73話 花と棘 その4
「──ヒガン選手、場外に落下ぁぁぁ! これで数の上では互角になりましたぁぁぁぁ!」
実況が叫ぶ。
その叫びは魂をぶつけているんじゃないかと思うほどに、熱の篭もったものであった。
そんな熱の篭もった実況の中、舞台中央での戦いはとても静かなものだった。
中央にいるのは、両クランのマスター。すなわち、タマモとローズのふたりである。
ふたりは等距離に佇みながら、それぞれの得物を手にしていた。
得物を手にしているが、それ以上の動きはふたりにはなかった。
お互いに見つめ合っているわけではない。
どちらも目を閉じていた。
お互いに集中しているようだが、あまりにも動きがなさすぎた。
試合開始して、そろそろ10分を経過するというのに、ふたりは等距離にまで距離を縮めてからそれ以上の動きを見せない。
なにを考えているのかは、傍から見てもわからない。
それぞれの得物を手にしているものの、力を入れてはいない。
ふたり揃って脱力しているようだった。
脱力しながらも集中しているのは明らかで、時折ローズの頬やタマモの耳がかすかに動いていた。
集中しながらも、他の局面についても認識はしているようだ。
「……ヒナギクちゃんは、相変わらずとんでもないなぁ」
ぼそりとローズが呟いた。
呟きと同時に、その目はゆっくりと見開かれた。
それはタマモも同じで、金色の瞳が薄らと露わになる。
「……ヒガンさんの作戦も悪くなかったですけど、相手が悪すぎでしたね」
「あれはもうヒガンが悪い。あの子はデータ魔なんだけど、そのデータに頼りすぎている。たしかにデータは必要ではあるけれど、頼ってはダメ。データというのはあくまでも過去のものでしかない。いま現在のものじゃないんだからって、頼り過ぎちゃダメだよ、って何度も言っているんだけどねぇ」
やれやれだと肩を竦めるローズ。
肩を竦めながらも、その視線はタマモから逸れることはない。
「頼るのではなく、用いるということですね。信頼と信用は似ているようで違いますからね」
「その通り。あの子の場合は自分のデータを信頼しすぎた。こういうのは失礼だけど、凡百の相手であればそれでいい。でも、今回の相手は凡百じゃなかったんだ。それをあの子は失念していた。それがいまの結果。つまりはあの子のミス。それだけだよ」
あっさりと言い切るローズ。
普段のローズとは異なり、その言葉は酷薄と言ってもいいほどに、冷たいものだった。
「……いつもとは違いますね、ローズさん」
「うん?」
「いつもなら、もっと穏やかに、そしてもっと優しいはずなんですけど、いまのあなたにはそんな優しさは感じられません」
「……そうだねぇ。いまの私は普段の私とはちょっと違うからね。なにせ、とびっきり極上の獲物を前にしているんだ。そりゃあ、普段抑えている面が露わになっても仕方なくない? そんなとびっきり楽しい時間を、つまらないミスであの子は穢してくれた。辛辣になっても仕方なくない?」
ローズは笑う。口元を弧を描くようにして歪めて。ただ、その目はどこまでも鋭い。笑っているようで、笑っていない。そんなちぐはぐとした印象がいまのローズにはあった。
そんなローズを前にしても、タマモは動じることもなく、泰然とした様子でローズを見つめた。
「「紅き旋風」と謳われた人を、ぞっこんにさせる魅力、ボクにありますかね?」
「自分のことはよく見えないものだからね。「自分のことは自分が一番わかっている」ってよく言うけどさぁ。実際は違うなぁって思うよ。自分のことだからこそ見えないこともある。だから思うんだよね。「自分のことは自分が一番わかっている」じゃなくて、「自分のことは自分は一番知ることができる」が正しいんだってさ」
ゆっくりとローズが手にしていた双剣を構えていく。ローズに合わせるようにしてタマモもまたおたまとフライパンをいつものように、おたまを前に突き出し、フライパンを頭上へと掲げる。
それまで構えさえも取らなかったふたりが、ヒガンの戦闘離脱を機に、ようやく戦闘態勢に入った。
二対の目が交差し合う。
決して負けない。
そんな意思の瞳が互いを射貫く。
ヒガンを打倒したヒナギクが、レンとタッグを組んでサクラとリップの姉妹へと挑む中、舞台中央では、両クランのマスター同士によるぶつかり合いがようやく始まろうとしていた。
そのことに気付いた観客たちは、徐々に声を潜めていった。
さしもの実況も今回ばかりは叫ぶことはない。
レンたちとサクラたちのタッグ戦が行われる音だけが闘技場内で響いていく。
すぐそばで激戦が行われているというのに、そのすぐ近くでは静寂の時間が流れていく。
潮合いは満ちつつある。
その証拠にふたりの腕には少しずつ力が入っていく。
ローズはしきりに体を前後に動かし、体重移動を繰り返していた。その気になれば、いつでもタマモに対して突貫できると言わんばかり。
対してタマモは、体を上下に弾ませている。まるでローズのタイミングに合わせようとしているかのようだ。
その様子ははじまりが近いことを意味していた。
自然と観客たちの視線はタマモたちに注がれていく。
誰もが息を呑み、その瞬間を待ち続けている。
やがて、雲が日を隠し、わずかに薄暗くなった。その雲も風によって流れ、日が再び顔を出したとき、その瞬間は唐突に訪れた。
ローズが大きく息を吸い込んだ。それを止めたとき、ローズは一気に駆け出した。
「ローズ選手、ついに動いたぁぁぁぁぁぁ!」
その字のごとく、まさに風となってローズは舞台上を駆け抜けていく。
対してタマモは腰を落とすだけ。迎撃の構えである。
「タマモ選手は迎撃の構え! これは面白い展開だぁぁぁぁぁ!」
突撃を敢行するローズと迎撃するタマモ。
いわば、矛と盾の戦いだった。
その光景に観客が一斉に沸き上がる。
ほどなくして、距離を詰めたローズが双剣を煌めかせ、タマモがおたまを突き出す。得物が交差し、強かな衝撃と破裂したかのような音を奏で合う。
かつてはここからタマモはローズに一方的に押し込まれていた。
だが、現在タマモはローズに押し込まれることはなかった。
「互角! 互角です! まさかのつばぜり合いだぁぁぁぁぁ!」
ローズの剣とタマモのおたまはぶつかり合うとそのまま鎬を削り合った。
前回とは大きく異なるぶつかり合い。
そのことに誰よりも驚いていたのは、当人たちだった。
「……まさか、半年程度で追いつかれてしまうなんてねぇ」
「ボクも驚いていますよ。あのローズさんとSTRでは互角なんて」
「言ってくれるねぇ。でも、こっちは互角でも速さではまだ負けるつもりはないよ」
ローズは笑いながら、後ろに飛び退いた。タマモの体勢はわずかに崩れるも、その隙をカバーするように五尾による「尻尾三段突き」がローズに放たれた。
尻尾による怒濤の三段突き。だが、そのすべてをローズは身を捻るだけで避けきってしまう。
その際、タマモだけに聞こえる声で五尾が「この年増女、速すぎませんか!?」と驚愕する。
五尾のあまりに失礼すぎる言葉にタマモは「失礼ですよ」と五尾を注意するも、五尾は聞く耳持たず。「年増を年増と言ってなにが悪いんですか?」と宣った。
その声はローズには聞こえないはずなのだが、なぜかローズの眉間に皺が寄る。
「……なんか、いまその尻尾に罵倒されたような気がする」
ローズの思わぬ一言に、冷や汗がタマモの頬を伝っていく。
「これが女の勘か」と自身の性別を弁えぬことを考えてしまうタマモ。
そんなタマモに「……気のせいかな?」と首を傾げるローズ。いくらなんでも尻尾が自意識を持っているなんて、普通は考えないだろうから、ある意味妥当な反応である。
「……気のせいじゃないです。ごめんなさい」と心の底から謝罪をしながら、タマモはその場から足を止めて再び迎撃の構えを取る。
ローズはにやりと笑いながら、先ほどよりも速く踏み込んでいく。さながら五尾の失言への報復のように。
歓声の飛び交う中、ふたりは再び交錯する。
こうして「フィオーレ」対「紅華」の戦いは佳境へと突入していった。




