96話 給仕と拷問
挨拶を終えて、ようやく定位置となっているカウンター席へと戻ってこられたタマモ。
ただ話をしていただけだったが、その足取りは若干重めであった。
挨拶回りをするというのは、慣れていないわけではない。
最近はご無沙汰になっているものの、以前に両親ともどもなにかしらのパーティーに呼ばれて、挨拶回りをしたこともある。
その際、基本的な話は父がしていたものの、タマモとて話はしていた。していたのだが、こうしてタマモ自身が主として話をすることは初めてだった。
父は各テーブルどころか、小さな集まりにも顔を出して挨拶を行っていたが、今回はふたつのテーブルを回った程度で、タマモは疲労感を憶えていた。
ただ挨拶とちょっとした話をした程度。
それでも、タマモは脚が重たく感じるほどに疲労していた。乾杯の音頭を取ったことも原因かもしれないと思うも、どちらにしろ、タマモの父であればこれくらいは軽く行えたことだろう。そう思うと、若干の情けなさをタマモは感じていた。
「お父様の跡を継ぐのであれば、このくらいのことは平然とこなさないといけないのになぁ」とタマモは思う。数十人の和気藹々とした空気での打ち上げ程度で、疲労していたら、数百人規模で、それぞれの腹の探り合いを行う緊張感溢れるパーティーなど参加できない。
「……やっぱり、のめり込みすぎですかねぇ」
考えてみれば、ここ数ヶ月はすっかりとゲームに集中しすぎていた。おかげで、今年の受験は合格不合格以前の問題で、受けることさえしなかったのだ。
両親にしてみれば、頭が痛いことだろう。
現にタマモも現実のことを考えたら、頭が痛くなる。
ほんの数日前までは、ゲームに集中しすぎだと自分でも心のどこかで嘲笑していたものだが、いまは違っていた。
この世界も現実であることをタマモは知った。
タマモ以外にはおそらく誰も知らないことではあろうし、もしかしたら運営の悪ふざけ的な特別なイベントなのかもしれない。が、それでもいままでのようにゲーム内世界という風に捉えることはできなくなっていることは確かだった。
そのなによりもの証拠がいま目の前にいた。
「あ、旦那様、お疲れ様どした」
カウンター席には、エリセがいた。
正確にはカウンター席専用の給仕役として、エリセが控えていた。なお、給仕役はエリセだけではなく、エリセの補佐役としてフブキも参戦している。そのフブキは各テーブルを回って給仕している真っ最中である。
タマモよりも小柄なフブキひとりでは大変なはずなのだが、フブキはなにも問題ないとばかりに奮闘中である。
いまも2本の尻尾を巧みに使いながら、大皿料理を複数のテーブルへと順々に運んでいた。
とはいえ、それでも参加人数が多めなため、フブキひとりではなかなかに難しい。そこに買って出たのが、ユキナたちと「一滴」の面々である。
フブキの見た目は、シオンよりも少し幼い。そのシオンと外見年齢が同じであるユキナたちにしてみれば、自分たよりも明らかに幼いフブキがひとりで奮闘しているのを黙って見ていることができなかったのだ。
結果、美少女狐っ娘5人による給仕という、一部の界隈では大騒ぎとなるであろう案件が発生したのである。実を言うと、デントが簀巻きのうえに猿ぐつわされているのも、美少女狐っ娘たちの姿に限界突破しかけたせいである。
そのため、柚香とにゃん公望によって強制的に緊縛されたのである。
そうして緊縛されてもなお、デントの興奮具合は天元突破中である。
ただ、ユキナたちはその視線に気付いていない。
というのも、フブキとユキナを除いたフィナンたち3人娘は、給仕をすること自体が初めてであるため、デントの邪極まる視線に気付いていないのだ。慣れているフブキとユキナにしてみても、初心者3人のフォローに忙しく、やはりデントの視線に気づける余裕がなかった。
言うなれば、現状デントの邪な視線に5人が気づいていないという奇跡的な状況が成り立っており、デントにしてみればまさに天国とも言える状況である。
なにせ、見目麗しいそれぞれに特徴のある5人の美少女狐が、健康的な汗を流しながらその肌を濡らしているのだ。ときにミスをしても、誰かがそのフォローをし、そのフォローのお礼を口にする。
そんな健全な光景が目の前で延々と繰り広げられている。その光景にデントは涙を流す勢いで給仕娘たちをじっと眺めている。まさにデントにとっての天国。デントの幸福はここにありと言わんばかりの状況であったのだが、その幸福は唐突に終わりを告げる。
「……視線がキモい」
「……フォローできねえにゃ~。すまんにゃ、ファーマー」
「っ!!!!!?」
柚香とにゃん公望の声とともに、デントの視界は暗闇に覆われた。にゃん公望がデントの目に自身の尻尾を巻き付けたためである。
それにより、デントは視界を奪われた。そのうえ、追撃とばかりに柚香により、耳栓を着けられてしまったのだ。
これにより、視界とともに聴覚すらも塞がれてしまった。
視界が塞がれても、最大集中して聴覚からユキナたちのやり取りを聞くという行為さえも封じられてしまったのだ。
残ったのは嗅覚くらいだが、その嗅覚もおやっさん手製の料理がおりなす香しい匂いにより、5人娘の香りを楽しむことさえできない。さしものデントもそこまでの技能は持ち合わせていなかった。
ゆえにデントは天国もかくやという状況下において、その天国を堪能できなくなってしまったのだ。その悲憤がデントの口から絶叫をあげさせるも、その絶叫を事前に察知していたのだろう、柚香により猿ぐつわの上から布を巻き付けられたことで、その声さえも封じられてしまった。
傍から見れば、デントの姿は拷問を受けているかのようである。まぁ、デント本人にしてみれば拷問同然であることは間違いないのだが。
デントがそんなことになっていることなんて、タマモは理解していない。ただ、カウンター席専門の給仕となっているエリセは、ユキナたちへと向けるデントの邪極まりない視線にもばっちりと気付いていた。
そのため、デントを見やるエリセの視線は、とても苦々しいどころか、汚物を見るような厳しい目を向けていたのだ。
しかし、それもタマモがカウンター席に戻ったことで、一瞬で消えてなくなった。溢れんばかりの笑みをタマモへと向けるエリセ。そのエリセの笑みにタマモは疲労感が一瞬で抜けてしまったかのように、軽やかな足取りでエリセの元へと向かっていく。
その光景をカウンター席の住人たちはばっちりと見ていた。
「……ねぇ、ヒナギクさん、レンくん。エリセさんって、いつもあんな感じ?」
「まぁ、そうですね」
「今回はデントさんが悪いんで、仕方がないかなぁと思いますよ? あれは私から見てもちょっとなぁと思ったし」
「……まぁ、そうね。あれはさすがに引いたもん。同族なエリセさんにしてみれば、当然っちゃ当然なのか」
エリセのあまりの変わり身の早さに、本日もカウンター席に座っているステラが同じクランであるヒナギクとレンに、いつものことなのかと尋ねていた。その返答はステラの想像通りのものであったのは言うまでもない。
とはいえ、今回のことはヒナギクの言う通りデントの業ゆえの行動であるため、エリセを責めるのはお門違いではある。責めるべきが誰なのかは誰の目から見ても明らかであった。
明らかであるのだが、そのことを当の5人娘はもちろん、疲労していたタマモも気付いてはいない。よって直接の被害に遭うであろう6人はデントの危険性にいまだ気付いていないという、傍から見れば危なっかしい状況のままである。
これにより、デントが6人にとっては危険人物であることを、今日参加したメンバー全員の共通認識となったのだが、そのことを6人も当のデントも気づくことなく、各々に過ごすことになったのだった。




