87話 花と頑強その6
拳と拳の応酬だった。
それまでは、それぞれの得物による攻撃が繰り返されていたというのに、佳境に突入するやいなや、拳の応酬、最も原始的な戦いが始まった。
巨漢のバルドと小柄なタマモの戦い。
ボクシングで言えば、ヘビー級とミニマム級の選手が戦うという、パウンド・フォー・パウンドでなければ成立しない戦い。
最も正確に言えば、ヘビー級とアトム級(女子ボクシングにおける最軽量)の戦いであり、より成立するはずもない戦いだった。
それゆえにか、始まった当初は歓声が大半であったものの、わずかに困惑の声が上がっていたのも事実である。
体格差があまりにもありすぎるというのに、肉弾戦が始まったのだ。
試合の熱量ゆえに歓声を上げる者もいれば、いくらなんでも無茶がありすぎるという冷静に俯瞰して見る者もいた。
そんなふたつの視線が入り乱れる中で、始まった戦いは白熱したものへとなっていた。
「うぉりゃあ!」
バルドの鉄拳がタマモめがけて振り下ろされる。
「せいやぁ!」
対して、タマモは拳ではなく、ハイキックを迷うことなく、バルドへと放つ。
バルドは片手でタマモのハイキックを捌き、タマモは体捌きによってバルドの鉄拳を受け流す。もっと言えば、ハイキックを放った際に、体を捻ったことによりバルドの拳の射線軸から逃れていた。
「しぃ!」
バルドにハイキックを防がれたタマモは、その場を飛び上がりながら、空中で回転しつつ、もう片方の脚で再度ハイキックを放つ。バルドはハイキックを今度は受け流すことなく、スウェイバックによる回避を行った。
が、タマモの攻撃は終わっておらず、空中で上下逆になったタマモは地面に両手を突くと、両手を軸にしてまるで駒のように回転しながら、上下逆さまの状態で連続蹴りを放っていく。
あまりにも曲芸じみた攻撃に、バルドは堪らず下がった──と思い込ませて、バルドは一度距離を取ってから突進を行う。突進の勢いを込めて右拳を迷うことなく振り下ろした。
上下逆さまでかつ両手を軸にしているがゆえに、行動の範囲が著しく狭まっていたタマモにとって、その攻撃は回避はおろか防御も難しいものだった。
しかし、タマモは裂帛の気合いを放ちながら、サマーソルトキックを放つことで、バルドの攻撃の射線軸から逃れた。
対するバルドはどうにか身を逸らすことで、タマモのサマーソルトから逃れていた。
サマーソルトを放った反動で再び態勢を戻したタマモと、わずかに体幹を崩しながらも構えまでは崩さずに対峙するバルド。
いままでの一連のやり取りを見れば、一貫してバルドは攻撃と防御をそれぞれに行い、タマモは攻撃と防御を同時に行っていた。
言葉だけを捉えれば、バルドよりもタマモの方が肉弾戦の技術には優れていた。
ただ、肉体面で言えば、タマモはバルドには勝てない。そのため、曲芸じみた動きを加えて、虚実入り混じった攻撃を行っていた。
肉弾戦におけるプレイヤースキルだけを言えば、タマモの方が有利ではあった。ただ、肉体的なハンデを補うためにバルドよりも動きが激しくなってしまうことは否めない。
逆に肉弾戦におけるプレイヤースキルにおいては、タマモに遅れを取るバルドではあるが。圧倒的なフィジカルの差を活かしているため、タマモよりも動きが少なく済んでいた。
そのふたりの差は徐々に明確なものへと変化していく。
タマモは肩を上気させているのに対し、バルドはわずかに呼吸を乱す程度だった。
タマモは額に大粒の汗を浮かべているが、バルドはまだわずかに汗で肌を濡らす程度。その差は如実に表れていた。
肉弾戦だけではなく、こと戦いという面において、最終的に物を言うのはスタミナの差。さらに言えば、スタミナをどれだけ消費せずに戦うかということに尽きる。
どんなに強くなったところで、スタミナがなくなれば思うように戦うことはできなくなる。
それでも一定以上の力量差があれば押し切ることは可能だろうが、力量差がそこまでではない場合、押し切ることはひどく難しい。
タマモとバルドの戦いは後者であり、現状ではタマモがバルドを押し切ることは難しいとしか言いようがなかった。
それは誰の目から見ても明らかだった。
技量では負けていても、フィジカルの面で圧倒しているバルドは、いまのまま防御と攻撃をそれぞれに行うだけでいい。
対してタマモは技量でのアドバンテージを握っても、フィジカルの面で大きなハンデを負っている。そしてそのハンデを凌駕することがなかなかできずにいる。
もし、相手がバルドでなければ、そこそこのプレイヤー相手であれば、タマモの勝ちは間違いなかった。
しかし、今回は相手が悪すぎた。
もともと防御主体ゆえに、スタミナの数値もそれなり以上にあるバルド。そんなバルド相手に肉弾戦。タマモの劣勢はその時点で決まっていた。しかもタマモは奥の手である「五尾」を封じて、みずからの力だけで戦っているのだ。より劣勢に陥るのは当然なことだった。
それでもなお、タマモはみずからの力のみでバルドとの対峙を選んだ。勝ちに徹するのであれば、「五尾」を用いれば確実性はある。
だが、その確実性を捨ててまでタマモはみずからの力のみでの対峙を行っていた。
そんなタマモに「五尾」は呆れたように「本当に困った主ですねぇ」と嘆きつつ、「ほら、私抜きで戦うのであれば、もっと頑張ってください。次来ますよぉ?」と激励しているのか、からかっているのか判断に困る声援を送っていた。
その声援に応えるように、タマモはみずからを奮い立たせていくが、フィジカルの差はどうしても埋めようもなく、徐々にタマモの動きからは精細さが欠けていった。
この調子では、いつかバルドが押し切るだろうと誰もが思い、自然と声援がタマモに集中していく。
それでも、勝ちに徹するというのであれば、バルドの行うことはただひとつだけ。タマモの攻撃を全力で防ぐ。それだけでタマモに勝てる。誰よりもそのことをバルドは理解していた。そして誰よりもバルドはタマモに勝ちたかった。
ならば、勝ちに徹するために、バルドは攻撃を捨てて防御一辺倒になればいい。それは子供でもわかるほどに単純明快な答えであった。
そう、あくまでも勝ちに徹するのであれば。
「せいやぁ──え?」
それはあまりにも唐突なことだった。
それまで同様にタマモは体を大きく動かしながら、バルドへと攻撃を仕掛けた。そのときは体を大きく捻りながらのハイキックだった。ちょうどバルドがそれまで同様に拳を打ち下ろしてきたので、カウンターと防御を兼ねた一撃を放ったのだ。
それまでであれば、バルドは反対側の手でタマモの攻撃を防いでいた。
だが、今回はその攻撃をバルドは防がなかった。タマモの攻撃をあえて受けたのだ。
あまりにも唐突な状況にタマモは唖然とする。
タマモだけではなく、ふたりの戦いを見守っていた観客席からも唖然とする声が漏れていた。
そんな声の中、バルドの巨体が揺れた。ちょうどタマモのハイキックがバルドの顎を直撃したからである。
軽量のタマモの一撃とはいえ、顎に直撃すればさしものバルドもひとたまりもなく、バルドはその場に膝を着いてしまった。
「バルド選手、まさかのダウン! まさかの展開です!」
実況が困惑の声を上げる中、一番の困惑を見せるのはタマモだった。
いままで同様にいなされると思っていた一撃が、まさかの直撃となったのだ。困惑するのも当然だった。
「バルドさん、なんで」
タマモはあまりの困惑に、バルドに問いかけていた。
すると、バルドは口角を上げて笑った。
「なんでって、決まってんだろう? 俺が納得できねえからだ」
「え?」
「こんなデキレースみたいな内容で勝ちたくねえ。俺は正々堂々とタマモちゃんに勝ちたい。こんな戦いで勝っても嬉しくもねえ。だから、ダメージを負った。それだけのことだ」
バルドはゆっくりと立ち上がりながら語った。
バルドなりの矜持ではあるが、勝ちに徹するのであれば、あまりにも甘すぎる考えだった。
しかし、その甘すぎる考えに、この場において多くの者の心を打った。
バルドはタマモの一撃に大きくダメージを負ってしまっていた。
膝を震わせながら立ち上がる姿だけを見れば、少し前までの優勢が嘘のようだ。
あのまま一方的にタマモに攻めさせておけば、バルドの勝ちは確実だった。
だが、それをバルドはよしとしなかった。
「五尾」という虎の子を封じたタマモを相手にすれば、フィジカル面で圧倒するのは当然のこと。
そのうえでタマモのスタミナを削りきって勝つ。
それでも勝ちは勝ちだ。
だが、そんな勝ちをバルドは求めていなかった。
バルドが求めるのは、誰に揶揄されることもない、完全なる勝利。
もっと言えば、タマモのすべてを上回って勝つこと。
現状ではそれには至らない。
試合には勝てても勝負に勝ったとは言えない。
ゆえに、バルドは対等となるべく、あえてタマモの一撃を受けた。それも致命傷となる受け方をして、だ。
その結果が、膝を震わせながらどうにか立ち上がるという、傍から見ればあまりにも締まらない姿である。
だが、その姿こそが心を打たせていく。
そのバカ正直な矜持を尊いと思わせていく。
そしてなによりも震える背中を大きなものへと見せていく。
それまではタマモに集中していた声援が、バルドとタマモのふたつに分かれていく。
そんな声援が飛び交う中、バルドは雄叫びを上げながら立ち上がる。
その瞬間、観客席からは惜しみない拍手が送られていった。
「……魅せてくれますね、バルドさん」
「前大会のタマモちゃんには負けるよ」
スタミナが残り少ないタマモと大きなダメージを負ってしまったバルド。
ともに満身創痍と言ってもいい状況の中、ふたりは笑い合っていた。
「次で決めようぜ。小競り合いは飽きちまった」
「同感です」
笑い合いながら、ふたりは同時に構える。
お互いに軽口を叩き合うも、すでにそれぞれに限界が近い。
飽きたのではなく、ともに次が限界であるのは明らかだった。
バルドは両手を頭上に掲げて組み、タマモは右半身を引いて、右手に力を込め始める。
そこでふたりの動きは止まる。
ふたりの呼吸のみが舞台上でこだまする。
視線はお互いを射貫き、相手をただ打倒することのみに集中していた。
しかし、そこに嫌悪はない。
互いに認め合ったがゆえのまっすぐな闘志のみが宿っていた。
そんなふたりの姿に声援は徐々に萎んでいき、やがて、無音となる。
誰もがふたりの決着の瞬間をいまかいまかと待ち望んだ中、それは唐突に訪れる。
かすかな物音。
その物音を皮切りにして、ふたりは同時に動いた。
「轟・雷・断!」
バルドが放ったのは本来であれば斧の特別スキルであり、奥の手である「轟雷断」──。その「轟雷断」をバルドはまさかの素手で発動させたのだ。
対してタマモが放ったのは、「轟土流」の深奥「金剛不壊」ではなく、聖風王から教えを受け、開眼した「風聖道」の深奥。かつて隆盛を誇るも時の流れと共に失伝された流派。悉くを薙ぎ倒すとまで言わしめた一撃にして、雅という言葉を体現した一撃。その名は──。
「「風聖道」深奥──花鳥風月!」
四大流派の深奥と特別スキルの撃ち合い。
ふたりの拳と拳が交錯し、そして花は咲き誇った。




