


「うむ。手解きじゃ。深奥のな」


「ですが、「花鳥風月」はすでに」


「いいや? そなたの「花鳥風月」はまだ本来のものではないぞ」


「どういうこと、ですか?」


「それをいまから教えてやろう。では、構えるといい、婿殿。「風聖道」の深奥。その真の姿見せてやろう」


 聖風王は地に降り立った。タマモは頷きをひとつ返しながら、エリセを起こさないように、そしてエリセを地面にぶつけないうように注意して立ち上がった。


「では、始めるぞ」


「お願いします」


 短いやり取りを経て、聖風王の手解きは再び始まりを告げたのだった。

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